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【小説】好奇心は泡に消える

深海に暮らす人魚のムツキは人間界に強い憧れを持ち、人間になることを夢みていた。ある日、勤め先の女主人が、条件をクリアできれば魔法で人間にすることができると提案される。ムツキは条件をクリアして、女主人の魔法で人間になり人間界へ行き、とある家族の子供として暮らすことになった。学校や旅行などで、まだ知らなかった人間界のことをたくさん学び、人間の生活を楽しんだ。大人になって、人間の男性と結婚することになった。このことを深海に暮らす幼馴染に伝えたいと思ったとき、体に異変が起きる。誰もが知るおとぎ話をベースにしたブラックファンタジー。読み切り短編。

今日も砂の中から、光る糸を何本も見つけた。
キラキラしていて好きだけど、今拾った糸が、しまっているお菓子の缶に、はいりきれるかな。

糸の他に、石や海藻とはまた違う、ツルツルとしたものも拾った。
いつも人間界のことを教えてくれるカモメさんはこれを「プラスチック」と教えてくれた。
これも糸の次に、よく見つける。

こんなのじゃなくて、まだ見たことないものが落ちていないの?

一昨日行ったばかりだけど、今日カモメさんがいる岩山に行ってみよう。
もしかしたら、なにか拾ってきているかもしれない。

手に集めた糸やプラスチックを握りしめて、わたしは仲間の人魚たちと暮らす城へ泳いでいった。


カモメさんがいうには、わたしが暮らす海の底は他の海の底より深いそうだ。
深いから、そこにしかいない魚がたくさんいて、人間たちはその魚を求めてここにやって来るという。

人間たちはそのとき、海の底にいろいろ落としていく。
よく落としていくのが、光る糸とプラスチックだ。
それで怪我をしたり、わたしたち人魚が食べる海藻の畑がダメになったりして困っていた。

城の人たちは、そんな人間たちをすごく嫌っていた。

幼いとき。
わたしは、人間のことを悪態を吐きながら、畑に落ちているプラスチックを拾っている大人たちに、
「人間って何?」
と聞いた。

大人たちは、
「この上に暮らす、悪魔みたいな奴らさ」
「私たちを捕まえるだけじゃなく、こんなものを毎日落としてきて、人魚を滅ぼそうとしてくる、恐ろしい奴らだ」
と上を睨んだ。
それを聞いて、人間ってそんなに恐ろしいんだ、と身体がブルっと震えてしまった。

「じゃあ、人間ってどんな姿をしているの?」
とまた聞いてみた。

すると大人たち全員、
「さあ。見たこともない」
と口を揃えていった。

「どうして見たことないのに、恐ろしいって思うの?」
「死んだ両親に似て、どうして、どうしてってうるさい子だね」
「人間を見に上へ行くなんて、わざと捕まえられにいくようなものだろう」
「良い。絶対に上に行くんじゃないぞ。絶対に!」
とわたしと、一緒にいた幼馴染のユメカとクロにいった。

そんなことをいわれると、一度で良いから人間を見に海の上に行ってみたくなった。
わたしは一緒に海の上に行こうと、ユメカとクロを誘った。

「ムツキ、何言ってるの!? 大人たちがダメだって言ってたでしょ?」
「そうだよ。それで人間に捕まったらどうするんだ。二度と戻れないって、父さんがいってたぞ」
「平気だよ。捕まらなければ良いだけでしょ」
「ねえ。お願いだから、行かないで」
ユメカは涙目にしながらいった。

まずい。
またユメカを泣かせた、と大人たちに怒られてしまう。
わざとじゃないのに、どうしてユメカはすぐ泣くのかな。

「……わかったよ。行かないよ」
と、海の上に行くという話はそこで終わった。

その日の夜。
わたしは城をこっそり抜け出して、海の上を目指して泳いだ。

どのくらい昇ったのだろう。
全方向は暗闇で、何も見えない。
城のみんなが起きる前に戻らないといけないから、どこかで諦めて引き返さないと。

そう思ったとき、辺りが明るくなった。

ここが海の上?
でもわたし以外、誰もいない。
上を見ると、ユラユラ揺れる光が見えた。

なんだろう?

それを近くで見るため、再び上を目指した。
子供の尾ひれで、長い時間泳ぎ続けるのは疲れる。
でも、人間がどんな姿か見てみたい。
わたしは、その気持ちを原動力にして泳ぎ続けて、ユラユラと揺れる光の前に辿り着いた。

綺麗だな、と手を伸ばすと、手は光に触れず突き破ってしまった。
光を突き破った手は今まで触れたことがない何かに纏われた感じがした。

わたしの手はどうなったの?
この向こう側に、なにがあるの?

わたしはそれを確かめるため、目を瞑って、顔を思いっきり光の向こう側へ突き破った。

目を開けると、突き破った先には水はなく、冷たいなにかが顔や首、肩などにまとわりついた。
そして、目の前には見たことがない大きな岩みたいな塊がいくつかあった。
塊からさっき見た光と同じ色の光を出していた。

あれが人間?
なんて変わった姿をしているの。

わたしはもう少し近くで見るため、もう一度海の中に潜って、大きな塊がある方へ泳いだ。
泳いでいると、大人たちが拾っている糸や糸に付いている棘が、たくさん浮かんでいるところを泳いでいた。
棘をかわしながら泳ぎ進み、今度はそっと光の向こう側へ頭の上から目まで出した。

さっきの大きな塊から、海の中で見た糸がたくさん垂れていた。
わたしはその糸にそっと触れた。
今まで大人たちに、その糸を触らせてくれなかった。
糸はゴツゴツした岩やドロドロとした砂とは違ってツルツルとしていて、初めての感触だった。

この糸を持って帰りたい、と糸を引っ張っていると、
「お、なんか釣れたぞ」
と大きな塊の方から声がした。

わたしは手から糸を離して、慌てて海の中に潜った。
さっき触った糸は上へ引っ張られていった。
糸と糸に繋がれていた棘が上に引き上げられると、

「なんだ、釣れてねえじゃん」
「あーあ。エサだけ食われてやんの」
「いや、エサは残っているんだよ。今日はボウズかな」
が聞こえてきた。

少しだけ大きな塊から離れて、そっと顔を出した。
大きな塊には、わたしたち人魚と同じ顔をしたのが何人かいた。
首から下は黒い海藻のようなもので肌を隠していて、頭には大きな貝殻のようなものをかぶっていた。

なんなの、あれ。
あれが人間なの?
見た目は、わたしたちと似ている。
でも、どうして首から下の肌は隠しているの?
肌を隠しているあれはなに?

どうして?
どうしてなの?

