【怪談】怪々珍聞⑤ー怪異の発生する「場所」

 前回、怪異の発生する要素の一つとして「時間」を挙げましたが、次に「場所」について、かつての怪談と現在の怪談で共通する点はあるのかについて考えていきたいと思います。
 
 怪異が発生する場所は怪談によって異なります。近代以前の日本であれば、深い山奥で山姥に襲われただとか、水辺を通っていると河童に川へ引きずり込まれたなど。そして現代であれば深夜の学校の音楽室でピアノがひとりでに鳴るといった話や、心霊スポットのトンネルを車で通ったら赤い手形があちこちについていた話など様々です。もちろん、お墓などの時代を超えたお馴染みの場所もありますが、必ずしも幽霊や妖怪やそういった定番スポットにのみ現れるわけではありません。
 怪異は様々な場所で発生しますが、時代を超えて共通する点はあるのでしょうか。先程の記事で参考に出した小松和彦さんは著書『妖怪文化入門』の中で、怪異の発生と空間的「境界」が関連すると述べられています。ここでも「境界」が一つのキーワードとして出てきました。では実際に場所的な「境界」とはいったいどの様な場所を指しているのでしょうか。小松さんは例として「辻」と「橋」を挙げています。これらはどちらも、ある空間と別の空間を結びつける中間領域としての役割を果たしています。
 
 なぜこの様な空間的境界で怪異が発生するのでしょうか。これについて、民俗学者で小松和彦さんとおなじく妖怪学の研究で高名な宮田登さんの『妖怪の民俗学』を基に考えていきたいと思います。

 宮田さんは、妖怪変化や超常現象が生じやすい場所が民俗的空間には存在し、その場所の例として小松さんと同様に「辻」と「橋」を挙げていました。どうやら辻や橋といった境界の役割を果たす領域は霊力と関わる特別な場所(境界)として民俗学上では考えられており、今までにたくさんの研究がなされているようです。
 さて、まず「辻」についてですが、かつての日本人はこの「辻」という場所を特別視しており、例えば、岐阜県賀茂郡では無縁仏を慰霊するために盆の14,15日に14,5歳の少女が道の土時にかまどを作って煮炊きをし、共同飲食を行うという行事を行っていたり、通りがかった人に赤ん坊を預ける「産女」という妖怪もしばしば辻に現れるというフォークテイルが語られるなどされています。宮田さんはこの様な事例から「『辻』は霊魂が集まりやすい場所であり、『あの世』と『この世』境に当たる場所だという考え方は一応の裏づけを持っていると言えるだろう。」と述べています。つまり、「辻」という中間領域はある場所とある場所を結ぶ空間的境界であるとともに、現世と異界を結ぶ観念的な境界としての意味合いを持っているんですね。
 つぎに、「橋」についてですが、宮田さんは川を挟んで向かい合う2つの別々の空間を結ぶ境界であり、橋の上があの世とこの世の境でもある、辻の性格を有していると説明しています。橋が辻と同様にあの世とこの世の境界であるという論の根拠として、宮田さんは日本各地に存在する「幽霊橋」と名付けられた橋の存在を挙げています。各地の幽霊橋には字のごとく幽霊にまつわる伝承を持った橋が多く、宮田さんはその一例として東京の本所にあった幽霊橋を挙げています。この幽霊橋はかつてこの橋で座頭が殺されたことがあり、それ以降明け方になると橋の向こうとこちら側を行ったり来たりする座頭の幽霊の足音が聞こえることからこの名前がついたという説や、雨の夜に幽霊のような姿が見えたから幽霊橋という名前がついたという説など様々な説があるのだそうですが、ともかく橋の上でなにか不思議な事件が頻発するということからこういった名前がついたとされています。他にも宮田さんは、京都の一条戻り橋に、その橋が陰陽師安倍晴明の使役していた式神の住処であるという伝承があることや、一条戻り橋を葬列が渡っていたところ、死者が生き返ったという伝承があることから、「戻り橋」という名称が、あの世からこの世へ霊魂を戻すことから来たと説明しています。これらの根拠を以て、宮田さんは橋の上があの世とこの世のとの境界に当たる辻を意味していると述べます。

 さて、これまで宮田登さんの論考を用いて、怪異の発生する境界としての「辻」と「橋」について述べてきましたが、ここで改めて宮田登さんが『妖怪文化入門』の中で述べた境界に関する部分と絡めて考えていきたいと思います。
 宮田さんは、境界は秩序と反秩序の2つの異なるカテゴリーが交錯したところに現れ、恐怖が生まれると述べていました。今回取り上げた「辻」と「橋」という中間領域も、あの世(反秩序)とこの世(秩序)が交わる場所であり、そこにしばしば怪異が生まれるということではないでしょうか。そして、この様な怪異の発生する境界空間は「橋」や「辻」以外にも、現代に存在すると個人的に考えています。例えば、冒頭でも述べた、定番の心霊スポットである墓地もそうではないでしょうか。お墓は死者が眠る場所であると同時に、生きている人々が訪れ、死者を追悼するという、あの世とこの世とが交わり、境界が生まれる場所でもあります。また、トンネルも一つの境界として考えられかもしれません。トンネルは橋と同様に、ある空間と別の空間を結びつける中間領域であり、いくつかのトンネルが心霊スポットとしてネット上で話題になっています。それらのトンネルがいわくつきとなった理由として、過去そのトンネルで殺人事件があったという理由や、トンネルの工事中の事故で多くの作業員がなくなったなどの理由しばしば語られます。
 この手の話には作り話も多いと思いますが、嘘か本当かに関わらず、心霊トンネルがその様な伝承を持つことは、すなわち、トンネルがあの世とこの世との境界としての属性を持っていると人々に無意識に考えられていることを意味しているのではないでしょうか。この様に、怪異が発生する場所のいくつかは「境界性」を持つという点で共通していると言えるのではないかと思います。

 
 さて、前回の記事と今回の記事ではそれぞれ怪談における場所と時間について境界の目線から述べてみました。その結果、怪談において、怪異の発生する場所と時には境界という要素が関わっている場合があるということがわかりました。もちろん、小松和彦さん自身も「『境界』がつねに『怪異』の場所というわけではない。」と述べておられます。しかし、小松さんは、「しかし、『怪異』はつねに『境界』と関係している。『怪異』という概念には『境界』という語彙が張り付いているわけである。」とも述べられています。
 これから読者のみなさんが聞かれる怪談の時間や場所の中に境界を見出してみても面白いかもしれません。また、橋や辻を通る際は幽霊や妖怪に襲われないようご用心を・・・


<参考>
・宮田登『旅とポトスの精神史 妖怪の民俗学 日本の見えない空間』(岩 
 波書店、1985、p.120~143)
・小松和彦『妖怪文化入門』(せりか書房、2006、p.296~297)

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