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演劇のおもしろい 第10回 まとめ

今日は最終回、このシーズンのまとめです。
それにしても、このnote。毎回お終いに「また来週!」とか言いながら、ちっとも毎週更新できずにきた。実際のレッスンは毎週行っていて、その感覚で書いているだけなのだが、書き慣れないのもあってなかなか進まなかった。メモに毛が生えたくらいの文章でいいと思ってはいても、慣れないことはやはりむずかしい。

「慣れない」というのは、作業のポイントが掴めないということでもあって、そうすると限りある集中力はあちこち散らばり、こうやって「さあ、3ヶ月分のレッスンの内容をまとめてやるぞ」と書きはじめてみても、話がよそにいってしまいそうで……今もほら、このようにとりとめのない文章になろうとしている。

この基礎クラスに参加しているみなさんは、ざっくり言ってしまえば「演じる」ことに慣れていない人とも言える。これからどんどん経験を積んで慣れていくにちがいない。そして、あなたの「演じる技」を見つけ、磨き、魅力的な俳優になって欲しい。
けど、どんなに経験を積んで慣れいっても「ここは忘れないでね」という(ニシワキが考える)ポイントがいくつかある。そして、それは慣れない時によく掴めなかったり、見落としてしまうポイントとも重なるようにも思う。

いつものように目新しい話が出てくるわけではないが、 その辺を確認して、このシーズンのまとめとしたい。

「演劇のおもしろい」

ポイントの一つ目。
この3ヶ月間の大きなテーマとしてやってきたことなので、具体的なことは、このnoteを読み返してもらいたい。

「演劇のおもしろい」、これを問いの形にすると「演劇の創造性ってなんだろう?」てところだろうか。稽古の現場では「今の演技は創造的だっただろうか?」と問うことになるかな。ちょっと格好つけた言い方になってしまうのは、ゆるして。

よくニシワキも稽古を止めて、「今の、なんか、おもしろくなかったよね」なんて俳優との間で言い出す。それはただその時の演技を否定したいわけではなく「なにか大事なこと忘れてるね、ウチら」という確認だったりする。
その「なにか」が分からないことも多い。でも、たいていそういう時は俳優も「なんか、つまんない」と感じているようだ。 その「なにか」を特定できればそれはそれでよいのだが、特定できることよりも「つまらない」「おもしろい」を共有できているかどうかが、より大事にも思う。
場面や演技について言葉を交わしても、その「なにか」が特定できなければ、「じゃ、もう一回やってみようか」「明日またやってみましょう」といって時間に任せてみることもできる。

そうやって「時間」を味方にできると、現場はやりやすい。俳優も新しい化学変化を試す実験のように、場面を繰り返すことが出来る。
無茶なスケジュールで作業が追いつかず、ただ時間に追われているような「間に合ってない」稽古は、どんどん時間を敵に回しているようなもので、本番の舞台の上でもあまりいい時間は流れない。

たとえば本番初日。
あなたの頭の中では「稽古が足りてない…」という不安がグルグル回っていても、たとえ本当に間に合っていなくても、時間を味方にして舞台に上がることを心掛けたい。「腹を括る」「肝を据える」といった意識と身体の集中力を身につけた俳優が強いのは、時間を味方につけるためかもしれない。ジタバタしてると創造的な時間はいつまでたっても始まらない。
なのに、開演時間は無情にもやって来て、幕は上がっていく…のであった。

うーん、やはり話がそれてきてるか…。 
いや、「演劇のおもしろい」ところを見失わなければ、稽古場でも本番でも密度のあるいい時間が流れているにちがいない。です。はい。

「身をととのえる」

なんだか落着いた言葉になってしまったが、これが二つ目のポイント。
レッスンでは「体や声についての技術的なことをやります」と説明してる。演じる前にストレッチや発声練習をするけど、まずはよく自分の身体を知り、身体の技術として身につけましょう、というところかな。

今「身につけましょう」と書いたけど、「体」ではなくて「身」としたほうが広がりがある気がして、そうしてみた。「体」とすると肉体としての意味に寄り過ぎてしまう気がする。どうだろう、しませんか?