「お、なんかかかった!」
と人間は棘がついた糸と繋がっている長い棒を持って、その棒に付いてる小さな棒を動かした。

そのとき、その人間はドンと何かを置いた。
それは黒くて、ツヤツヤと光っていて、その人間につながっていた。
まるで人魚の尾ひれみたいだったが、かたちが違う。

あの尾ひれはなに?
と思って見ていると、わたしの尾ひれが誰かに引っ張られて、海の中に引き摺り込まれた。

下を見ると、ユメカとクロがわたしの赤い尾ひれを掴んで引っ張っていた。

「何やってるの!」
「早く戻るぞ!」
とユメカは泣きながら、クロは怒りながら、わたしの尾ひれを引っ張って、一緒に城に戻った。

これがわたしを人間界に強く憧れを持つきっかけとなった。


城に戻って、自分の部屋に入ると、今朝拾った糸やプラスチックを、カモメさんからもらったお菓子の缶にいれた。

缶には、飴やクッキーという人間が好きな食べ物が描かれていた。
拾ったものをいれて、缶の蓋を閉めようとするが、糸やプラスチックがたくさんはいっているせいで、閉まりにくかった。
手に力を入れて、思いっきり蓋を押したことで閉めることに成功した。
しかし、蓋は力を込めて閉めたせいで、少しへこんでしまった。

あーあ。
お気に入りだったのに。

「ムツキ」
落ち込んでいると、真上から声がした。
見上げると、ユメカが黒の縞模様がはいったピンクの尾ひれを優雅に動かして、降りてきた。

「おはよう、ユメカ」
「今日も朝からゴミ集め?」
「収集っていって。それにこれはゴミじゃないよ。今日も綺麗な糸をたくさん拾ったのよ。いっぱいあるから、何本かあげるよ?」
「遠慮しとく。ねえ、今日のお昼、合唱会があるけど、一緒に行かない?」
「ごめん。わたし、これから出掛けないといけなくて」
「また上に行くの?」
「……うん」
「ねえ、そんな危ないとこに行くのやめた方が良いと思うよ。もし人間に捕まったらどうするの?」
「人間が船でこないところに行くから、大丈夫だよ」
「いたらどうするの?」
「いないよ。よく会うカモメさんがそういうんだから、大丈夫。心配性だな、ユメカは」
「でも、今日は行くのやめた方が良いよ。今日の合唱会は、クロのお母さんが仕切っているから。行かないと、クロのお母さんに睨まれるよ」
「もうすでに睨まれているよ。それに行ったところで、追い返されるだけよ」
「そんなことないよ。それに、ムツキの歌声は城ではいちばんだから、来たら喜ぶよ」
「どうかな。クロのママって、自分より歌が上手いやつに嫌な顔して嫌がらせするじゃん」
「そんなこというから、睨まれるのよ」
「だから、わたしはパス」
「パス? パスってなに?」
「行かないってこと。早くしないと、カモメさんが港に帰っちゃう! じゃあね、ユメカ」
わたしはそう言って、お菓子の缶を抱えて上に向かって泳いだ。

今日はなにかもらえるかな。
なにか新しい話とか聞けるかな。
そんなことを考えていたら、自然と泳ぐ速度が速くなっていた。


カモメさんとよく会うのは、海の上でポツンと浮かぶ大きな岩山だ。
人間たちが住むところから、だいぶ離れたところにあるので、空が明るい時間でも人間たちはやってこない。

カモメさんは普段、人間たちが暮らす港町というところで暮らしている。
太陽が海から上がっている間、この岩山で過ごしている。
そして太陽が海に沈むころに、港町に戻ってしまう。

海の上を明るく照らす太陽は海から上がって、海に沈んでいくのに、どうして、わたしたちが暮らす海の中はあんなに暗いのだろう。

これを、前にカモメさんに聞いたことがある。
するとカモメさんは、
「太陽は海が苦手で、海の中に入ると光が消えちまうんだ」
と教えてくれた。

わたしは昔、光が消えた太陽を探しに海中を泳ぎ回ったことがある。
しかし見つけることができなかった。


海から顔を出すと、真上で太陽が光を放っていた。
その光はいつも眩しくて、目が痛くなる。

目を薄く開けてよろよろと、カモメさんがいる岩山に近づいた。
岩山に着いたときには、目はぱっちりと開くことができた。

「カモメさん、いる?」
岩山に向かって声をかけると、
「ここだぜ」
と真上から返事がきた。

真上を見ると、バサバサと翼を羽ばたかせながら、1羽のカモメが降りてきた。
「よお、ムツキ。一昨日会ったばかりじゃないか?」
「そう? わたしはかなり久しぶりに感じるけど?」
「そうか? で、今日はどうしたんだよ」
「港町で、なにか拾ってきた? わたしがまだ一度も見たことがないもので」
「そんな簡単に見つからないよ。それに、もうほとんどあげたしなあ。海の中には、なにか珍しいものが落ちてなかったか?」
「もうこの缶の中がいっぱいになるくらい、糸とプラスチックばかりよ」
わたしはそういって、持ってきたお菓子の缶の蓋を開けて、カモメさんに見せた。

「すごいなあ。というか、その缶。あげた時よりへこみまくっているじゃん」
「糸やプラスチックがたくさんはいっているから、力を込めないと閉めることができないの。だから、今朝こんなことになっちゃった。ねえ、また新しいお菓子の缶を探してきてくれる?」
「最近、そういうの見つけれないけど、もし見つけたら、持ってくるよ」

わたしはお菓子の缶の蓋を力を込めて閉めながら、
「ねえ、なにか面白い話はない?」
といっていたら、また蓋に新しいへこみをつけてしまった。

「面白い話? もうほとんど話したからないよ」
「えー、つまんないの」
「俺が暮らす港町より、さらに奥にある町とかはありそうだけどなあ」
「そうなの!」
「でも行ったことがないから、知らないけど」
「行ってきてよ。それでどんな町なのか教えて。もしかしたら、新しいものがあるかもしれないし」
「なんで、俺が? それなら、ムツキが行けば良いだろ」
わたしはカモメさんを睨んで、赤い尾ひれを海から出して、カモメさんに見せた。

「それができたなら、今ここにいないわよ」
「たしかにそうだな」
「行ってみたいなあ、人間が暮らす世界に」
「ムツキが思うほど、良いところとは思えないけどなあ」
「でもあなたの話を聞くと、すごく素敵なところにしか聞こえないよ」
「それは少し誇張しているところがあるからな」
「ええ、なにそれ! この尾ひれを1日でも良いから、人間の脚にならないかな」
と人間たちが暮らす港町がある方を見ながら、ため息をついた。


