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【小説】青のビスクドールはかぼちゃのタクシーに乗って

高校生のアミはハロウィンの夜、友達と渋谷に遊びに行く約束をしていた。しかし、乗る電車は運転見合わせ、渋谷行きのバスは隣の駅からの発車など、渋谷に行く手段が次々と絶たれてしまう。最終手段で、タクシーで渋谷に向かうことを決めて、タクシー乗り場の列に並ぶ。順番がきたときに現れたおばあさんにタクシーを譲ると、お礼に卓上ベルをもらう。「これを鳴らせば、あなたの行きたい所に連れて行ってくれるよ」半信半疑でベルを鳴らすと、かぼちゃのランプがのったタクシーがやって来た。それに乗り、着いた先は妖怪たちが暮らす屋敷だった。人間だとバレないため、アミは妖怪になりきり、帰宅を目指すファンタジー小説。

3つのスマホの画面には、通販サイトで検索したコスプレ衣装の画像が映し出されていた。

「どれにする?」
ナナが人差し指で、スマホの画面を滑らせながらいった。

「ど定番なところだと、悪魔とかゲームのキャラクターとかかな」
ユキは気になる衣装を見つけたのか、親指と人差し指で画像を拡大した。

「アミはなんかいいのあった?」
「んー」
わたしは青色のドレスのコスプレ衣装を見つけた。

昔読んだ絵本の『シンデレラ』で、フェアリーゴッドマザーの魔法によって、主人公のシンデレラが着ていたボロボロのドレスが青色の綺麗なドレスに変身したシーンを思い出した。

これ、いいなあ。

「アミ、聞いてる?」
とナナがわたしのスマホ画面を覗き込んだ。

「シンデレラのコスプレ? 可愛いじゃん。それにするの?」
「いや。いいなと思って見てただけだから。2人はどうするの?」
「ゲームのキャラクターにしようかな」
「わたしもそうしようかな」
「じゃあ、あのゲームのキャラクターのコスプレ一緒にしない? ティックトッカーのカナコちゃんとマミちゃんが去年のハロウィンのとき、そのコスプレで踊っていたけど、すっごく可愛かったんだよ」
「それ見た。可愛かったよね。ウチらそれにする?」
と2人はペアルックのコスプレをすることに決まった。

わたしが通っている学校は中高一貫校で、ナナとユキは中学のときに入学して、わたしは高校のときに入学した。
ナナとユキは中1のときからの友達だ。

高校に入学してすぐにあった校外学習で3人グループになるとき、出席番号が近かったわたしたち3人はグループになった。
それがきっかけで、休み時間や放課後は一緒に過ごすようになった。
別に嫌われているわけではないけど、たまに2人だけの世界になったとき、少し寂しくなる。

来週末にあるハロウィンの日に、わたしたち3人はコスプレをして渋谷のセンター街に行くことになった。

「今年のハロウィンは日曜日だし、夜、渋谷に行ってみない?」
ナナが提案すると、ユキはすぐ賛成した。

去年、テレビのニュースでハロウィンの夜の渋谷センター街の様子を上空から撮った映像を見たことがあるけど、道路が見えないくらいの人がいっぱいいた。

たまに3人で、渋谷や原宿に行くことがあるけど、そういうところは苦手だ。
毎朝、満員電車に乗って学校に行くだけでも辛いから、できたらそんな日にそんなところに行きたくない。

「アミは?」
もしここで断ったら、明日から1人で学校を過ごすことになるのかな。
卒業まであと2年以上あるのに、学校でひとりぼっちで過ごさないといけなくなるのはヤダ。

「うん。行こう」
と無理やり笑顔にして答えた。

「どこで買う? ネット?」
「今日の放課後、ドンキに行ってみない?」
ナナとユキはハロウィン計画に盛り上がっていた。

ドンキで買うとなると、今月のお小遣いで足りるかな。
お母さんにお願いして、来月のお小遣い前借りしようかな。
ちょっと待って。
コスプレの他に、メイクは? 小道具は?

今年もらったお年玉って、まだ残っていた?
頭の中で、コスプレ代やメイク代などを計算していると、

「楽しそうだな」
と後ろから声をかけられた。
3人は声がした方に向くと、天然パーマの黒髪に黒縁メガネのスーツ姿の男がいた。

「ヤッホ、タッキー」

この人は、わたしたちのクラス担任の滝本先生だ。
見た目からして若い先生なので、生徒から友達のように接しられて、タッキーというあだ名で呼ばれている。

「先生は友達じゃないけど?」
「いいじゃん。昼休みだから」
「なんだそれ。で、なに話してたの?」
「えー、内緒。タッキーにいったら、止められるもん」
「危ないことするの?」
「しないよ。健全、健全」
ナナとユキ、滝本先生の会話をわたしはただ聞いているだけだった。

「へえ、そうなのか。南?」
「え?」
わたしは苗字を呼ばれて、滝本先生の方を見た。
滝本先生はわたしのことを見ていた。
滝本先生の目は、心の内を読んでいるみたいで、すっごく苦手だ。

「そうだよ。ナナのいうとおり、危なくないです」
「……そうか。まあ、安全に楽しんで」
とどこかに行ってしまった。

「アミって、タッキーに超緊張するよね?」
「え?」

しないの?
あの目、怖くないの?

