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宗教の現在地・読書ログ

宗教が絡んだ問題が、世界の現実に対して無視できない影響を及ぼしている。宗教の観点から世界を俯瞰する、それがこの本の趣旨だ。

宗教の現在地

池上彰

1950年生まれ。ジャーナリスト、名城大学教授、東京工業大学特任教授。立教大学、信州大学、日本大学、関西学院大学、順天堂大学でも講義を担当。慶應義塾大学卒業後、73年にNHK入局。著書多数。

佐藤優

作家・元外務省主任分析官。1960年東京都生まれ。85年同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在ロシア連邦日本国大使館勤務等を経て、本省国際情報局分析第一課主任分析官として、対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽業務妨害罪容疑で東京地検特捜部に逮捕され、512日勾留される。09年、最高裁で上告棄却、有罪が確定し外務省を失脚。05年発表の「国家の罠」で第59回毎日出版文化賞特別賞を受賞。著書多数。


今回は読みながら学んだ点についてまとめてみた。

人間の思考において理性が中心的な地位を占めるようになった啓蒙主義の時代以降でも、こうして宗教はしぶとく生き残っている。
死について考えるときは、どうしても啓蒙的理性の外側に出なくてはならない。人間は例外なく死ぬ。だから死の場面になると、われわれは宗教が必要になってくる。そして宗教にとって、死を押さえるということは決定的に重要だ。

日本人は自分を無思想だと思っている人が多いが、それはいわば「無思想という思想」だ。
そもそも宗教を学ぶ機会がないので宗教に対する耐性、免疫がない。つまり、宗教性を帯びている現象に対しても気づかず取り込まれる可能性が高い。だからこそ色んな宗教に関する知識が大事だ。

例えば神道教育の趣旨は「神道は宗教ではない」と教えることだというが、それが怖いところだ。「宗教ではない」という形で、特定の宗教が国教になって現れてくる。
そもそも無心論者や無宗教だと思ってても拝金教だったり、出世教、お受験教、学歴教だったりと、あちらこちらに「宗教的なもの」が転がっているにも関わらず、「宗教的なもの」だとは感じないようになっていることが問題だ。
何故なら、国家が宗教を国民に押し付ける時は必ず慣習という形で現れるからだ。
実際に1945.8.15まで多くの若者が特攻隊でアメリカの艦船に突っ込み、国家という宗教に殉じる行為が行われた。
特攻の思考的な装置を作ったのは、田邊元
「学生を戦地に送るにはー田辺元「悪魔の京大講義」」だが、これは落語を用いたレトリックなども巧みだった。ただ、後2割のところで「悠久の大義のために死ね」に向かってしまう。
人々を侵略戦争を駆り立てるには、ものすごく精緻な理屈や感情操作が必要だが、防衛戦争というものには理屈がない。いとも簡単に狂気に熱狂してしまう可能性があるので、国家が孕む宗教性について考える必要がある。

国家とは価値中立的なものだ、とわれわれは思っていますが、一つの超越制をはらんでいて、人に「死ね!」と命令できる宗教でもあるからです。
だから「宗教は国家を超克するのか」というよりも、「国家も宗教である」。シンクレティズム(宗教混淆)により、われわれはみんな複数の宗教を持っていて、そのうちの一つが資本主義であり、もう一つが国家だ、ということです。
お金や国家という宗教しか持っていないと、その論理だけで動くようになります。だからそれ以外の宗教性はどこにあるのか。このような観点で私は世界を見ています。

佐藤優


キリスト教について

基本的に反知性主義であるが、それは無知蒙昧という意味ではなく、“人間の知性には限界がある。だから超越的なものを認めないといけない”という考え方だ。

神さまが泥んこを練って人間を作る、その時に人間の鼻をつまみ、プッと口に息を入れる。
この特別の息が入っているから、人間は動物に対して特権的な地位を持っている。
だから動物を拝むのは相当問題で一緒にお墓に入れないなどの問題がある。

そしてキリスト教は、不死なるものを嫌う傾向があり、反資本主義的な考え方がある。貨幣はずっと市場の中に留まり続け、永遠に生きてしまう。だから本質において貨幣嫌いなのだ。
そして、”選ばれる人と滅びる人とは生まれる前から決まっている”という考え方がある。
特に前者、”自分は生まれる前から選ばれている”と考えている人たちは長老派、またはカルヴァン派といわれるが、その代表例としてドナルド・トランプ、ウッドロウ・ウィルソン(国際連盟)、アイゼンハワー(ノルマンディー上陸作戦)などがいる。

彼らはどんな状況下でも自分が負けたと思わないため、打たれ強く大胆な行動を取り続ける。

世俗内禁欲

もうけることが目的ではなく、ひたすら神の意志に合わせてみずからを職業人=天職人として自己形成する行為としての職業労働を中心とした生活

という動機ができてしまう逆説を政治学者マックスウェーバーがうまく読み解いていたが、

それはつまり
彼らは基本的にお金が嫌い、でも一所懸命に働かないといけない倫理観に促されお金を稼いでしまう。しかしこれは神様にお金を返さないといけないが、直接返す方法はないので社会貢献をする。そして図らずも、近代資本主義の初期の段階において営利活動を促す原因をつくってしまったという構造だ。


「汝の隣人を汝自身と同じように愛せ」

イエス・キリスト

という教えがあるが、これはたんに「隣人を愛せ」と言ったのではなく、あなた自身と同じように隣人を愛するということは自己愛の肯定でもある。その意味で、キリスト教が説いているのは博愛ではない。まず自己愛を大切にすることがある。その上で、具体的な隣人を愛さなくてはならない。