岩でできた棚には、たくさんのガラス壜が置かれていた。
全部、魔女のマダム・サリーが作った魔法がはいったガラス壜だ。

他の人魚に変身したり、怪我や病気を治したり、好きな相手が自分に夢中にすることができるなど、さまざまな魔法がそれぞれの壜の中にはいっている。

そのガラス壜を、わたしは海藻で作られた布巾で汚れを落としていく。
もしこれを落として割ってしまったら、わたしはサンゴに変えられてしまう。

わたしは城から離れたところにある、サンゴの森で暮らすマダムのもとで働いている。
もともと、ここで働きたいという気持ちはさらさらなかった。

でもマダムは昔、人間界に行ったことがある、という話を、大人たちの会話を聞いてしまった。

なにか人間の話を聞けるかもしれないと思い、マダムのところに行った。

しかし、
「タダで聞かせることはできないわ。ここで働くのなら、いくらでも話すけど」
といわれて、働くことになった。

でもマダムから人間の話を、まだ聞いたことがない。

なんで今日、出勤日なの?
なかったら、人間界のものを収集しに遠出できたのに。
最近、働く日が多すぎる。

「手が止まっているじゃない。サンゴにされたいのかい?」
部屋の奥からマダムがやってきた。
マダムはもともとわたしと同じように魚の尾ひれを持っていたが、魔法を作るときに失敗して、尾ひれがタコの足になった、と城の大人たちがいっていた。

「動かしているよ。マダム・サリー」
「やる気の顔をして。どうせ、今日はどうして出勤日なのって思っていただろう?」
「そんなこと思ってないよ。働けて嬉しいよ」

なんでわかったの?
これも魔法でわかることなの?

「ねえ、そろそろ人間のこと教えてよ。色々聞きたいことが山ほどあるの」
「口より手を動かしな。そんなんじゃ、なにも教えないよ」
わたしは黙って、持っていた壜を布巾でゴシゴシと拭いていった。

わたしがマダムのところで働いていることは、城のみんなは知っている。
みんな、そのことに関してなにもいってこなかった。
というか、わたしのことを無視している。

きっとクロのお母さんがわたしのことを無視するよう、周りの人魚にいったに違いない。
人間に興味がある変わり者の人魚はここから出ていけ、と。

ときどき、城にいるのがしんどいこともあった。
だから、城にいる時間をなるべく少なくしたかったから、マダムのところで働けて、ちょっと良かったと思っている。
でも今は、約束が全然違いすぎて、辞めたい気持ちが強いけど。


「マダム。ガラス壜を全て磨き終わったよ」
「じゃあ、この袋に砂をいっぱい詰めてきておくれ。いっぱいだよ。袋が破れるくらいね」

この前したばかりなのに、もう砂がなくなったの?
この仕事、本当に大っ嫌い。
でも、人間界の話を聞くためだから我慢よ、わたし。

「わかった」
わたしは空の袋をマダムから受け取り、外に出た。


「こんなこと、いつまで続けるんだ?」
クロが砂を集めながら、聞いてきた。

クロは城の王の息子だ。
次の王になるため、いつも王であるクロの父親のもとで勉強している。
昔のように、3人で一緒に遊ぶことは無くなったが、たまにこの森に来て、わたしの手伝いをしてくれる。

「いつって、話を聞くまでに決まっているでしょ」
「あの魔女だぞ。ムツキを海藻のようにクタクタになるまで働かせる気がするけどな」
「その可能性はあるよね。でも契約を破ったら、呪いがかかる魔法を交わしているから、そう簡単に辞めることができないんだよね」

「嘘だろ! なんでそんな契約交わしているんだよ。父さんにお願いして、その契約を解いてもらおうか?」
「無理でしょ。いくら王でも、こんな変わり者のために動かないでしょ? わたしのこと嫌っているし」
「それは母さんだけだよ。契約してでも、そんなに人間のことを聞きたいのか?」
「もちろん。マダムから、カモメさんに教えてもらったことがない話が聞けるかもしれないからね」
わたしは袋の中に入っている砂を手で押し込んで、その上から手で掬った砂を詰めた。

「ムツキは人間になりたいのか?」
「なによ、急に」
「いつも人間界のものを集めたり、カモメとかいうやつに人間の話を聴いたりしたら、人間になりたいって思うのかなって」
「なりたいよ。カモメさんにいろいろ話を聞くけど、実際にこの目で見てみたいんだよね。この尾ひれが真っ二つに割れて、人間の脚にならないかな」
「そんな夢のようなことできるわけないだろ」
「そうだけど。でもなったら、陸を泳ぐんじゃなくて歩いて、海にいない人間以外の生き物を見ることができるんだよ」
「へえ、どんなのがいるの?」
「じゃあ、今度一緒に上に行こう! カモメさんにも会わせてあげるわ」
「いや辞めておく。俺は城のことがあるから」
「なによ。わたしの話に少し興味を持つくせに、海の上に行くのは嫌がるなんて、クロって変ね」
「変なのは、そっちだろ?」
「変じゃないよ。もう砂は集まったみたいだし、マダムのところに戻るわ。ありがと」
わたしは砂がパンパンに詰まった袋を持ち上げた。

「持つよ」
「平気。わたしなんかに構うより、城に戻って勉強したら? 次期陛下。じゃあね」
わたしははよろよろ泳ぎながら、マダムの家へ向かった。


あと数メートルでマダムの家に着くところで、マダムの家から誰かが出て行くのが見えた。
遠くて暗かったので、誰なのかはわからなかった。
城の誰かかな?

ときどき、城の住人がマダムのもとにきて、自分の悩みを解決してもらう魔法をもらっている。
何度か住人とばったり会ったことがあるが、みんな、
「このことは誰にもいうなよ。お前がここで働いていることは黙認しているんだから」
といってくる。
別に誰かにいいふらすつもりなんて、さらさらないのに。


「マダム。砂を集めてきたよ」
マダムの家に戻り、集めた砂が入った袋を床に置いた。

「そんなところに置かないでおくれ。床が汚れるだろう。あっちに置きな」
「はいはい」
とまた重い袋を持ち上げて、マダムが指定した場所に置いた。

「今日の仕事はこれでおしまい?」
「なにいってるの。まだあるに決まっているでしょ? 店を閉めておくれ。開いているときにできない仕事をするよ」
「え、なんの仕事?」
「良いから、早く閉めな」
「はあい」
と閉店を知らせる看板を窓際に置き、海藻でできたカーテンを閉めた。

「お店閉めたよ」
「さあ、ムツキ。お前が聞きたかった人間界の話を、今日してあげる」
「人間界の話! やっと話してくれるのね」
たくさんの壜を磨いて、重い砂袋を運んでクタクタだったけど、その話を聞いたら、疲れはどっかにいってしまった。