「まさか、タッキーに恋してるの?」
「してない、してない! タイプじゃないもん」
「だよねー、わたしも」
「というか、タッキーって彼女いるかな?」
「いなそう。まさか彼女いない歴=年齢だったりして?」
と2人は大笑いした。


その日の放課後。
ドンキに行き、着たいコスプレ衣装やゾンビメイクをするための必要なメイクなどを買った。

メイクはお揃いですることになった。
血のりを使ったゾンビ風のメイクをするため、ネットで見つけたハウツー動画を見ながら練習もした。

「どう?」
「ユキ、めっちゃうまいじゃん。わたしは?」
「全然できてる。ちょっと待って、アミ。不器用すぎない?」
「え?」
鏡に映るゾンビメイクをしたわたしの顔は、動画で見たゾンビメイクには程遠い、顔をぐちゃぐちゃに赤くしたメイクになってしまっていた。

2人はわたしの顔を見て、大笑いした。
「アミ、不器用すぎる。でも、それもアリだから、もう練習する必要なくない?」
「そうかな……」
ともう一度、鏡を見た。

当日が憂鬱だ。


顔に血のりを付けるのは、渋谷に着いてからになった。
コスプレ衣装を着たり、メイクしたりは各自家で支度して、渋谷駅で集合することになった。


勉強机の上には、鏡とたくさんのメイク道具が置いてあった。
毎日やっているメイクでも、こういうイベントのときのメイクは緊張する。

「これでどうかな……」
勉強机の隣にある姿見の前に立った。
ドンキで買った少し丈が短い青色のドレスのコスプレ衣装を着て、いつもより華やかなメイクをした、わたしが映っていた。
不器用だから普段のメイクは失敗して、ナナたちに直してもらうことがよくあるが、今日はバッチリできていた。

鏡に映る自分の姿を見て、昔リビングに飾っていた青色のドレスを着たフランス人形を思い出した。

わたしが生まれる前から、家のリビングにフランス人形が飾っていた。
もともと母の実家のリビングに飾ってあって、母が結婚するとき、祖母が嫁入り道具の一つとして持たせた。

母は
「持っていても困るから、実家に飾っといてよ」
と断ったが、祖母は
「絶対持っていきなさい! お前とこれから生まれる子どものために」
とフランス人形が入ったガラスケースを母に持たせたのだ。

母はフランス人形とともに嫁ぎ、フランス人形はリビングのテレビの隣に飾った。
幼稚園児だったわたしは、お気に入りの絵本だった『シンデレラ』の青色のドレスとそのフランス人形が着ている青色のドレスと似ていて、いつも人形のそばに行き、ドレスを眺めていた。

わたしもこのドレスが着たい!
その年のハロウィンに、母に人形と同じドレスが着たいから買って、とお願いした。

「そんなの着てどこに行くのよ。ダメよ」
と断られて、
「アミもおにんぎょうさんみたいに、おひめさまになりたい!」
と大泣きした思い出がある。

そのフランス人形は今、リビングにはいない。
たしか、庭にある物置き小屋にしまっていたと思う。
どうしてかは覚えていない。

壁時計を見ると、乗りたい電車が最寄り駅を出発する時間が迫っていた。

ヤバっ!

わたしは床に置いていた白の斜めがけのカバンを持って、部屋を出た。

バタバタと階段を降りて、玄関で用意していた白のサンダルを履いた。

「そんなの履いて、あんなところを歩くなんて危ないよ。スニーカーが安全だと思うけど」
慌てて階段を降りる音を聞いたのか、母が玄関に来た。

「大丈夫よ。長い時間いないと思うし」
「そんなところわざわざ行かないで、近所のゲーセンでプリクラ撮って、カラオケ歌って、帰ってくれば良いのよ」

今からそれになるなら、そうしたい。

「日付変わる前に帰ってきなさいよ。迎えに行かないからね」
「はあい。行ってきます」
コツコツとサンダルの踵を鳴らしながら、家を出た。

小走りで駅に向かう途中、何人かとすれ違った。
そのときみんな、わたしを見てきた。
今日がハロウィンでも、やっぱり恥ずかしい。
顔を見られないように、俯きながら走った。

駅に着くと、乗るはずの電車が人身事故により運転見合わせのアナウンスが流れていた。
運転の再開は未定という。
改札口付近は、普段の休日より人が多く行き交っていた。

嘘でしょ?
他の路線は?

