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神さま、どうかぼくを非モテの弱者男性のままでいさせてください。

 スキャンダルって、ありますよね。日本語に直すと「醜聞」というかなりどぎつい字面になるのですが、有名人が世間的に好ましいと思われていないことをしでかしたことが発覚するというほどの意味だと思います。

 最近では、どこまでほんとうなのかわからないものの、芸人の松本人志さんの女性問題などが取り沙汰されました。広末涼子さんの不倫問題なんかもありましたね。

 で、今回はそのスキャンダルについて書いてみたいのですが、いえね、べつに「こういうスキャンダルを起こすような人物はけしからん!」とか、あるいは逆に「スキャンダルジャーナリズムに傾倒しがちなマスコミはいかがなものか?」みたいな話をしたいわけではないのです。

 そういうことではなく、「どうして人間ってそういうスキャンダラスなできごとに陥ってしまうのだろう」ということを考えてみたい。

 まあ、何しろぼくは金銭とも名誉とも一切縁がないきよらかな人生を送っていますから、そういった醜聞に対して多少の嫌悪感があるわけなんですよね。

 それはまあ、ぼくもいい歳なので、中学生のように潔癖に君子だとか紳士みたいな生き方だけを良しとするわけではないのだけれど、でもねえ、一芸を究めて栄達した人物が、行き着くところが結局は「カネとオンナ」というのは、何というかこう、つまらないなあと思わずにはいられない。

 結局、承認欲求かよ、というか。もっと他にないのかよ、と思ってしまう。

 何だろうなあ、人って結局、カネだとか名声だとかセックスだとか、そういう「社会のしがらみ」みたいなものから逃れられないのかなあと思うとうんざりするといえば良いでしょうか。

 いや、べつにお金もセックスも良いと思いますよ。というか、ぼくだってお金は欲しいし、モテたい。プアで非モテなのはべつに望んでやっていることではありません。

 だけど、だけどです、それが「過剰」になってしまうと、やっぱり「結局それか」みたいな気がするんですね。ぼくは本質がオタクなので、あまりそういう俗っぽい方向に進みたくないのです。

 まあ、それも「酸っぱい葡萄とキツネ」みたいなところがなきにしもあらずで、ぼくだってもしお金のある有名人になれば「酒飲んで若い女の子をはべらせてやるぜ、ゲヘヘヘ」みたいなことをいい出さないとも限らないのだけれど、でも、やっぱりそういうのは何か「違う」と感じてしまう。

 精神の骨格がそういう、いってしまえば「俗っぽいリア充」的なものに合致していないと思うんですね。

 そういった卑俗なもの、この世のもの、地上のものから遊離して遥か天上をめざしたいというところからスタートしているわけですから。

 決してお金もセックスも疎んじるわけではないけれど、それが「人生の目標」といえるかというと、ぼくにとっては違う、としかいいようがありません。

 だから、ある道の果てまで行き着いたかと見える人が、若い女の子と、カネで札束ひっぱたくような方法で関係を持って大問題になった、なんて話を聞くと、自分はそういうこととは無縁でいたいなあと心から思います。

 いや、そもそもからしてリア充になんてなりようもないただのおっさんなのだけれど、それでもね、そういった脂ぎった世界とは無縁のまま一生を終えたいものだな、と思わずにはいられないんですね。

 そういう意味では岡田斗司夫さんという人は良くもまあ、ああもスキャンダラスな人生が送れるものだな、といっそ感心しますね。あの非常に生々しい存在感にぼくは何かげんなりしつつ、ようやるわと感じているのだと思います。

 その岡田さんの女性スキャンダルも、YouTubeあたりへ行くとまったく知られていないようでもあり、不思議な気持ちになるのですが、まあ、それはともかく、あそこまで行くと偉いものだよなあとも感じる。

 同じオタク論客でも唐沢俊一さんなんて悲惨の窮みみたいなことになっているのに、どこに差があるのだろうなあ。

 ええ、ぼくは一生、なるべく清い身でありたいと思います。そうはいってもお金儲けをしなければ生きていけないことはたしかですが、そのお金も好きなアニメでも見て楽しく時間をつぶすことに使いたいですね。

 浮世の沙汰にはできるだけ関わらないでただのいちオタクとして人生を終えたい。ほんとうに本気でそう思っています。負け犬の遠吠えといえばそうかもしれないけれどね。ぼくは非モテの弱者男性で十分満足です。

 スキャンダラスな出来事と無縁に、ただ好きなことだけして生きていく、それがしあわせではないでしょうか。違うのかなあ。うーん。

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