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現代に、雷オヤジは必要なのか?

今では、ゲンコツを人前でするような親は

いませんが。

つい最近までは、何かと「あれしろ‼︎これしろ‼︎

と、命令口調で、

言うことを聞かないと、手をあげる親も多かった

と思います。

だからこそ、締めるところはしめて、

メリハリのある人間になれていたのかも
しれません。

しかし、この考え方は、もう古い。

と言うか、ナンセンスでしょう。

その場だけの、忠誠心は本物ではないからです。

今日は、子供の「集中力」について、

お話をして行きたいともいます。

サッカボールには、見えない世界

皆さんは、「抽象的」と言う言葉をご存知でしょうか。

抽象的とは、具体性に欠けていて、

実態が明確でない時に、使われる言葉です。

ここには、肯定的な意味と、否定的な意味が

あります。

では、抽象度とはなんでしょう?

サッカボールを思い浮かべてください。

多くの方が、⚽️このようなボールを思い

浮かべたことでしょう。

次に、ボールを思い浮かべてみてください。

ボールは、野球、バスケット、テニスと、

サーカー以外にも、様々なボールがありますから、

一概に、同じボールを思い浮かべたとは、

言い切れませんよね。

この、ボールをイメージしてもらうために、
○や玉を思い浮かべてください。

と、カテゴリーを広くしていくことで、

想像力が、広がって行きます。

この状態を、抽象度が高いと言います。

では、抽象度の反対語はなんでしょう。

カテゴリーを徐々に狭くして行き、

最終的には、誰々が持っているサッカーボール、

となれば、より具体的にイメージができます。

この状態は、具象度、具体度が高い状態です。

この時、抽象度は、低くなります。

何が言いたいかと言うと、皆さんもお気づきに

通り、具体的に教えれば、より迅速に物事を

把握し、覚える事ができます。

一方、抽象度が低く、具象度が高くなると、

想像力が乏しくなり、一つの目でしか物事を

見れなくなると言う事です。

子供に、必要なのは、

より、広い視点で物事を見て、「正しい」を疑う

思考を持つ事です。

なぜ、それが正しいのか。

もしかしたら、これは正しくないかもしれない。

この両面を、考えた上で出した事えが、

その子の知識や経験として、記憶されて行きます。

ですから、雷親父は一つのことしか教えられないので、

必要ないと、私は思います。

「集中しろ」と言われている時は、嫌なとき

皆さんは、

「食事に集中しなさい」

「勉強に集中しなさい」

と、子供に対して言ったことはありませんか?

私は、良く言っていました。

しかし、「集中しろ」と言っているときは、

逆を返せば、「集中できていないとき」です。

子供が、本当にそうしたいと、思っていない

のに、いくら声をかけたところで、

なんの意味もありません。

私は、苫米地秀人さんの著書「習慣」を

呼んで、さらに子育てが楽しくなりました。

その本の、中に出てきて言葉は、

「子供は甘やかせば良い」

と言うものでした。

叱りつけるのではなく、大人との差を仕付ける。

親は、子供に信頼されたい、尊敬されたい。

そう思っています。

子供もまた、親に信頼されたいと、思っています。

「Have to」を「Want to」へ

やらなければならない。

ではなく、

やりたいを増やしていくことで、集中力はUpします。

聖徳太子が、何人もの話を同時に聞けた、

と言う晩話がありますが、

人間の脳は、一度にいくつものことをこなせる

仕組みになっています。

例えば、RADWIMPSの野田洋次郎さんは、

ピアノを弾きながら、歌を歌います。

手、足、口とバラバラに、リズムを刻みながら、

一つの曲を歌い上げます。

このように、無意識に落とし込めば、

人は、いくつものことを、同時に行う事ができます。

なので、子供が何かに「集中できていない」と

思った時は、

「子供がやりたいことではない」と理解し、

色んなことに、目移りしてしまうのであれば、

「脳が鍛えられるチャンス」と思って見守る。

これが出来れば、雷親父は、本当の意味で、

現代の子育てには、必要がなくなるのです。

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