と歩いてすぐにある別の路線の改札口に向かった。
しかし、わたしと同じことを考えていた人たちが、その改札口を通っていった。
きっと、この路線も混んでいるだろう。

じゃあ、バスは?

とスマホで渋谷行きのバスを調べる。
渋谷行きの路線バスを見つけるが、のりばが最寄り駅の隣の駅だった。

スマホの通知音が鳴り、画面を見るとグループメールに1通のメッセージが届いていた。
開くと、ナナが渋谷に着いたというメッセージが届いた。
その直後に、ユキからあと5分で着くよと返事が着た。

ごめん。
今、電車が停まっているからちょっと遅れる。

そう送ると数秒後に、ナナから了解と手をグッドマークしたキャラクターのスタンプが送られてきた。


ちょっと遅れると送ったが、渋谷に着くのはいつになるか。

どうしよう。
お母さんにお願いして、渋谷まで車で送ってもらう?
多分、諦めて帰ってきなさいっていわれるだろうなあ。

残る手段は……タクシー。
ここから渋谷までいくらするんだろう。
スマホで調べると、だいたい6,000円だった。
カバンから財布を出して中身を見ると、1万円札が1枚と千円札が5枚入っていた。

帰りはきっと電車は動いているはず。
わたしは意を決して、タクシー乗り場へ向かった。


タクシー乗り場には、待っている人が何人か並んでいた。
わたしは最後尾に並び、順番が来るのを待った。
少しずつ前に進み、次はわたしの番になった。
列に並び始めて10分くらい経ったとき、1台の黒いタクシーが着た。

やっと着た。

タクシーがわたしの前に止まり、後部座席のドアが開いた。
乗ろうと歩き出したとき、誰かにぶつかった。
目の前に、わたしより背が低い和服姿のおばあさんがいた。

なんでおばあさんが?
わたしより先に並んでいた?

おばあさんは後ろを振り向いて、わたしを見た。
顔はシワだらけだったが、愛嬌のある可愛らしい顔をしていた。

「あら。もしかして並んでた? ごめんなさい、どうぞ」
と左に半歩移動した。

「いや。こちらこそ、わたしも並んでいたことに気づかないで、すみません。先に乗っていいです」
「いえ、お先にどうぞ。なんだか、すっごく急いでそうだし」

その通りだけど、いいのかな。
先に乗っちゃって?

「乗るんですか?」
とタクシーの運転手が車の中から、いってきた。

「大丈夫です。そこまで急いでいないので、どうぞ」
「そう? じゃあ、お言葉に甘えて」
と手に持っていたカゴバッグから、何かを取り出した。

おばあさんの手には、スーパーのサービスカウンターで見る銀色の卓上ベルがあった。
「お礼にこれをあげるわ。もし急いでいるなら、これを鳴らしてちょうだい。あなたの行きたいところに送ってくれるわ」
とわたしに差し出したので、そのベルを受け取った。

「ありがとう。素敵なパーティーを」
とタクシーに乗り、そのタクシーは走り去ってしまった。


手のひらにあるベルを見た。

反射的にもらったけど、こんなのもらっても……。

わたしはそのベルをカバンの中にしまい、次来るタクシーを待った。

10分以上、待っただろうか。
タクシーは一台も来なかった。

アミ、電車動いた?
ナナからグループメールが届いた。

きっとユキと合流して、待ち合わせのハチ公広場で待っているのかな。
どうしよう。
行き交う人たちが、わたしをジロジロ見てくる。

恥ずかしい。
お願い。
早くタクシー来て。

さっきおばあさんからもらったベルを思い出して、カバンから出した。

あのおばあさんのいうことが本当なら、ベルを鳴らせば、タクシーが来るってことなのかな。
いや、こんなの鳴らしても、どこにいるかわからないタクシーを呼べるはずがない。

ベルを全方向から見てみるが、タクシーを呼べるような装置はついてなかった。

わたしの前を通るのは、バスや軽トラ、自動車。
タクシーは全然来ない。

なんでも良いから、わたしを渋谷に連れってって!

わたしは手のひらに置いた卓上ベルの頭を思いっきり叩いた。
強めに叩いたので、ベルがチンと大きく鳴った。
その瞬間、視線を背中でさらに強く感じた。

来ないじゃん。
電車が動いているか、いっかい駅に戻ってみよう。

ため息を吐いて、その場を去ろうとしたとき、
「お呼びでしょうか?」
と声をかけられた。
声がした方を見ると、そこには黒と白の縞縞模様のスーツを着て、サングラスをした男が立っていた。

「誰ですか?」
「誰って……鳴らしましたよね? ベル」
と男がベルを指さした。

「え、これ?」
と卓上ベルを見せた。

「はい。私はあなたを目的地までお送りする運転手です」

じゃあ、あのおばあさんがいっていたことは本当?