国語辞典から言葉を拾うとね。「身」については、
身のほど
身を引く
身を寄せる
身を固める
と、社会的な存在としての意味があったりもする。「私の身になってくださいよ」とかね。 そうした単純に肉体としての体だけじゃなく、身体をとらえてみたい。

声についても、その発声のための身体運動だけではなくて、声の響きやエネルギー、それによる働きも含めて、一つの拡張された身体的イメージとして捉えることができないか。
それらをひっくるめた存在として漢字一つで「身」としてみた。今国語辞典をパラパラめくりながら考えたので、あまり自信はないのだが。

それから「ととのえる」は、整理整頓の「整える」というよりは、「調える」の方かな。調子や調和といった熟語をイメージしてもらえるといい。

さて、あなたには「からだ」があり、「こえ」がある。それはあなただけのものだ。あなただけの「からだ」と「こえ」を使って演じる技術は、あなたにしか見つけられない。と、ひとまず言い切ってみる。

音楽の演奏を比べてみてほしい。
ある楽器の演奏は、演奏家が変わってもそれをすぐに特定するのは難しい。「きらきら星」は、今でも学校の授業で習うみたいだけど、あなたはニシワキのリコーダー演奏と小学四年のウチの息子の演奏を聞き分けられるだろうか。 
世界的ピアニストの演奏なんてのは、聴く人が聴けば一発で分かるのかもしれない。けれど、一般の人には楽器の違いはすぐにわかっても、演奏家の違いは簡単には聞き分けられないだろう。

ところが俳優の場合は、同じ役の同じせりふでも、俳優が違えば一般の人でもすぐ気づく。アニメの「ルパン三世」の声が山田康雄さんから栗田貫一さんに代わるとおおよその人がその違いに気づく。栗田さんのあのすごい声色の技術でも。例えが古くてわからない人は、「ドラえもん」でもいいです。

演劇の場合、俳優の違いは大きい。 俳優の違いというのは、音楽の演奏家の違いより、楽器の違いに近い。あなたという俳優はプレーヤーであり、あなたという楽器でもある。その楽器を調える、楽器の手入れをしたり調律できるのはあなただけで、その演奏方法も、詰まるところはあなたにしか分からない。
というのが、ニシワキの俳優の身体への見方。

これもやはり大きなテーマなので、ひとシーズン3ヶ月かけてやることにしている。

「本にむかう」

はい、これが最後。
三つ目は、作品や、戯曲について。

まずは、いろんな台本のスタイルに触れること。そして台本の読み方を知ること。

この基礎クラスでは、名作と呼ばれているもの、演劇史的に評価されているものから、なるべく違ったスタイルの戯曲を読んでいく。ほんとは、そういった作品をたくさん観劇して欲しいんですけど、それはそれぞれが時間をお金をつくって観に行ってもらうしかないので、レッスンとしては「戯曲を読む」ことがメインになる。

それから、実際に演技する上で、戯曲をどう読むか、どのように分析するかという、技術的なことも扱いたい。

パターンと呼んでも、フォーマットでもいいのだが、戯曲は構造的に理解できた方が、扱いやすい場合が多い。枠組みを決めてしまうと、それが邪魔になる場合もあるだろうけど、基本として押えておいた方がいい。
これも一つのシーズンとしてやります。

台本のはじめには、【登場人物】が並べて記されている。あなたの手に台本があるのは、その作品世界に登場する人物(人間)を、あなたが演じるためだ。
ということは、そこで俳優はなにを表現するのかといえば、それはまず人間。当たり前だけど。

この世界にはいろんな作品があるから、中には(いや、けっこうあるけど)擬人化された人間以外の生き物や、この世のものではない存在も登場する。
ロボットとかアバターとかもあるな。
それから、人物というよりは、「世界」や「宇宙」や「歴史」や「物語」を語ることが役割となる場合もある。
いろんな役があるけど、それらも「人型」や「擬人化」「人間の姿を通して」など、いろいろ方法はあるにしても、「人間」としてある。
なので俳優として表現活動をするということは、どうしても「人間」がテーマとなる。

これもよく言われるけど、俳優をやるなら人間観察が大事。
人間嫌いの俳優というのもありかもしれないが、人間をよく観察し理解を深めることはしたほうがいい。
人間という種
自分という存在
自分(自己)と他者
人間が作り出す社会
家族、組織、団体、階層、大衆
人間が群れとなった時、個人はどんな顔をしているのか。 …とかとか。