「ねえ、人間界ってどんな場所? よく会うカモメさんの話だと、海の上に浮かんでいるところに住んでいるみたいだけど、実際はどんなところなの? あと砂はドロドロしてなくてサラサラしていた?」
「一気にいわれても、昔の話だから、記憶が……」
「覚えてないの?」
「思い出せないだけさ」
「今、話せる話ってある?」
「人間は人魚と違って、尾ひれのところが2本の脚になっていて、泳がないで歩いて生活しているよ」
「そんなの知ってるよ!」

そんな常識的なことわかっているよ!
なんだか、今までここで働いてきたのがなんだったのって思えてきた。
今からクロにお願いしたら、契約のことなんとかしてくれるかな。

「よくお聞き。あたしは初めて人間の脚を見て、それが手に入れたくなった。それで尾ひれを人間の脚にする魔法ができないかと思い、魔法を作り始めたのよ。でもそう簡単にできるものじゃなかった。おかげで、あたしの尾ひれはご覧の通り」
とマダムはタコ足を動かした。

「どうやって魔法が完成したの?」
「途方に暮れていたとき、ある晩に人間が海の底にやって来たのさ」
「人間がこの海の中に来たことあるの!?」
「ええ、来たよ。でも、海の中で人間が生きるなんて不可能。見つけたときは動いていなかったわ」
「その人間はどうしたの?」
「これは尾ひれを人間の脚にする魔法のヒントかもしれないと思って、その人間を家に連れて帰って、隅々まで調べたわ。そして、ついに尾ひれを人間の脚に変える魔法を作ることに成功したわ」
「すごい! じゃあ、その魔法で、人間界に行ったのね」
「でも、魔法の効果は弱くて、そんなに長くはいられなかった。何度も改良しては人間界に行ったわ。海にはないものがいっぱいあって、魔法の技術は城の魔法使いより上回ったわ。上回りすぎて、城の魔法使いの姉、現女王によって追放されたけどね」

「ねえ、マダム。その夢のような魔法は今でも作れるの?」
「作れるさ。ただ、材料が……」
「材料?」
「その魔法には、人間の血が必要なんだ。でも、その人間の血はもうないんだ」
「じゃあ、魔法は作れないってこと?」
「だけど、お前は運が良い。実をいうと、最近、また人間がこの海の底にやって来たんだよ」
「そうなの。でも、城ではそんな話はなかったよ」
「城の奴らに見つけられる前に、連れて帰ったからね」
「それって、見ることできる? あの奥の部屋にいる?」
「いるけど、ダメ。あそこは立ち入り禁止だから」
ええ、見たかったなあ。

「もしお前がどうしても人間になって、人間界に行きたいのであれば、働いてくれた恩があるから、特別に作ってあげても良いけど。ちゃんと人間になれるか保証がね」
今までのマダムの言動から、これが本当かはわからない。
魔法ができるまで時間がかかるといって、一生働かさせるつもりかもしれない?
でも、でも……。

「お願い、マダム。わたし、人間になって、人間が住む世界に行ってみたい。お菓子を食べてみたいし、海にはいない人間以外の生き物を見てみたいの。お願い!」
「わかったわ。この魔法を作るには必要な材料が山ほどあるの。それを集めるには、一苦労なの。魔法は作るけど、代わりにその材料を集めてくれるかい?」
「わかった。集めてくる」
「ただし集めることに集中して、普段の仕事を疎かにするんじゃないわよ」
「大丈夫。材料集めも、仕事もちゃんとやるわ」
「これは契約よ。破ったら、死ぬまで一生ここで働いてもらうからね」
「破ったりなんかしないわ。マダムこそ、約束を破かないでよ」


マダムから渡された石板に書かれた材料名が、石板の端から端までびっしりと書かれていた。
本当に、全部魔法に必要なもの?
絶対、他の魔法で使うのもあるよね?
でも、人間の脚のため。
文句いっている場合じゃない。

普段の仕事をこなしながら、南へ西へ東へ泳いで、材料を集め回った。
1日でも早く人間の脚を手に入れるため、カモメさんのところに行かなくなった。

最後にカモメさんのところに行ったとき、
「もしかしたら人間になれるかも」
というと、
「へえ、そうかい。まあ、なれたら港町に停まっている船に来な。俺はそこにいるから」
とあまり期待していない感じでいった。

いつも真上から話しかけてくるカモメさん。
人間になったら、こっちが真上から話しかけて、びっくりさせてやる。

遠くの場所へ材料を集めるため、城に帰らない日が何日か続いたこともあった。
城の人たちはとうとう人間に捕まったかと思ったみたいで、帰ってくると、
「おや、無事だったのかい」
といわれてしまった。

いちばん心配してくれるのは、ユメカとクロだけだった。
「どこに行ってたの?」
「あの魔女に、なにかきつい仕事させられているのか?」
「ううん。ちょっと人間界のものを集めに遠出していただけ」
といって、眠い目を擦りながら、仕事に行った。


約束から1ヶ月が経ったころ。
西の海から、最後の材料を手に入れて、森へ戻った。

「マダム、最後の材料を持ってきたわ」
「ご苦労さま。これで魔法が完成するわ。すぐ弱音を吐くと思ってたのに」
こんなことで弱音なんて吐いていられるもんですか。
ずっと夢みていた人間になれるんだもの。

「いつ魔法は完成するの?」
「今夜に完成できるわ」
「もうできるの!」
「今、持ってきたものを加えれば。いつ欲しい?」
「すぐに」
「じゃあ、今晩。今日の仕事はないから、用事をすべて終わらせて、ここに来な」
とマダムは奥の部屋へ消えた。


城に戻り、わたしは尖った石で2枚の石板に字を彫った。
ユメカとクロに直接言ったら、きっと力づくで止められる。
もしかしたら、城の地下に幽閉されかねない。

今夜、人間界へ行ってきます。
いつ戻ってくるかわからないけど、どうか元気で。
2人はわたしにとって、最高の友達だよ。

書いた石板を、クロとユメカ、それぞれの暮らす部屋の前に置いて、森に向かった。


「お別れの挨拶は済んだかい?」
「うん」
「それじゃあ、魔法を渡す前に、いくつか忠告があるわ」
「忠告?」
「まず、人間は海の中で生きることはできない。魔法を飲み込んだら、すぐに陸に上がりなさい」
「わかった」
「陸に上がったら、人間界のものを食べること。そうすることで、魔法が安定して、魔法の効果が長く続くわ」
「特に魔法が安定するいちばんの食べものってある?」
「なんでも良いさ」
「なに食べようかな。お菓子かな? 果物も気になるんだよね」
「話の続きをして良いかしら? それは陸に上がってから考えな」
「ごめん、マダム」
「あと、尾ひれを人間の脚に変える魔法とは、別の魔法を渡すわ」
「別の魔法? どうして?」
「これは強制的に人魚に戻ることができる魔法よ。もし人間界にいるのが嫌になったら、いつでも帰って来れるわ」
「それを飲まなければ、魔法の効果がなくなるまで、ずっと人間でいられるの?」
「そうよ。さっき話した人間界の食べものを食べればね」
そんな魔法、わたしには必要ないけどね。
早く話が終わらないかしら。

