嫌いということ。
「好き嫌いを言ったらダメですよ」
子供の頃に親や先生からそう言われて育った人も少なくないと思います。
学校では文系も理系も、体育も図工や音楽も、教科はすべて好き嫌いなくこなさなくてはいけないし、給食は好き嫌いなく食べなくてはいけない。周りの子たちともみんなで仲よくして、友達100人できるくらいに振る舞うよう仕向けられて、さも好き嫌いを言うのがダメな人間で、苦手や嫌いを克服することが立派な人間みたいな教えを刷り込まれてきたように思うんです。
嫌いなものがない人は人間ができているように思われて、まるで仏や神のように尊敬されることもあるかもしれませんが、僕は意地が悪いので、そういう人にだって多少の嫌いなものがあるだろうと考えてしまうんです。
人や物事を嫌いになるって、ネガティヴなことだと捉えている人もいると思いますが、嫌いになること自体、悪いことではありません。
嫌いなものの悪口や陰口を言い続けない。
嫌いなもののことばかり考えない。
そして、無理に好きになろうとする必要もなし。
嫌いなものは嫌い。以上。
それでいいんです。
自分の味方を増やしたいがため、理解者に賛同してもらいたいがため、そして、自分を正当化したいがために、嫌いなものを悪く言うとか話題にする人もいますが、それはやめた方がいいです。たとえ匿名のSNSであったとしても、絶対にやめておきましょう。
四六時中、嫌いなもののことばかり考えていると、自分の中にネガティヴなエネルギーを溜め込み、熟成させるような生き方になってしまいます。それは腐敗に近い熟成。何の生産性もなく不健全です。
「嫌い」という感情を悪いものだと捉えると、そういう感情が湧いたときに罪悪感を感じてしまい、好きになる努力をしようとする人もいると思いますが、その必要もまったくありません。
あと、なぜ嫌いなのかの理由を深堀りしないことも大事です。
嫌いなことに理由が明確にあっても不明確でも、嫌いなものは嫌いでいいんです。理由の深堀りの必要はありません。
とにかく嫌いなものとは関わらないこと。
「嫌い」という感情を、自分の脳内でループさせないようにしましょう。
これ、本当に大切です。
自分を苦しめているのは嫌いな人や物事ではなく、「嫌い」という感情をいつまでも自分の中に残留させている自分自身であることに気づいてください。
それから、どうして多くの人が、嫌いと言ってるものに自ら近づくのでしょうか。たとえば嫌いな人の様子をうかがうとか、嫌いな人のSNSをチェックするとか。そんな感じで嫌いな人の動向を気にするのです。嫌いなものの粗を探し出して、さらに「嫌い」を深めているかのようです。そしてまたそれをネタに悪口を言う「嫌い」のループを自らつくり出すわけです。
「嫌い」と意識して言い続けているうちは、「好き」となんら変わらないと思います。
本当の「嫌い」は、一切関わらない無関心さです。
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