見出し画像

noteにとりあえずノートすることにする

noteにとりあえずノートすることにする。

今日から8月。
先月までかかっていた台本もひと区切りついたのでね。
ぼちぼち次のことを考えとります。

春以降、ようやくニシワキのもとにも演劇の話がちらほら戻ってきた。といっても、まだ「ちら」くらいで、なにも具体的なことは決まっていないし、このところの感染拡大で公演中止の案内が毎日のように流れてくるのを見ていると、どうなるか分からないよなとも思う。

とはいっても、仮に来年公演ができたとしても、ニシワキは台本を書かなければならないわけだから、もう準備をははじめなければならない。なんなら、遅いくらいかもしれない。

…「なんなら」って、こういう時の接続詞として、おかしくないか? うーん、どうなんだ?

先生___こういう時は、ちゃんと辞書を引こうね、ニシワキ君。
ニシワキ君___はい、先生。でも…。
先生___なんですか、ニシワキ君、先生に口答えするつもりですか。いい度胸ですね。
ニシワキ君___いいえ。ただ僕は、そういう「正確さ」や「まとめる」に気を使わないで、このノートを書きたいんです。
先生___指導室に来なさ…
ニシワキ君___先生さよならっ。(ダッシュ)

というわけで、このノートはほぼ勢いだけで綴られていく。

閑話休題。
いや、そもそも本題を決めていたわけでもないので、閑話ばかりになるかもしれない。ご用心を。

とにかく、次の台本を書き始める前に、少し頭の中を整理しておこうと思った次第である。

ほら、文体も定まっていない。
そのくらいの勢いでこのノートは書き進められる。

で、だよ。
頭の中のなにを整理しようとしているかというと、ニシワキはどうやって戯曲を書いているのかということなのね。
これはさ、Twitterでも何度か思わずつぶやいてしまったこともあるんだけど、ほんとわからないんだよね。

新しい作品に取り掛かると、毎回「ところで、今書き始めようとしているこの作品は、どうやって書けばいいんだ?」と、はじめの一歩から壁にぶち当たり、そして僕は途方に暮れるわけです。いや、ほんとに。
(この銀色夏生と大沢誉志幸コンビの名曲について語り出すと長くなるし、カラオケで唄い出すと止められなくなるので、今は涙をのんでスルーする)

実をいうと、戯曲の書き方を整理しようとは、これまでも一本書き終わる度に思ってきたんです。やはり毎度途方に暮れるのは嫌ですし、しんどい。曲がりなりにも20年ほど仕事として戯曲を書いてきたわけですから、もう少し作業を効率的に進められないと恥ずかしいのでは…いや、恥ずかしい、とね。
で、実際このような戯曲を書くためのノートを何度も書き始め、そして何度も挫折してきました。はい。

だけど、ニシワキはつい先ほど、ひらめいたわけです。noteで書けば、挫折するわけにいかなくなるんじゃないかと。
どうですか、これ。
あまいですかね?

まあ、あまいかもしれませんが、やってみましょう。

さて、手始めに、今ニシワキは、

毎回途方に暮れながら、それでも繰り返していることはないだろうか?
いつも手探り状態だけど、これだけは必ずやっている作業はないだろうか?

といったことを考えはじめています。

暗中模索の中で、とりあえず「プロットを書いてみるか」「テーマを決めてみるか」「まず軸になる人物をかためてみるか」とか、毎度やってみるわけです。でなかったら、読みかけの本を開いたり、ネトフリ見たりして逃避するかです。

そんな定まらない作業をしながら、その中でも、戯曲を書くためにこれだけは不可欠といったことがないだろうかと、ね。

でね…ありました。
言葉にするのが難しいんですけど…。
何かあるんです、プロットとか、テーマとかの前に。
それを、掴むというか。
勘違いでもいいから、掴んだ気になっておくというか。

それは、これから書こうとしている戯曲の中の世界や時間や空気感や温度や肌触りといったものが混ぜ合わさった、形の定まらない何かです。

…ああ、ダメだ。ほんとニシワキは国語力がありません。でも、続けます。

それは、もちろん物語の構造にもなっていない。時系列に語れる状態ではないし、特定の舞台をイメージさせるものでもない。絵コンテのような視覚的なイメージでもない。動いてるし、変化もするんです。流動的なんです。

あ。
京大の山中先生が開発したips細胞って、いろんな方向に分化できるらしいでしょ。(不案内だから、いろいろ間違っているかもしれないけど)そんな、どんな舞台になるかはわからないんだけど、いろんなところに転がっていける「核」のようなものに近いかもしれない。

なんだかはっきりしない話ですが、これを忘れちゃいけない、手放しちゃいけないっていう、おもしろくなる予感を感じさせる「核」がある。これがあると、試行錯誤ができる。

それは、よく耳にする言い方では「ヴィジョン」ということなのかもしれない。
イメージではなくて、ヴィジョン、これ大事かも。

ああ、そういえば「劇作家は、ヴィジョンを持て!」といっている演劇書がどこかであったような、なかったような…。

とにかく、そんなこんなで「ヴィジョン」を(あまり意外性はないな)このノートを書き進めるための取っ掛かりとしよう。

ので、「今日はこのくらいにしておいてやるよ」「ちっくしょー!憶えとけよぉー」と、数日後、続きを書き進めるであろう「ニシワキ君」にバトンも渡せた気がするので、今回はここまでかな。

スタート地点が決まって、今日はまだ助走みたいなもんだ。その前のウォーミングアップみたいなもんか。
そして次回も、自分に手渡すバトンを決めて終わるんだな。きっと。
ひとり駅伝のようなことで書き進めていくんだな。たぶん。

がんばれ、ニシワキ君。

よろしければ、おつきあいください。


よろしければサポートをお願いいたします!