だからそういう教育方針で自己肯定感が高い人が多いのだなと腑に落ちたな。

プロテスタントとカトリックの違い

まずカトリックついて

・基本的には、教会に所属していれば救われる
・創造は神の秩序だから堕胎も遺伝子組み換えもだめ
・極論ミサにあずかって難しい教義を理解しなくても、聖書も読まなくていい

(下手に読むと自分勝手な理解で教会の統制から外れてしまうから読まないほうがいいというのが戦前の考え)

聖書=伝統だと思われがちだが、伝統の方が重いのがカトリック

そしてカトリックでは、教会で正式に結婚してしまうと離婚できない。
最近事実婚がよく言われているが、自由恋愛や個人主義という話以前の、そもそもの時点で宗教の世俗化が影響している。敬虔なカトリック信者であればあるほど、事実婚という選択肢を選ぶ傾向にある。

そういえばフランスでは事実婚で生まれた子供の割合が5割を超えたらしい。ただ事実婚であっても支給される児童手当は全く同額というのが強いねー。

後日本におけるカトリックでは、神社参拝は教義上問題ない。カトリック信者で有名なのは麻生太郎(洗礼名・フランシスコ)、曽野綾子、渡部昇一

プロテスタントについて

・創造の秩序を認めない
・従わなくてはならないのは神の言葉のみ
(≒何をやってもいい)

ギリギリまで人間の知恵で考え、最終の地点で神の元へ飛び越えるのだと。

意外と知られていないのがアドルフ・ヒトラーが尊敬していたのはルターということ。

マルティン・ルターは、ドイツの神学者、教授、聖職者、作曲家。聖アウグスチノ修道会に属する。 1517年に『95ヶ条の論題』をヴィッテンベルクの教会に掲出したことを発端に、ローマ・カトリック教会から分離しプロテスタントが誕生した宗教改革の中心人物である。

ウィキペディア

よってプロテスタンティズムが人体実験などに関して全く手を汚してないとは言えない。

ちなみに、健康診断、禁煙、無着色バター、胚芽入り小麦パン、ナチス・ドイツ第三帝国が推奨したもの。国によるガン対策・栄養バランスが取れた食事を取れという政策もナチスで進んだこと。それは「私たちの命は総統のものだ。だから命を無駄にしてはいけないのだ」という倫理で動いていたから。

今回でやっとカトリックとプロテスタントと違いを把握したのだが、知れば知るほどキリスト教とはいえ全く違う宗教だなぁとしみじみ。

日本におけるキリスト教の特徴

フランシスコザビエルはじめ、イエス、あるいは天主さまを日本にいるさまざまな神さまの1人だと捉えてもいい、勝手に誤解してもいいという形で布教したから定着した。
主に薩摩と長州が嫌い、彼らの支配下で上昇できなかった若者たちが、自分の殿さまにたいする忠誠心をイエス・キリストに対する忠誠心と重ね合わせた形で信者が増えた。カトリック多い。

インドにおけるキリスト教

イエスは馬小屋で生まれたのが大切な要素だが、最下層カーストに間違われると誰も入信しないから、聖母マリアはカースト制の最高位、王宮のバラモンという形で布教した。

ロシア正教

神が人になっていくのがカトリシズム、プロテスタンティズム、すなわち西方キリスト教だが、
人が神になる、人から神へのベクトルを持つのがビザンチン神学、つまりロシア正教だ。
ロシアでなぜ共産主義ができたかといえば、根に東方神学の発想、地上に天国をつくれるという発想があるからだ。

「ホモ・デウス」の世界観はソビエト・システムの焼き直し(ハイテクを持った)

このように地域によって土着化が進んでいるので、一言でキリスト教とは何かとはいえない。

仏教

仏教は倫理として自殺を否定していない

特徴としては仏教の場合、内側、あるいは自らに向けた暴力性が見られる。例えば焼身自殺する形での抗議とかだ。無力な者の無惨な死が人々を動かすという事実は無視できない。死を自発的に選択する行為が周囲の人々を感化するという問題は、宗教と暴力の関係を考えるときにとても重要。

仏教にあった独身制も日本に根付いて大きく変わった。(土着化)
そもそも仏教では宗教的地位を獲得するにあたり、独身でいることが前提だ。
権力を持つと子に継がせたくなる、だから物理的に去勢をして継げないようにする他、社会的な去勢も含むが、それはつまり権力を抑制するためだ。ゲルナーの見方では、近代国家は公務員選抜試験制度によって事実上の去勢をされていると。
因みに宗教で妻帯が認められるようになったという変化はつまり、宗教があまり力を持たなくなったということを意味する。


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余談

私の両親は中国で2人で色んな事業をおこしていた。日本で事業展開をしようとして失敗している。失敗した原因の1つは文化の違いをしっかり把握できておらず、そもそも必須となる人間関係構築で躓いた。もう一つは、言語の壁をおざなりにしすぎた点だと思う。
両親を見てきたからこそ、文化の違いの把握を重要視している。仕事に必須な人間関係の構築、交渉まで全部やり方が変わってくるからだ。
そして人と仲良くなるには共通点と差異を抑えるのが基本だが、自分を知る為には相手を知ろうとした方がかえって自分をよく知れる。だからこそ、他文化、宗教、歴史を学びたいと思いこの本を手に取った。

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