名作と呼ばれる作品には、時代やスタイルをとわず「人間」が描かれている。その人間観に普遍的なものがあるからこそ、繰り返し上演される名作なのだろう。

というわけで、三つのポイントをあげてみた。

まあ、ポイントというには大きな括りだから、テーマといったほうがいいのかもしれない。でね、これは、稽古場で俳優から質問や相談を受けた時に、よくアドバイスすることつながってまして。

ほんとニシワキもよく口にするのだけど、「もっと戯曲を読んでごらん」と。これは、三つ目のポイント「本に向かう」の、そのままです。

次によく「基本となる技術の未熟さ」を指摘する、つまり「発声やからだの使い方ができていない」ということ。
いくら台本を読み込んでも、そのせりふの分析も的確だとしても、聞き取るのにストレスのかかる発声じゃダメじゃない、やっぱり。緊張したからだのままじゃ、それによって声を潰してしまっては…となったら、伝わるものも伝わらない。これは、その場で解決できない場合もある。継続的な課題だね。
で、これが二つ目のポイント「身をととのえる」に対応する。

そして、身体的な準備もできていて、台本もよく読んでいて、稽古もしっかりやってきて、それでも「おもしろい!」ってならないことがある。俳優としては「やることはやってきた」のに、人物の関係に緊張感が生まれないとか、舞台上に躍動感がないとかね。俳優が肌で感じるようなところ。これが、むずかしい。
むずかしいんだけど、それはおそらく演劇の根本的な力を失っているのでは…というのが、「演劇のおもしろい」という、第一のポイントだったりするわけさね。

そんな時ニシワキがなんていうかというと…「目の前でなにが起きているのかよく見て」「その瞬間の話をよく聞いて」とか言ってます。あと「演劇の冒険心を失わずに」とか、「今日もフルスイングでいきましょう!」とか、意味がよく分からないことも言ってる。

そんなこんなで、

そろそろお終いにしますが。

演劇を続けていると、さまざまな場面で悩んだり、考えることが多い。繰り返しになるけど。

その日の稽古の課題に悩む
与えられた役に悩む
演出との関係に、共演者に悩む
毎日稽古を重ねるが、どうもうまくいかない。自分の演技がどこか空回りをしている気がする。 公演の度に、本番のステージの数だけ、悩む、考える。

でも、悩みが多いのは、それだけ「演劇のおもしろい」ところを知っているからかもしれない。

でもでも、共演者の中には、そういった悩みなどなく、あったとしても割り切って舞台上では自信にあふれた演技を見せている。そんな姿を間近で観ていると、自分は俳優に向いていないのではないかと、さらに悩む…。

そんな時、立ち戻る場所としても、この基礎クラスを設定してみた。 演技に限らず、煮詰まったら立ち返る「基本」となる場所はあったほうがいい。
そういうクラスにしたい。

今日あげた三つのテーマを、それぞれ3ヶ月全10回を1シーズンとして、これからもそれをグルグル回していこうと考えている。 
今回はその中の「演劇のおもしろい」をnoteにしてみたが、他のシーズンもいつか書いてみるかな…。
それまでには少しは書き慣れているかな…うーん。

そんなこんなで、

お連れ様でした。


参考図書

参考にしてみて、という本をいくつか紹介しておきます。

もともと本を読むことがどうにも苦手なので、正直たいして演劇書は読んでいない。不勉強この上ない。演出家、演劇の専門家の試験があったとしたら、ニシワキは受からない自信がある。(よくない)

そんなニシワキでも(そんなニシワキでも読めた)本を選んでみる。
で、演劇をはじめたばかりのみなさんには、やはりこのタイトルの本を紹介したい。
ずばり、「演劇入門」。

ニシワキの本棚には今時点でこのタイトルの本が三冊ある。今Amazonで検索してみたが、どうやら日本の現代演劇人が「演劇入門」というシンプルな題で著したものは、この三冊だけのようだ。(他にあったら教えて下さい)
出版年順に並べてみる。