「あの、わたし今すぐ行かないといけないところがあって、そこまで送ってもらえますか?」
「承知しました。どうぞこちらへ」
と運転手が歩き出した。
わたしは運転手の後を追った。


運転手はタクシー乗り場の最後尾まで歩いた。
わたしがタクシーを待っている間、タクシー乗り場の端から端まで、タクシーは1台もなかった。
しかし、そこには1台のタクシーが停まっていた。
そのタクシーはよく街で見る黒い小ぶりのタクシーだったが、天井にはオレンジ色のかぼちゃのランプが光っていた。

あのランプ、可愛い。
こんなタクシー見たことないけど、今日がハロウィンだから、特別仕様なのかな?

「どうぞ」
と運転手はそういって、後部座席のドアを開けた。

正直、このタクシーを乗っていいのかな。
怪しいところに連れてかれないよね。
ぼったくりタクシーだったらどうしよう。
でも、ずっと待っている2人のところに早く行かないと。

わたしは、そのタクシーに乗り込んだ。


車内は想像していたタクシーの車内と違った。
まず座席はクリーム色だった。
天井には、小さいシャンデリアが吊り下がっていた。
窓の端には白のレースのカーテンが紐で留められていた。
まるで、シンデレラのかぼちゃの馬車みたいだった。

「すごい……」
シートベルトを装着しながら、車内を見回した。
「それでは出発します。お姫様」
「は、はい」
突然、お姫様と呼ばれて、ドキッとしてしまった。
でも、今のわたしの見た目はシンデレラ。
そう呼ばれてもおかしくないか。

わたしが乗ったタクシーはゆっくりと発進して、駅から離れていった。


あ、行き先をいってなかった。

「あの、行き先なんですが」
「大丈夫ですよ。いわなくてもわかりますから」
「え?」
「その格好ですから、行き先はあそこしかありませんからね」
確かにそうだ。
今日、こんな格好している人を見たら、渋谷に行くだろうって、わたしもそう思う。

「じゃあ、そこまでお願いします」
「承知しました」


タクシーは止まることなく走った。
途中、交差点を何度か通ったが、全て青信号で、止まることはなく進んだ。

この調子なら、あと10分で渋谷に着けるかな。
窓から外を見ながら、そう思った。

運転手はただ黙って運転していた。

そうだ、ナナたちに連絡しないと。

わたしはスマホでグループメールを開き、メッセージを送った。

ごめんね。
今、タクシーに乗って渋谷に向かっているところ。
15分くらいで着くよ。

スマホを閉じて、窓の外を見た。
タクシーは住宅街を走っていた。
人は誰も歩いていなかった。

ナナたちから返事あるかなと、グループメールを開くと、送ったメッセージの送信に失敗しました、とエラーメッセージが画面に出てきた。

もう一度、再送信をして電源を消さずにそのまま待つが、またエラーが出てしまった。

なんで?
電波障害?

電波のマークを見ると、3本の線が立っていた。

システムエラーかな?

窓の外を見ると、タクシーはまだ住宅街を走っていた。

そういえば、ここどこ?
地図を見ようと、地図のアプリを開くが、画面は方眼しか出なかった。

地図も!?
スマホ、壊れちゃったのかな。

「あの」
わたしは運転手に声をかけた。

「どうなさいましたか?」
「今、どの辺を走っていますか?」
「S区です」
S区は、わたしが住む区の隣区だ。
一応、渋谷に向かっているみたいだ。

「念の為、聞いてもいいですか? このタクシーって渋谷に行きますよね?」
「え、渋谷?」
運転手はびっくりした声でいった。

この人。
わたしがどこに行きたいと思っていたの?

わたしの中で、嫌な予感が強くなった。
「ごめんなさい。ここで降ります」
「いや、それはできません」
「え?」
「この車は目的地まで止まりません」
「なんで? あなたが運転しているんですよね? 止めてください」
「いいえ、私は運転なんかしてません」

なにいっているの?

わたしは少しだけ立ち上がって、運転席を覗き込むように見た。
運転手はハンドルを握ってなく、ハンドルは勝手に動いていた。
そして、運転手が着けていたサングラスが運転手の胸ポケットにしまわれていた。
わたしは運転手の顔を見た。

「ひっ!」

サングラスを外した運転手の顔には目だけがなかった。

わたしは小学生のときに読んだ、怪談話を思い出した。
真夜中にサラリーマンを乗せたタクシーが、あの世に連れていく話を。
それを読んで、毎晩遅くに帰って来る父が無事に帰ってくるか不安で眠れない日があった。

逃げなきゃ!