「わかった」
「あと一つ」
「まだあるの?」
「これで最後さ。よくお聞き。これは昔、お前と同じ人間になりたくて、あたしの魔法で人間になった人魚がいたんだけど」
「そうなの! じゃあ、その人に頼れば良いってこと? その人は今、人間界のどこかにいるの?」
「そいつは人間界で惚れた相手が別の人と結婚して、泡になって消えちまった」
「えっ……」
それを聞いた瞬間、体中を巡る血が止まった感じがした。

「どうしてそうなるかはわからないけど、恋したときは気をつけなさい」
「もし恋をしたら?」
「そのときは、その人と結婚するか、他の人との結婚しないよう阻止するしかないね。それか、さっき話した人魚に戻る魔法を使いなさい」

マダムの話を聞いているとき、クロのことを考えてしまった。
小さいときから一緒にいて、わたしが周りに嫌われても優しくしてくれる。
そんなクロがわたしは好きだ。

でも、クロはこんな変わり者なんか好きなはずじゃない。
優しいのは、城の王の息子だから。
それにクロは人魚だ。
人間に恋した場合、泡になるってことだから、クロが誰かと結婚をしても大丈夫。

「なにか質問は? なければ、魔法を渡すわ」
「……ないわ」
マダムは2つの壜をわたしに渡した。
1つは黒色の瓶。
もう1つは水色の壜だった。

「今から飲むのは黒色の方だよ。水色の方は大事に持っていなさい」
「わかった」

「コキ使えるやつがいなくなって寂しいわ。まあ、せいぜい人間界を楽しんで」
「ありがとう、マダム」
わたしは黒色の壜の蓋を開けて、魔法を飲み込んだ。

その魔法は今まで口にしたことがない味がして、吐きたい気持ちになった。
でも吐いたら、今までの苦労は泡となる。
吐きたい気持ちを堪えながら、魔法を飲み込んだ。
しばらくすると、尾ひれのあたりに違和感があった。
尾ひれを見ると、そこには尾ひれはなかった。
代わりに人間の脚があった。

尾ひれを動かす感覚で、脚を動かしてみた。
すると、脚は前後に動いた。
でも体がすごく重たく感じた。
どんどん下に沈んでいった。

「今ここで使うんじゃなくて、陸の近くまで来てから飲めば良いのに。一応、1時間だけ海の中で呼吸できる魔法は入れておいたけど、ここから陸に上がるまでどれだけかかるかわからないから、早く行きな」
「ありがとう、マダム」
わたしはそう言って、マダムの家を出て、脚をバタバタと動かして上へ向かって泳いだ。


尾ひれではなく、人間の脚で泳いでいるから、上手に泳ぐことができない。
いつもより海の上に着くまで、すごく時間がかかっている感じがした。

苦しい。
こんなところで、死んでたまるものか。
わたしは慣れない脚をバタバタと動かして、上へ昇った。

さらに泳ぎ続けていると、急に息が苦しくなった。
口で息を吸おうとすると、水が一気に口の中に入ってきた。

もう1時間経ったの?

だんだん動かしている脚が重くなって、泳ぐのを止まってしまった。
そして体が下に落ち始めた。

やっぱり、ダメか。
行ってみたかった、人間界に……。

「……ツキ。ムツキ」
「起きろ、ムツキ!」
閉じてしまった目を開くと、わたしの両腕を引っ張る二人組が目の前にいた。

「ユメカ、クロ! どうして、2人ともここに?」
「手紙だけ置いていなくなるなんて、酷いよ。わたしたち慌ててムツキを追ってきたのよ」
ユメカは涙目になっていった。

「これが人間の姿か。不気味な尾ひれだな」
クロはわたしの脚をマジマジと見ながらいった。

「こんな脚じゃあ、泳ぐなんて無理でしょ」
「うん。魔法を使うタイミング間違えちゃった」
「俺たちが行けるところまで連れて行く。そこまで頑張れるか?」
「うん。でも、どうして? わたしが人間のこと話したり、人間界に行きたいっていったりすると、あんまり良い顔しないのに」
「そんなことないよ! 周りなんて気にしないで、探求したくなるくらい好きなものがあって羨ましいって思ってたよ」
「人間界に行きたいって夢のようなことをいっていたのが、本当に叶えるなんて。幼馴染として尊敬しているよ」
「そうだったの。初めて知ったよ……」
冷たい海の中にいるのに、目の辺りが熱くなる感じがした。

「ムツキ、泣いてるの?」
「な、泣いてないよ!」
「あと少しで、人間界だ」
「頑張って、ムツキ」
「うん!」
ユメカとクロは尾ひれを、わたしは脚を動かして、上へ昇った。
海から上がり、そのまま砂の上に倒れ込んだ。
濡れた顔や髪の毛に砂がべっとり付いた。

海の上に出て、ユメカとクロに引っ張られて、目の前に見えた陸を目指した。
途中で、ユメカとクロは陸に近づくことができなくなったので、そこから1人で向かうことになった。

ユメカは涙目になりながら、わたしを抱きしめた。
「ムツキはわたしの大切な友達よ」
「わたしもよ」
「気が済んだら戻ってこいよ。そのとき、いろんな話を聞かせろよ」
「もちろん。時期陛下に有益な情報を持って帰ってくるわ」
2人と別れの言葉を交わして、わたしは脚と手をバタバタと動かして泳いだ。


まだ動きたくない。
でもマダムがいってた、人間界の食べ物を食べないと。

ふらふらと立ち上がると、
「ムツキ?」
頭上から自分の名前が呼ばれた。

上を見ると、1羽のカモメが飛んでいた。
「カモメさん?」
「ムツキだ! お前、本当に人間になったのか?」
「そうよ。魔法使いのマダムの力で、人間になれたのよ。見て」
とカモメさんに見せるように、片方の脚を上げた。
しかし、もう片方の脚がふらふらして、バランスを崩して倒れた。

「おい大丈夫か?」
「平気。ねえ、聞きたいことがあるんだけど」
「なんだい? もう俺が教えることなんて何もないと思うんだけど」
「わたしね、今すぐ人間界の食べ物を食べないといけないの。どこに食べ物があるか教えてくれる?」
「食べ物? いいよ、案内してあげる」
「ほんと! ありがとう」
「でもその前に、服を着ないと」
「服?」
といったあと、大きなくしゃみが出た。


