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ほんとだったら、一番大事にしてくれるはずのお母さんが、私のことぶったり捨てたりしたから、お母さんにそんなことされる自分って、一体なんだろうって‥自分の価値がわからないんだよ。人付き合いもずっと怖いし、私なんかとは別の世界に生きてるんじゃないかって、そういう思い込みで、大事にしたかった人のこと切り捨てたりした5
…私は普通じゃないから、皆みたいにちゃんとしないとって、ずっと人の顔色をうかがって、人目を気にして、欲しいものを欲しいと思わずに、言いたいことを押し殺して我慢してきたら、自分の気持ちがわからなくなった…
…私には、やりたいことも、好きなものも何も無い。なりたい自分も、わからない。私に価値ってあるのかな…
「人生って、あと何十年もあるんでしょ‥また、こうやった底まで落ちて這い上がっての繰り返しなの‥?」
…いつまで続ければいいんだろう。このまま思考が途切れて、こんな自分も何もかも無くなればいいのに…
…信じてみようって思った母親に約束を破られて、猜疑心でいっぱいになった。もう傷つくたくないって自分のことばかり考えた。そして、太陽君のこと、あんな風に切り捨てた…
『明日、私は誰かの彼女』雪の脳内言葉と言葉です。
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トラブルが生じる「人間関係」や、面倒な「人間関係」は、皆、同じパターンで成り立っています。
どの場合も①犠牲者②迫害者③救済者の3者が登場人物です。
1人1人が悪いという事もありますが、それ以上に、関係性が悪いのです。
![](https://assets.st-note.com/img/1720048133602-U2FDHX4Fzm.png?width=1200)
「自分の所に受診に来る人は、大体人間関係に困っていて、全員がこのトライアングルにあてはまっている。」
1968年アメリカの精神科医であるカープマンは、この悪い人間関係を「DDT(恐怖のドラマトライアングル)」と名付けました。
今日は「犠牲者」について、知識を深めていきましょう。
「恐怖のドラマトライアングル」の中では「犠牲者」「迫害者」「救済者」が必ず登場し、相互に絡み合い、時に役割を変えながら、無間地獄の様に、悪い関係を繰り広げています。
「犠牲者」は「恐怖のドラマトライアングル」の主人公です。
『ドラえもん』ならのび太『シンデレラ』ならシンデレラが、「犠牲者」です。
「犠牲者」は、親から虐待を受けたり、クラスメイトに苛められたり、上司にパワハラを受けたり等、不幸な状況にいます。
否、客観的に見たら、そうではない場合も多いのですが「犠牲者」本人は、強くそう思っています。
「犠牲者」という言葉から「かわいそうな人」という印象を持つ方も、多いのではないでしょうか?
「犠牲者」本人も、自分の事を「かわいそうな自分」と強く思っている事が、非常に多いです。
「犠牲者」は、いつもトラブルに遭う自分・いつも嫌な目に遭う自分・いつも大変な事が降りかかる自分という悲劇の中心で、生きていると感じています。
そして、自分をそんな目に遭わせているのは、誰なのかを、常に探しています。
常に「かわいそうな自分」と「ひどいあなた」という世界観の中で、生きているのです。
「犠牲者」の心の底には、喪失体験があります。
たとえば、誰かに裏切られた経験から「この人は、信頼出来る人だ。」という世界観を喪失します。
そこで「人を信用してはいけない。」と思い出します。
これにより「誰も信じられない。」という世界観が、その人の中で構築されます。
こうして「犠牲者」が、作られていきます。
生きていれば、誰もが、辛い事・悲しい事・悔しい事が、に遭遇します。
辛い事・悲しい事・悔しい事等に遭遇すると、私も、あなたも、誰もが「犠牲者」となります。
しかし、自己肯定感が高く、自分の人生を生きている人は「犠牲者」である時間が、少ないのです。
ただ、いつも「犠牲者」の人がいます。
あなたの周りにも、いつも「犠牲者」の人が、いる事でしょう。
「犠牲者」は、問題が1つ解決したと思ったら、またすぐ別の問題を抱えます。
まるで、自らが「犠牲者」でいる状態を求めているかのように‥。
たとえば、常に誰かの文句を言っている人がいます。
パートナーの文句を言っていたと思ったら、今度は上司の文句を言い始めます。
上司が変わったら、次は同僚の文句を言い出します。
その状態を実際に見ていない人からみると、上記の人は、常にひどい人達に囲まれていてかわいそうに思えるかもしれません。
しかし、実際には、意識的にせよ、無意識的にせよ、上記の人は、そういう所にいる事を、自分で選択しているのです。
常に「被害者のポジション」を探しているのです。
「犠牲者」でいる事の、メリットは何でしょうか?
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