わたしはカバンから財布を出し、そこから1万円札を出して、隣の座席に叩き置いた。
「お釣りはいりません」
鍵がかかっているかもと思ったが、さっき鍵を閉めるようなことをしてなかったので、わたしはドアを開けようとした。

「お客様?」
考えが当たり、ドアはあっさりと開いてしまった。

「え、止まって止まって!」
と運転手が慌てながらいうと、タクシーは急停止した。
わたしはその隙にシートベルトを外してタクシーから降りて、来た道を走った。

「お待ちください! 来た道戻っても……」
と遠くで運転手がなにかいっていたが、それを無視して全力で走った。


来た道を戻るといっても、あのタクシーがどんな進路で走っていたのか覚えていない。
でもどこかで車がたくさん通る大通りに出ると思って、真っ直ぐ走ってみることにした。

一体、どのくらい走ったのだろう。
いつまで経っても住宅街の中を走っていた。

なんで?

走るのを止めて、呼吸を整えた。
サンダルを履いている足がすごく痛かった。
後ろを振り返ると、あのタクシーと運転手の姿は見えなかった。

追って来てない。
じゃあ、歩いて大通りを目指そう。
と重たくなった足で歩き出した。

走ったせいで、奇跡的にできたメイクは汗で崩れているような感じがした。
渋谷に着いたら、すぐに直さないと。
ダメだ。
慌てて家を出たから、メイク道具を鞄に入れるの忘れたじゃん。

スマホを開いて、送れなかったメッセージを再送信をする。
しかし、送信は失敗に終わった。

なにが起こっているの?
今日がハロウィンだから、本物のお化けが出てきちゃったの?
いやお化けが出るのは、夏でしょ。
ここ日本だよ。
今日じゃないよ!

と心の中で思っていると、足に痛みが走った。
足元を見ると、白いサンダルがあたる親指から血が出ていた。

わたしは立ち止まって、その場でうずくまった。

もう渋谷なんか行かないで、家に帰りたい。
誰か助けて。
と目からボタボタと涙が出てきた。

「ウチに帰りたいよ……」
「どうかしましたか?」
と上から声をかけられた。

見上げると、着流し姿の黒の長髪の若い男が立っていた。
髪の長さを除いたら、母が読んでいる雑誌に出てくる銀座の呉服店の若旦那みたいだった。
わたしは綺麗な顔をした男の顔に魅入ってしまった。

「大丈夫ですか?」
「あっ……」
わたしは視線を男の顔から逸らした。

「どこか痛いのですか?」
「だ、大丈夫です」
と立ち上がるが、足が激痛が走った。
わたしはまた座り込んでしまった。

「もしかして靴擦れ?」
「今日初めて履くサンダルで、さっきまで走っていたので」
「急いで手当をしないと。すぐ近くに私の家があります。行きましょう」
「え」

それはありがたいけど、さっきのタクシーのこともあったから、抵抗がある。

チラッと、男の顔を見る。

別に悪い人ではない。
悪い人ではないけど。

「信用できませんか?」
「え! 信用しています。とても」

わたしは男に心の中で思っていることを読まれたみたいで、びっくりした。

「初対面の人に親切にされても、疑うのは大事なことです。でも、その足の怪我をなんとかしないと、明日の朝まで帰れないかもしれません」
「ウソ!」
痛くて、もう歩く気力なんてもうない。
明日の朝どころか、永遠に家に帰れないかもしれない。

「……お願いします。助けてくれませんか?」
「わかりました。では行きましょう」
「はい」
とわたしは立ちあがろうとしたとき、目の前で男がしゃがみ込んだ。

「おぶります。乗ってください」
「大丈夫です。歩きます」
「悪化したら、ダメです。明日、歩けなかったらどうするんですか?」
「……お願いします」
とわたしは男の背中に乗った。

男はわたしをおんぶして、よろけることなく立ち上がって歩き始めた。

この歳で、おんぶされるなんて恥ずかしい。
最後におんぶしてもらったのっていつ?
というか、わたしはこれからどうなるの……。

5分くらい歩くと、大きな門の前に着いた。
「ここが私の家です」
と男は門を潜った。
門の先には大きな武家屋敷があった。

こんな家、テレビドラマでしか見たことないよ。

「改築はされていますが、江戸時代からある家で、結構頑丈な造りなんですよ」
「へえ」

さっきもだけどこの人、わたしの思っていることわかるの?

男はわたしをおぶったまま、玄関の引き戸をガラガラと開けて、入った。
玄関もテレビドラマで見たままだった。
男はわたしを上り框に降ろした。

「サンダルは脱げますか?」
「あ、はい」
わたし足の痛みに耐えながら、サンダルを脱いだ。

「旦那様? お戻りですか?」
と遠くからドタドタと足音がした。
これが1つではなく、複数に聞こえた。
わたしは後ろを振り向いて、廊下の角から現れる人たちを待った。

「え!」
廊下の角から現れたのは、地味目な着物を着て、頭から2本の角を生やした小さい鬼たちだった。

お、鬼!?
ちょっと待って。
さっきのタクシーといい、この鬼たちといい。
わたし、妖怪がいる世界に迷い込んじゃったの?
じゃあ、この人も妖怪?