カモメさんが持ってきた服は、変わった形をした大きな布だった。
人間たちはこれを着て生活している、と前にカモメさんから聞いたことがある。

カモメさんに着方を教えてもらいながら、服を着た。
肌に今まで感じたことがないチクチクと刺激してきて、脱ぎたい気持ちになったが我慢した。

「今気づいたけど、ムツキってこんなに背が小さかったか?」
「どういうこと?」
「いつも会っていたときは、大きかったような気がするけど、海にいるのと陸にいると違うのかな?」
「わかんないけど、そうじゃないの? で、食べ物はどこにあるの?」
「食べ物は、コンビニとかスーパーとかにあるよ」
「じゃあ、そこへ案内して」
「だけど、お金持っていないだろう?」
「お金? お金って平べったい円い石に似たようなものでしょ?」
「それがないと、食べ物は手に入らないんだ」
「カモメさんは持っていないの?」
「俺には必要ないものだから、持ってないね」
「じゃあ、どうしたらいいの?」
「俺が探してきて持ってくるよ。ここで待ってな」
そういって、カモメさんはまたどこかに飛んでしまった。


カモメさんが戻ってくる間、ずっと立ち続けるのも疲れてしまい、その場に座り込んだ。

これからどうしよう。
カモメさんが持ってきた食べ物を食べたら、どこに行ってみよう。
街を見てみたいし、人間以外の生き物を見てみたい。
カモメさんに案内してもらおうかな。

「お嬢ちゃん。ここで何してるの?」
あれこれ考えていると、後ろから誰かが声をかけてきた。
振り向くと、青黒い服と同じ色の変わった被り物をした男の人間が立っていた。

人間だ。
あたしは初めて間近で見る人間に驚いて、声が出なかった。
「親はどこにいるの?」
「……」
「名前はいえる?」
「えっと……」
といったとき、わたしのお腹から大きな音が鳴った。

「お腹空いたの?」
わたしは黙って頷いた。
「じゃあ、おまわりさんと一緒に警察署に行こうか。立てる?」
そういって、わたしに手を差し伸べてきた。
わたしはその手を掴んで、立ちあがろうとすると、よろけてその場で尻餅をついてしまった。

「大丈夫? 怪我してるの?」
その人はわたしを抱きかかえた。
わたしは急に持ち上げられて、びっくりした。
そして周りを見ると、海の中では見たことがないものでいっぱいあった。

本当に、人間の世界に来たんだ。

わたしは周りをキョロキョロ見ながら、警察署というところに連れて行かれた。


警察署というところに着き、そこでずっと食べてみたかった飴やお菓子をもらった。
どれも甘くて、すごく美味しかった。

わたしを警察署に連れてきた人はお菓子を置いて、どこかに行ってしまった。
もらったお菓子を全て食べ終わった頃、その人は戻ってきた。
「お父さんとお母さん、まだここに来てないみたい。どこかに行くとかいってた?」
「……ううん」
「お父さんとお母さんの名前知ってる?」
「ううん。お父さんとお母さんはいないの」
「そうなの? じゃあ、一緒に暮らしている人が誰かわかる?」
「えっと」
なんて答えればいいんだと悩んでいると、その人と同じ服を着た男の人がやってきた。

「野田さん、もうすぐあがりでしょ。その子どうする? 一度、児童相談所にお願いして引き取ってもらう?」
「そうですね。家がどこかわからないし、親がいないっていうし」
「じゃあ連絡いれるね」
と男の人はどこかに行ってしまった。

「ムツキちゃん、もう少しここで待っててくれる?」
「うん」
野田という男も、またどこかに行ってしまった。

とりあえず、人間の食べ物を食べれて良かった。
でも、これからどうしよう。
わたしはまたどこかに連れて行かれるの?


不安な気持ちになりながら、窓の方を見ていると、1羽のカモメが飛んでいるのが見えた。

カモメさん?
食べ物を見つけて戻ってきたら、わたしがいなくなっていたから探しているのかな。

わたしは窓に近づいて、窓を叩いた。
すると、カモメさんが気づいてこっちにやってきた。
カモメさんは近くの木にとまった。

「お前、なんでここにいるんだよ」
「なんかわからないけど、ここに連れてかれたの。でもお菓子を食べることができたわ。すっごくおいしかった」
「なんだ。せっかく人間が捨てて、まだ食べれそうなもの見つけてきたのに」
「ごめんね。なんか、これから別のところに連れてかれるみたいだけど、どうしたらいい?」
「ついて行ったら? 郷に入ったら郷に従えっていうし。もしなにかあったら、海岸にきな。そのとき助けてあげるから」
「わかった。ありがとう」
そういうと、カモメさんは飛んでいってしまった。

しばらくすると、野田が戻ってきた。
「じゃあ、おじさんもう帰っちゃうけど、あとのことは他の大人が助けてくれるから、その人のいうこと聞いて……」
というと、さっきの男の人が走ってきた。

「野田さん。この子を探している両親がいました」
「え!」
「数ヶ月前から捜索願いが出されていて、提出された写真を見たら、この子そっくりだったんですよ」
「ムツキちゃん。お父さんとお母さんいること、なんで嘘ついたの?」
「嘘じゃないよ。本当にいないよ」

本当だ。わたしには両親なんていない。
何かの間違えだ。
「その両親は連絡ついた?」
「連絡したらすぐ来るみたいそうです」

一体、どうなっているの?


しばらくして、わたしの両親という、男の人と女の人が警察署に来た。
2人の靴や服には、茶色の汚れがいっぱいついていた。

2人はわたしの顔を見て、
「ムツキ!」
と涙目にさせながら、わたしのことを抱きしめた。
海の匂いとはまた違う変わった匂いがした。

「娘さんで、間違えないですか?」
「はい、うちの娘です」
「無事でよかった。今までどこにいたんだ?」
なにを答えたら良いのかわからず、わたしは黙ることしかできなかった。


警察署を出て、わたしは2人と一緒に大きな鉄の塊の中に入った。
わたしの父親という男がボタンや棒、円いのを動かすと、鉄の塊は動きだした。

わたしは驚いて、周りをキョロキョロ見回した。
「なに驚いているの? 車はいつも乗っているでしょ」
「車?」
「そうよ、車よ」
と母親の女はいった。

これが車。

わたしは体に巻き付いている平べったい紐を邪魔に感じながら、窓の外を見た。
さっきまでいた警察署がどんどん遠くに離れていった。


車が止まり、わたしは車から降ろされた。
目の前には、大きな茶色の塊があった。
地面を見ると、緑色の小さな海藻みたいのがたくさん生えていた。
「ここは?」
「あなたのおうちよ」
「わたしのおうち?」
「そうよ。さ、入りましょ」
母親に手を引かれながら、家の中に入ろうとしたとき、誰かに見られている感じがした。
後ろを見ると、石の柱からわたしより背が少し大きい男の子がいた。