「演劇入門」福田恆存 1981年
「演劇入門」平田オリザ 1998年
「演劇入門」鴻上尚史 2021年

福田著から平田著までが、17年の間があり。平田著から鴻上著までの間が23年。
三人はそれぞれ時代を代表する演劇人であり、その演劇の考え方が分かりやすく読めます。(世代としては、平田氏より鴻上氏が上で、登場、時代を代表するという意味では平田氏のほうが後になる)
同じ演劇人でありながらそれぞれのフィールドや関心の違いもあって読み比べるのも楽しい。(ま、ニシワキの感想ですけど。このお三方に、ニシワキは大変影響を受けている)

福田恆存著

同じ「演劇入門」というタイトルを付されているが、他の二冊よりちょっと専門的というか対象が違うかな。福田著は劇団員や演劇の研究生に対しての「入門書」。演劇の歴史から、日本の近代演劇(新劇)の考え方がよくわかる。書き下ろしではない。また初出も時代に幅があり、1981年という出版年にはあまり意味がない。
少し見出しを拾ってみますか。

演劇の発生について/カタルシスについて/演劇の特質/劇と映画/せりふについて/戯曲読法/言葉は行動する/演技論/演出論/日本劇史概観

と、いった感じ。
ある程度演劇の教養が必要になるところもあるが、俳優という演劇の専門家になろうとするのであれば、このくらいの概論は読んでみたい。

平田オリザ著

平田著は、演劇の知や技術を創作の現場から社会にひらいてみせる、といったところ。これも見出しを拾ってみますか。
(わざわざ見出しを拾って見る気になったのは、あとで自分が調べ物をする時に役に立つなと思っただけなんですけど)

リアルな台詞とはなにか/テーマについて/セミパブリックな空間/シナリオと戯曲の違い/情報量の違い/うまい・へたの根拠/コンテクストのずれ/90年代に生まれた新しい演劇の特徴/市民社会と演劇

ニシワキが演出やレッスンする時に出てくる用語は、平田氏からお借りしているものが多い。その意味でも、参考図書としておすすめします。

鴻上尚史著

あれこれ説明するより、見出しを拾うのが有効だと気づいたので、こちらもいきます。

演劇とはなにか?/人間は演じる存在/演劇と映像はどう違うのか?/ライブであるということ/神なき祝祭/映像は小説と演劇の中間/リアリティの幅/芸術と芸能の違い/演劇の面白さは俳優の面白さ/なぜ子供達に演劇が必要なのか/演劇の上達について

鴻上さんは、本当に説明が上手なので、ニシワキのように読書が苦手という人には、まずこちらをすすめます。
《はじめに》に、こう書いてあります。

もっともっと、人々が演劇に親しむきっかけになればいいなと思って、この本を書きました。『演劇入門』ですから、各論に深入りはできませんが、演劇全般、演技、演劇的知識、演劇的手法、演劇教育などを楽しく伝えたいと思います。

もう安心して手に取ってみてください。

三氏とも著書が多く、この三冊から芋づる式に演劇書を読んでみるといいと思う。それぞれの戯曲も読まれたい。また演劇だけではなく、それぞれの演劇の「知」から社会に対して批評や提言を多くしている。ぜひ、読んでみてほしい。


レッスンの中で紹介した本、これは参考になる!という本を最後にリストにしておく。

●竹内敏晴 『ことばが劈かれるとき』『劇へ からだのバイエル』
※第5回「ひらく」でふれている竹内敏春さんの本。

●鴻上尚史 『演技と演出のレッスン』『発声と身体のレッスン』
※第8回「サブテキスト」について、それから「身体」について、鴻上尚史さんが、これまた詳しく楽しく書いてくれています。

●平田オリザ『演技と演出』『下山の時代を生きる』
※同じく第8回でふれている「日本語の演劇」ということでは、平田オリザさんのこちら。

●喜志哲雄『シェイクスピアのたくらみ』『喜劇の手法』
※戯曲にはどういう仕掛けがあるのかが、とても面白く読める二冊。

●メリッサ・ブルーダー他/絹川友梨 訳『俳優のためのハンドブック』
※役がついた、台本を手に取った、さてどうする? って時の、とても実践的に
読める、おすすめの一冊。

他にもまだまだあるけど、手に取りやすい新書や、文庫になっている本を中心に選んでみました。
読んでみて。

以上。
おしまい!


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