「小鬼は珍しいですか?」

珍しいよ!
マンガでしか見たことないもん。

「旦那様、この方は?」
「家の近くで怪我をして動けなくなっていたので、お連れした。彼女は屋敷に?」
「おります」
「では空いている部屋まで運び、彼女に手当てさせるよう伝えてください」
「かしこまりました」
と小鬼たちは一斉にそう言った。

「ではお客様。ご案内します」
「え? ええっ!」
わたしの周りにたくさんの小鬼が群がり、持ち上げて運び始めた。

わたし、食べられたりしないよね?


運ばれた部屋は和室だった。

部屋の真ん中に降ろされて、小鬼たちは部屋の隅からわたしを見ていた。

部屋から出ていかないの?
というか話しかけないとか、気まずすぎる……。

と思っていると、急に部屋が寒くなった感じがした。

閉じていた襖が開いて、
「六花様、こちらです」
と1人の小鬼が部屋に入り、その後に白い着物をきた艶のある短い黒髪をした女が入ってきた。

わあ、綺麗。
肌が真っ白。

「あの人がいっていた怪我人は、あなた?」
「は、はい」
その女はわたし前に座り、靴擦れをしたアミの足を触った。
触られたところが、ひんやり冷たくなった。

見た目と、手の温度からして、この人は雪女かな?

「痛そうね。草履の鼻緒で怪我した感じじゃないけど、何を履いていたの?」
「サ、サンダルです」
「ああ、人間たちがよく履いている。あたしもたまに履くよ」
と靴擦れしたところに触った。
痛いより冷たい感覚の方が勝った。

どうするんだろう。

「大丈夫。怪我したところを、凍らせて取るだけだから」
と白い帯に挟んでいた雪の結晶の飾りがされたかんざしを取った。
かんざしの先端は鋭く尖っていた。

雪女はその先端が尖ったところで、わたしの足の怪我のところを刺してきた。

「いたっ!」
わたしは足に刺さったかんざしを見ないように天井を見た。

「大丈夫、すぐ終わるわ。もう痛くないでしょ?」
とかんざしをを帯に挟んだ。

わたしは足を見た。
靴擦れで赤くなっていたところは、氷で覆われていた。
雪女はそれを摘んで取ると、靴擦れする前の怪我が1つもない状態に戻っていた。

「すごい」
「こんなのよくある治療よ。受けたことないの?」
「え、ええ」
「それにしても」
と雪女は両手でわたしの顔を包み込んだ。

「ひどい顔ね。どんな化粧してるの?」
さっき走ったから汗でメイクがよれちゃったり、泣いたりしたから、鏡を見なくてもきっとひどくなっているはず。

「せっかくだから、綺麗にしてあげるわ」
と雪女の隣に、小さな吹雪が起こった。
吹雪が止むと、そこには真っ白なメイクボックスが置いてあった。
雪女はメイクボックスから、ガラス製の瓶とコットンを出した。
コットンに瓶から出す液体を染み込ませて、それをわたしの顔を拭き上げた。

わたしの顔からボロボロのメイクは取られて、雪女はメイクボックスから柄がガラス製の筆やオーロラのように輝くコンパクトなどを出して、ブラシにおしろい粉や眉墨などをつけて、わたしの顔をメイクしていった。

わたしは一人っ子だけど、もし姉がいたら、こんなふうにメイクしてもらいたかった、と思っていた。

ナナたちにキャッキャいわれながらメイクされるのも楽しいが、こうやって黙々と真剣にメイクしてくれるのはすごく嬉しい。

最後に、口紅をつけた筆で、わたしの唇を塗った。
雪女は筆をメイクボックスにしまい、空いた両手に吹雪を起こした。
そこに雪の結晶の形をした鏡が現れて、それをわたしの前に見せた。

これ、わたし?

わたしの顔は今まで自分がしたり、ナナたちにしてくれたりしたメイクとは違い、自分も惚れてしまいそうな魅力ある顔になっていた。

「綺麗……」
わたしは雪女から鏡を受け取り、鏡に映る自分の姿を見た。

「あなた、もともと整っているから、それを生かして、服の色に合わせて化粧したわ」
「ありがとうございます」
「気に入ってもらえてよかった」
とメイクボックスは吹雪の中に消えてしまった。

「あなた、ここでは見ない顔ね。どこから来たの?」
「えっとM区からです」
「隣の区じゃない。あんなところに、まだ妖怪なんているのね」

わたしが妖怪?