「レイくん。 今朝、ムツキが見つかったの」
「……」
レイと呼ばれた男の子はジッと、わたしを見てきた。
そして、走り去ってしまった。

「まだ気にしているのかな」
「かもな」
2人はそういいながら、家の中に入った。

それからすぐ、病院という鼻がツンとするような匂いがするところに連れて行かれた。
体に特に異常はなく、おかしな言動は事件に巻き込まれたショックがあるから、まずは心のケアをしていくことから始めましょう、とわたしの体を見た医者はいった。

なんのことかわからなかったが、とりあえずわたしが人魚であることはバレていないみたいだった。

わたしの両親という人たちの話を聞いていてわかったのは、わたしの両親は家の近くにある畑で野菜を育てる農家で、両親とわたし、そして白い毛むくじゃらの犬のココアと暮らしているみたいだ。

どうして初めて会う両親がわたしのことを娘というか。
リビングに飾ってあった家族写真を見たが、なんとわたしと同じ顔をした女の子が写っていた。

これってマダムの魔法で、存在している人間になれたってこと?
じゃあ、写真の子はどこに?
考えたら、ゾッとする感じがしたので、考えるのをやめた。


そして、あの日わたしをジッと見て走り去ったレイは、隣の家に暮らしている、わたしより2歳年上の男の子だ。

外でレイに会うたび、レイはわたしを避けるように走って逃げてしまう。


どうしてレイがわたしのことを避けているのか。
今から数ヶ月前。
わたしに似た女の子と一緒に駄菓子屋に行っている途中で喧嘩になり、怒ったレイは先に1人で行ってしまった。
そのあと、喧嘩した場所に戻ると、その女の子はいなくなっていた。
レイは色んな大人にかなり怒られたみたいだ。

ある日、道でばったりレイに会い、また逃げ去ろうとしたとき、
「ねえ、どうして逃げるの?」
と聞いた。

すると、レイが
「元はといえば、お前が駄々こねるのが悪いだろう!」
と怒っていってきた。

「どうしてわたしが悪いの? そっちだって悪いじゃん」
「お前が俺のゆうこと聞けば良かったんだよ。そうすれば、誘拐なんかされなかったし、俺は怒られなかったんだよ」
「そんなの知らないよ」
「うっせえ!」
とレイはわたしの肩を押してきた。
わたしはそのまま地面に尻餅をついた。

「お前、戻ってきておかしいみたいだな。箸が使えなかったり、ひらがなが書けなかったり、誰でもわかることがわからなかったり。お前、宇宙人に攫われたのか?」
「宇宙人ってなに?」
「……覚えてないのかよ」
レイはそういって、走ってどこかに行ってしまった。


両親が家の近くの畑で仕事しているとき、縁側で絵本を読んでいた。
そばでココアが、わたしの匂いを嗅いでいた。
わたしがここに来た日から、わたしのことをよく匂いを嗅いでくる。

もしかして、わたしが人魚だってバレているのかな。

読んでいても字がわからないから、わからない。
読んでいた絵本を床に置き、そばに置いていた絵本を物色すると、人間でも人魚でもない怖い変な顔をしたものが描かれた絵本を見つけた。
絵本を開くと、そこにも表紙に描かれた変なものがいた。

「なにこれ……」
とページをめくっていると、レイが庭にやってきた。
レイの手には板みたいのを持っていた。
レイはわたしの顔を見て、嫌そうな顔をした。

「なに?」
「回覧板持ってきたんだよ」
「かいらんばん?」
「それもわからないのかよ。おばさんに渡せばわかるから」
と縁側に回覧板を置いた。

そのまま帰るかなと思って、黙って読んでいると、
「なに読んでいるの?」
とレイが聞いてきた。

向こうから声をかけれて、わたしは驚いた。
わたしは読んでいた絵本の表紙を見せた。

「ねえ、これなに?」
と表紙に描かれている怖い生き物を指さした。

「宇宙人だよ」
「うちゅうじん」
この前、レイが言っていた宇宙人って、これのことか。

カモメさんから聞いたことがないけど、こんな怖いのが人間の世界にいるんだ。

「ねえ、宇宙人ってなに? この街にいるの?」
「いるわけないだろう。その絵本に描いてあるよ」
「字、読めないからわからない」
「貸して」
といって、わたしが持っていた絵本を取った。

そして、スラスラとそこに書いてある文章を読んだ。
でも意味は全くわからなかった。

「すごい。どうして、そんな流れるように読めるの?」
「こんなのお前でも、読めるはずだけど」
「わたしには無理だよ。じゃあ、これは?」
と次のページを開いた。

レイは、そのページに書かれた文章を読み上げた。

「レイってすごいね」
「別に大したことないだろ。誰でも読めるよ」
「そうなの? じゃあ、これ読んでよ」
と他の絵本をレイに渡した。

レイは面倒くさそうな顔をしたが、渡された絵本を読んだ。

「なあ。誘拐される前の記憶ってないの?」
絵本を読んでもらっている途中、レイが聞いてきた。

「うん」
「喧嘩した理由も?」
「うん。どうして喧嘩したの?」
「いわねえ」
「教えてよ」
「やだ」
「ケチ」
「……先に行って、ごめんな」
「え、なに?」
レイがボソッとなにかいったが、聞き取れなかった。

「なんでもない」
「教えてよ」
「しつこいなあ。もう絵本、読んであげないぞ」
「ダメ! お願い、読んで。あと教えてほしいことがあるんだけど」


この日を境に、わたしとレイは仲直りした。
そして、レイから色んなことを教えてもらった。
文字の読み書き、物の使い方、わたしの家にあった事典に書いてあること。

ときどき、レイでもわからないことがあって、そのときは親や学校の先生に聞いた。
2人で、
「すごーい!」
と感動したこともあった。

カモメさんから聞いたことがある話もあったが、レイからカモメさんから聞いたことがない話がいっぱい聞けて、すごく楽しかった。


人間の世界に来て、20年が経った。

この家に来たばかりの頃はいけなかったが、学校に通い始めた。
勉強したり、年の近い子たちと友達になったりした。
修学旅行や家族旅行で、住んでいる町以外のところに行った。

大学生のとき、バイトでお金を貯めて、わたしがいる日本という国から別の国にも行った。

人間の世界は海の世界とはまた違う素晴らしい場所で、すごくすごく楽しかった。


大学を卒業したあとは、地元の市役所に就職した。

魔法の効果がいつ切れるか不安になることがときどきあった。
でも20年も人間の姿でいられて、マダムの魔法の強さに驚いた。

このまま一生、人間でいられたりして?


