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雨音@Kamakura

タンタンタン…と雨の音が聞こえる。急な坂を登りきったところにある、この古い家に来たのは初めてだ。スピーカー越しに聞こえる、野菜を切る音でしか知らなかった台所や、話し声がいつもよりゆっくりになる寝室。

ぼうっと目を開け、ほとんどクセで、携帯の画面を確認する。
刺すように明るい光。まだ朝の3時前だけど、ずんずんと重い頭痛がしていて、もう眠れる気がしない。結局この1週間では時差ぼけが治らなかった。骨董品みたいな箪笥が視界に入る。2人が寝るために、シングルの掛け布団を横向きにしているから、足が出る。梅雨に時々ある寒い日だった。バンクーバーには梅雨がないし、まもなく来る夏は、天国と呼ばれているそうだ。……帰りたいな。無理をおして帰国したけど。

同じ布団に寝ているのに、一度も抱きしめられなかった。そばにいれば、偶然肩が触れたりせるものだが、それすら避けられているようで、これまでただの一度も触れられなかった。あの時、バンクーバーで一人に戻ってから何度も思い出して覚えた形が、果たして合っているのか、確かめようもない。

カタ、物音がする。
古い木戸が鳴る。とっさに目を閉じて、扉に背を向けた。靴を脱ぎ、靴箱の上にカギを置く。一つ一つの音を、私は知っている。いつも電話越しに聞いていたから。それがいますぐそこで、触れられるところで展開しているのに。私は触ることを許されていない。

ひとつ、知らない音がした。フッ、と息だけで笑う音。私が握った夜食のおにぎり、そこに置いたメモを読んだのだろう。直接確かめればいいのに、閉じた瞼の裏でその姿を想像するしかできない。どうしてこんなことになったの。

次は、きっと襖を開けるはず。
ぎゅうっと目をつぶる。心臓の音が早い。上下する胸で布団が浮き上がってばれちゃうんじゃないかなぁ。でも、私のこともう、みてないか。

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