ここにいる小鬼たちも、さっきの旦那さまという男の人も。
もしかして、わたしのことを妖怪って思っている?

じゃあ、ここで人間って気づかれたら、ヤバいじゃん!

「その服だと、西洋の妖怪? 今まで色んな妖怪に会ったけど、見たことないわね」

そうだよ。
人間だもん。

「あなた、なんの妖怪なの?」

海外のお化けでしょ。
魔女、妖精。
あとなにかある?
思いつかん。

あのフランス人形が着ているような姿の妖怪……。

「……わたし、フランス人形の付喪神なんです」
「フランス人形の。最近は見なくなったけど、家の応接間とかに飾られている、あの?」
「え、ええ。そうです」

昔、祖母が、あのフランス人形のことを、
「この子はいつか付喪神になるかもね」
っていっていたのを思い出した。
そのとき付喪神がなにかって聞いたら、壊れることなく100年も大切にされた物の妖怪だよって教えてもらったことがある。

「じゃあ、持ち主の人間が、家から消えてびっくりしているわね」
「どうでしょう。ずっと物置き小屋で過ごしていたので、きっとわたしのことなんて、忘れていると思います」
「まあ、そうだったの。それじゃあ、化粧がこんなことになるわね」

ごまかせた!

安堵しているのは束の間。
今度は腰のあたりで、ゴソゴソ動く感じがした。

鞄の方を見ると、部屋の隅にいた小鬼たちが鞄をよじ登ったり、中に入ったりしていた。
「ちょっと!」
わたしは開きかけていたファスナーを全開にすると、すでに入っていた小鬼たちが鞄の荷物を不思議そうに見ていたり、運び出そうと鬼たちが荷物に寄ったりしていた。

「また、お前たちは。お客さんの荷物にいたずらしてはダメって、この前、怒られたでしょ?」
雪女は子どもに説教するようにいった。

「え、ちょっと出てって!」
とわたしは鞄をひっくり返して、小鬼たちを出した。
しかし、小鬼たちと一緒に鞄に入っていた持ち物まで畳の上に落ちてしまった。

「あっ!」
わたしは畳に落ちた持ち物を急いで拾って、鞄にしまった。

スマホ、財布、ゾンビメイクの血のり、ナナたちに渡すお菓子、自分で食べる用のグミ。
そして、おばあさんからもらったベル。

わたしはグミが入ってたチャック付きの袋を取ろうとしたとき、小鬼たちが離してくれなかった。

「それ、返してくれない?」
「お客様。ズカズカと屋敷にあがりこんで、怪我の手当をしてもらったのだから、お代を払ってもらわないと」
「お代?」
「お金で払うのが普通ですけど、お客様には、このお菓子をお持ちだ。これをお代として、いただけるのならいいのですが」
「なにいってるの。あの人にいわれて、運んだだけでしょ? それをさっさと返しなさい。さもないと言いつけるよ」
「わかりました。食べかけでよければあげます」

こんなことで断ったら、なにされるかわからないから、おとなしくグミあげた方が全然いい。

「ありがとうございます!」
と小鬼たちはグミが入った袋を部屋の隅に運び、キャッキャと食べ始めた。

「この前、小鬼たちが初めてグミを食べて、それが気に入ってちゃって、毎日食べているのよ」
「へえ」

妖怪って、甘いものが好きなんだ。
意外。

「あ! 怪我の手当てとメイク直してもらったから、お金払います」
「いいのよ。あの人に頼まれたことだし、化粧はあたしの勝手だから、いいわよ」
「でも」
わたしは鞄からナナたちにあげるお菓子が入った袋を1つ出した。
「もし、よかったら」
「あたしに?」
「チョコとか飴とかですけど、もし甘いものが好きだったら……」
「チョコ! あたし、チョコアイスがすごく好きなの」
「そうなんですか。じゃあ」
「ありがとう。大切に食べるわ」
と雪女は嬉しそうにお菓子を受け取った。

「そういえば名前を聞いてなかったわ。名前は?」
「アミっていいます」
「まあ、可愛らしい。あたしは六花」
「六花さん。素敵な名前」
というと、襖が開いて、1人の小鬼が入ってきた。

「失礼します。お客様、広間にご案内します」

広間??


小鬼たちの案内のもと、広間に向かうため、廊下を歩いていた。
足の怪我は治ったので、小鬼に運ばれることはなかった。
一緒に六花も来た。

「六花さん、聞いてもいいですか?」
「なにかしら?」
「旦那様っていう人は、なんの妖怪なんですか? わたし、ずっと物置小屋にいたから、世間知らずで」

フランス人形の付喪神といったけど、こんな感じでいいかな?