仕事が終わり、スーパーで買ったものが入った袋を持って歩いていると、
「ムツキ!」
後ろから声を掛けられて、振り返るとレイが走ってきた。

「おかえり」
「ただいま。持つよ」
とわたしが持っていた買い物袋を持った。
「ありがと。今日の夕飯は、鍋でも良い?」
「いいね。今日は朝から年末の挨拶回りしていたから、あったかいものが食べたいなあって思ってた」
「だと思った」

今は実家を出て、レイと一緒に暮らしている。
来年の春に、わたしはレイと結婚する。

幼馴染のレイと、まさか結婚するなんて。
でも、わたしは大好きなレイと結婚ができて、すごく幸せだ。

ユメカとクロにこのことを伝えたい。
2人は元気かな。
マダムからもらった人魚に戻れる魔法が入った壜は肌身離さず持っている。

2人に会いたい。
でも魔法を飲んだら、もうここには戻れない。
まだ人間でいられるのなら、ずっとここにいたいけど、どうしたら良いのかな。


週末。
わたしたちは海の近くに最近できたチャペルの見学に行った。

チャペルが建てられているときに、
「ここで結婚式ができたら良いなあ」
とわたしの独り言をレイが聞いていたみたいで、式をどうしようかと話していたとき、レイがそこでやろうといってくれた。

レイからプロポーズをされたとき、チャペルは完成していて、予約が始まっていた。
予約を取るのは無理じゃないかなとダメもとで電話すると、わたしたちが考えていた日程が見事空いていたので、予約を取ることができた。


扉が開くと、目の前に青い空と海が広がっていた。
「綺麗!」
わたしは早足で大きな窓の近くまで行き、景色を見た。
今日は快晴で、波が穏やかだった。

ここからユメカとクロが見ていてくれたら良いけど。
なにか2人に伝える良い方法ないかな。

そう思っていると、
「お嬢さん、お嬢さん」
と窓の向こう側から、誰かが声をかけてきた。
窓の向こうで、数羽のカモメがこちらに向かって飛んでくるのが見えた。
でもそこには、わたしが知っているカモメさんはいなかった。

「誰?」
わたしはレイやウェディングプランナーに聞かれない声で、窓の近くで飛ぶカモメたちに話しかけた。

「僕らは君の友達のカモメの知り合いさ」
「カモメさんは元気?」
「今は別のところにいるよ。元気だと思うよ」
「そうなの。で、わたしになにか?」
「君に伝言があるのさ」
「伝言?」
「君の友達、ユメカとクロからさ」
「ユメカとクロ! 2人は元気なの?」
「ああ、元気さ。で、伝言なんだけど。この2人がなんと結婚するんだ」
「結婚!」
「ああ。もし可能であれば、戻ってきてほしい。もし無理ならお祝いの言葉がほしい、と」
「2人が結婚」

クロはユメカと結婚するんだ。
わたしよりユメカの方が、きっと城の住人やクロの両親に祝ってもらえるに違いない。
それに、わたしの大切な友達2人が結婚するなんて、最高すぎる。

直接、お祝いしたい。
人魚に戻る?
でも、わたしも大切な人と結婚が控えている。
人魚に戻るなんてできない。

「ありがとう。直接お祝いしたいけど、もし可能であれば、一度話しがしたいから、海の上に……」
とカモメたちに伝言を伝えていたとき、身体中に激痛が走る感じがした。
わたしはその場で倒れ込んだ。

「どうしたの?」
カモメたちはギャーギャーと鳴いた。

わたしは指先を見た。
指に小さな泡がブクブクと立てていた。

どうして?

「ムツキ! どうしたの?」
わたしがその場で倒れているのを見たレイが走ってきた。

「具合でも悪いのか?」
「ううん、平気。なんでもない」
とヨロヨロと立ち上がって、チャペルを出た。


外に出て、近くの海岸まで走った。
指を見ると、指だけではなく、手全体が泡に包まれていた。

この副作用は人間を好きになったときだけに起こるんじゃないの?
こんなところで、消えてなくなりたくない。
海に戻らないと。

わたしは鞄に入っていた、壜を取り出した。
またマダムにお願いして、もう一度人間になって、レイのもとに戻ろう。
ごめんね、レイ。
すぐに戻ってくるから。


わたしは壜に入っている魔法を飲み込んだ。
久しぶりに味わう苦味で、吐きそうになった。

魔法を飲み込み、海の中にはいった。
しばらくすれば、脚が元の人魚の尾ひれに戻れるかなと待った。
しかし、いつまで経っても脚に変化はなかった。

冬の海の中にずっとはいっていると、体温が下がり、辛いだけだった。
海の中に浸かっている体はどうなっているか、海の中に潜った。
脚を見ると、脚からシュワシュワと泡が出ていた。

どうして?
どうして、人魚に戻らないの?
この壜は人魚に戻る魔法が入っているんじゃなかったの?

そう思っていると、顔のあたりからシュワシュワと泡が出てきた。


「ムツキ!」
レイはムツキのあとを追って、海岸に来た。

海岸には誰もいなかった。
「ムツキ!!」
レイは広い海に向かって叫んだ。
しかし、大きな波の音しか聞こえなかった。

「……あれ、なんでここにいるんだ?」
「レイ!」
レイは名前を呼ばれて振り向くと、女が走ってきた。

「どうしたの? 急にチャペルを飛び出して。ウェディングプランナーの人が驚いていたよ」
「ごめん」

どこかから、
「どうして? どうして?」
と聞いたことがある女の声が聞こえてきた。

わからないことがあると、
「どうして?」
と好奇心に溢れた声で聞いてきたが、今聞こえる声は絶望に満ちた声だった。


「おめでとう、陛下」
「綺麗だよ、ユメカ」
海の底にある城では、若き王とその花嫁が結婚式を開いていた。
城の住人たちが2人の結婚を祝っていた。

「ムツキは今、なにしているのかな」
とクロがつぶやいた。
隣にいたユメカは、真上を見た。

あの日、マダムにクロの心がムツキではなく自分で向けてほしいと相談した。
そこでマダムから、ムツキをここに戻れないようにして、自分とクロが結婚させるようにすると提案してくれた。

そして条件として、マダムが再び城で魔法使いとして仕えるように、クロに働きかけることを出された。

ユメカは戸惑うことなく、その条件に承諾して、魔法を手に入れた。
そして、ムツキは人間になる魔法をマダムから手に入れて、人間界に行った。

きっと今頃。

耳元でムツキの声が聞こえてきた。

どうして? どうして?

ごめんね、ムツキ。

「きっと、向こうで幸せに暮らしているよ」

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最後まで読んでくださりありがとうございます。これからもワクワクドキドキウルウルする作品を作っていきます。作品が良かったら「スキ」を押していただけると、とても嬉しいです。次の更新もお楽しみに^^