きわめて個人的な読書感想文 『深く、しっかり息をして 川上未映子エッセイ集』

初めての好きな作家は川上未映子だった。高一でジャケ読みした『発光地帯』は一段落をまるまる暗記しているほど心底愛していた。

「二十代の初めごろ、すごく好きでちょっとのあいだであってもどうしても離れられなかった人に、独りきりでいることに耐えられないふたりなら、一緒にいつづけることなんてできないんだと何度も何度も言われたけれど、そのときはそうかもしれないと苦しみながら思ったけれど、あれはほんとうのことだったのだろうか?このふたりを見ていると、かたときも離れず一緒にいなきゃ死んでしまうってふたりにしかゆけない場所が確実にあるように、そんな時間があるように、それはとても思ってしまう。わたしもそこに、ゆけたかもしれなかったその場所を、ふたりは今日も散歩していて、そこにはあたたかな雨が降り、いたわりあうような音楽が流れ、それらを丁寧にかさねてゆく。世界にふたりだけしかいなくなってもほんとに生きてゆけるようなそんなふたり、それは友情でも恋人でも夫婦でも呼び方はなんでもかまわない。大事な人とは離れてはいけないのではなかったか。そうでなくてもわたしたち、いつか必ず離れてしまうときはやってくるのだったからたったいま大事に思うのならあれこれあぐねて離れてしまうことはない、世界なんか私とあなたでやめればいい、そしてもう一度、わたしとあなたでつくればいい。」

川上未映子『発光地帯』

私もそういう無二な関係を信じているし、それこそ友情でも恋人でも呼び名はなんでもかまわなくて、そういう世界があることが人生の豊かさであると価値づけてきた。

私たちはいずれひとつの土になってしまうのに、かつてひとつの地球だったのに、分離して生まれて、他なるものと出会う。からこそ、出会いや別れは刺激的で、その間に何らかの他者関係があるとするならば分離しつつ和することがおもしろいのだと信じている。
ただでさえ、生きているうちはひとつにはなれなくて、離れて存在する私たちなのだから、つかず離れずスレスレの妙を愉しむためにこそ物理的に傍にいたい。

今のパートナーとはとても仲良しで、今日あったこと、読んだ本、こないだの遊びについてとかくよく話すけど、共感しあったり考えを共にすることは少なく、おおむねいつも意見や捉え方、考えるリズムやスピードが食い違っている。
10代の私なら必ず、数年前の私でもおそらく、彼とともに居続けることは難しかったろう。当時は好きな人と「一緒である」ことや「理解できる」ことが今以上に大切だった。

大学生のころ、ずっと信仰していた川上未映子の考えや観点に急についていけなくなってしばらく離れた。高校生の頃は片っ端から読んで、特に小説よりもエッセイが好きで、生活リズムもオリジナルな川上、自分のための料理がテキトーすぎる川上、パスタばっかりでできた彼女の身体のなかに一本哲学的な問いが通っていることが感じられる文章、その全部が好きで、私が一番なりたい大人で大好き大好きだったけれど、ある時からフェミニズムの主張が強くなってから、今の私には受け取りきれないかも…という拒絶感がやってきて以前ほどの情熱で新刊を手に取ることはなかった。

ただ今年久しぶりにエッセイ集が出ると知って、自然と手に取って読み、受け取れた。
私自身も大人になって、酸いも甘いもぼちぼち経験して、歳を取って自然と自分以外のものになれなくなってきてしまったのと並行し、他者と「一緒」ではいられないことへの許容を獲得していった。違うまま共にいることが実は面白い、と思えるようになってきた。
久しぶりに読むエッセイは、2011年から2022年まで、震災からコロナ明けまでの長スパンで載っていた。その10年、川上自身の変化もありつつ、息子くんも生まれてもう以前のように茹でただけのパスタで暮らしている訳ではなさそうだし、生活リズムも完全に息子くんに支配されていた。けれども育児でふらふらな時でも彼女は今日も一本筋が通っていて、かつても感じていた哲学的な問いは、彼女の中でよりクリアなものになっていて、フェミニズム活動はより形になってきていた。10年経って、考えて、語ることの種類が通じている人のこと、信じられるなと思った。

一方で私も、たとえば今のパートナーとの関係性や、他者関係の価値観は、10年以上前に出会った川上の言葉に向き合い続けて進化させてきた賜物であると言えるし、当時からこの世界に対して気になることの種類はあまり変わっていなくて、側から見れば成長していないのかもしれないが、私にとってはその限られた一つふたつの解像度を上げていくことが高校生の私が憧れた私であると思えるのだからそれで良い。そんな風に、これからも川上と違うまま憧れ続けて共にいることができたら素敵だと、出会い直せた一冊だった。(川上未映子のことを考えるとどんどん一文が長くなってしまうファンより)

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