【怪談】怪々珍聞④ー怪異の発生する「時」

 さて、これまで主に近世と現代の怪談を比較して、話に出てくる人物やモノは時代によって異なる一方で、話の型は共通するものがあるということがわかりました。
 ところで、今と昔の怪談で共通する要素といえば、幽霊や妖怪が登場する「時間」があります。幽霊や妖怪はたいてい暗くなった頃に現れて怪談の主人公を脅かします。白昼堂々と白装束の女性が街なかで「うらめしや~」と人を脅かす怪談はあまり想像できませんし、そういった話もあまり聞きません。大抵の怪談に登場する幽霊や妖怪は陽の光が落ち始めた黄昏時や草木も眠る丑三つ時に姿を表し始めます。これはある種当たり前のように思われるかもしれません。
 しかし、なぜ幽霊や妖怪は脅かせる人や恨めしい人がそこら辺を歩いている日中ではなく、辺りが暗くなった頃を好んで顔を見せ始めるのでしょうか。今回は怪談における怪異が発生する「時間」の共通性について調べてみました!

 
 妖怪研究に多大な功績がある民俗学者の小松和彦さんは、怪異が発生する重要な要素の一つとして「境界」の存在を挙げています。小松さんは境界について著書『妖怪文化入門』の中で以下のように述べています。「『境界』は二つ以上のカテゴリー(=秩序)が相接し交錯するところである。そこは『秩序』に対して『無秩序』あるいは『反秩序』の世界である。そのような領域と接したとき、「我々」(=秩序の側の人々)は日常の感覚とは異なった感覚に襲われ、ときには快楽を、また時には恐怖心を抱くこととなる。(中略)「怪異」はそうした領域に立ち現れてくる。」難しい言葉がたくさん並んでいますね・・・
 ところで、一般的に「境界」というと、県境や国境などの物理的なものを指す言葉だと考えてしまいがちですが、民俗学や文化人類学ではそういった物理的概念にとどまらず、民族間における境界や、社会のなかで生み出される観念的境界など、様々なものの間に「境界」が見出され、研究がなされています。小松さんは同書において、「境界」としての「時」を想像することも可能であると述べており、最も典型的なのが「生」と「死」の間に横たわる境界であり、その境界を象徴したものがあの世との境界にある三途の川の河原、つまり「賽の河原」であるといいます。

 さて、話を戻して小松さんが提示した「境界」の概念を、私なりに怪異の発生する「時間」に対して適応してみます。太陽が地上を照らす「日中」は我々の秩序が行き届き、自由に行動することができますが、夕方になり、地上を照らす太陽の光が乏しくなると、闇が地上空間を侵食し、我々の行動は制限されていきます。この闇は我々の秩序が行き届かない反秩序の状態であり、秩序だった時間である日中と反秩序状態である闇の部分が交錯する「黄昏時」に「境界」が生まれます。その境界に際した時、ゆっくりと世界を真っ暗に染めていく闇に対して人々は様々な恐怖を感じ、その心の隙間に妖怪たちが顔を見せ始めるのではないでしょうか。


<参考>
小松和彦『妖怪文化入門』(せりか書房、2006、p.296~297)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?