「あの人はね、わからないの」
「わからない?」
「教えてくれないの。会ったときからずっと。でも本来の姿を見せたくないから、人間に化けているみたいだから、狐の妖怪じゃないかなって思うけど」
最初に会ったとき、人間だと思ったけど、狐の妖怪といわれたら、たしかにそうかもしれない。
「ちなみに旦那様って呼ばれているから、妖怪たちをまとめる長みたいな感じですか?」
「そんな感じかな。でも、普段は人間と同じ生活をしているわ。仕事もしているし」
「へえ」

なんの仕事してるんだろう。
見た目からして、呉服店の店主とかかな?

先を歩いていた小鬼が立ち止まり襖を開けた。
「どうぞ」

広間に入ると、そこはさっきいた和室よりかなり広かった。
しかし、誰もいなかった。

「こちらに座って、お待ちください」
と小鬼に勧められた座布団に座った。
家にある座布団よりフカフカだった。

目の前には、菊の絵が描かれた掛け軸がかけられていた。
その前には座布団が1枚置いてあった。

六花はわたしの斜め後ろに座っていた。
小鬼たちはまた部屋の隅で、わたしのことをジロジロ見てきた。

なんだろう。
ここまで案内したお代を払えって、いってくるのかな。

それより、次はなんなの。
というか、帰れるの?

待っていると、右側の襖がバタンと開いた。
そこから旦那様が入ってきた。

「怪我は治ったみたいですね」
といいながら、掛け軸の前にある座布団に座った。

「みたいだなんて。完璧に治してあげたわ。それに見て」
と六花は後ろからわたしの肩を掴んで自分の顔に寄せた。

「どう? 綺麗でしょ?」
「いわれてみれば、さっきより顔の雰囲気が変わったような」
「もう、鈍感ね。あたしがアミの顔を綺麗にしてあげたのに」
「そういえば名前を聞いていませんでしたが、アミというのですか?」
「はい。フランス人形の付喪神のアミといいます」
「フランス人形の付喪神。今まで色んな付喪神を見てきましたけど、初めてです」

そりゃ、そうよ。
今日、誕生したんだから。

「聞いてよ。この子、長い間物置き小屋にしまわれていたのよ。あんな狭くて埃ばかりのところにいたら、顔がぐちゃぐちゃに汚れちゃうわけよ」

ついさっき走って泣いていたものによる、ぐちゃぐちゃなんだけどなあ。

「そうだったのですか。それはかわいそうに」
「でもどうやってここまで来たの?」
「確かにいくら付喪神でも、ここへはそう簡単に来れない」
「そうなんですか?」
「あたしたち妖怪だけが暮らす世界と人間が暮らす世界には、結界が張られているの。結界を越えるには、ここの世界にある物を持っていないといけないの」
「へえ」
「ずっと物置小屋にいたあなたがどうやって、ここまで来たのか、教えていただけますか?」
と、旦那様がわたしの目をジッと見てきた。

ここで作り話を話したら、あの目が見抜きそうな感じがした。
でも正直なこといえば何されるかわからない。
どうしよう……。

「ええっと……さっきもいったとおり、わたしは長い間、物置き小屋にしまわれていました。でも今日、なんの風の吹き回しか、その家のお嬢さんがわたしを出してくれたんです。よく聞けば、今日はハロウィンという祭りで、見たことない変わった格好して友達と渋谷に行くみたいで、そのときわたしを連れていこうと思い、ずっと閉じていた物置き小屋の扉を開けて、わたしを出してくれたんです。久しぶりに外に出れてすごく嬉しくて、ウキウキしながらお嬢さんの鞄の中にいたんですが、うっかり者のお嬢さんだから、鞄から落ちちゃって、追いかけようと思ったときには見失っていました」
「まあ、大変!」
と六花は着物の袖で口元を隠した。

「鞄から落ちちゃうときに、わたしの妖力で、お嬢さんの鞄を入っているもの含めて、複製したんですが、家に帰る方法がわからなくて、途方に暮れていたら、偶然出会ったおばあさんを助けたら、ベルを渡してくれたんです」
「ベル?」
「はい。頭を叩くとチンって鳴る」
そう言うと、小鬼たちがクスクス笑っていた。

何か、おかしなこといった?
クラスメイトの男子と同じ反応しちゃって。

「それを鳴らせば、あなたの行きたいところに送ってくれるわと教えてくれて。で、おばあさんと別れたあと、ベルを鳴らしたら、かぼちゃのランプをのせたタクシーがやってきて」
「ベル、タクシー……」
旦那様は手を口元に添えて、考え込んだ。

「これで帰れるって思って乗ったら、知らない場所に連れて行かれていて、慌てて降りて来た道を走って戻っていたら、道に迷って……」
「落ち込んでいるところに、私に会ったってことですね」
「そうです」
わたしは旦那様を見た。

バ、バレてない?

「まあ大変だったね」
と六花はわたしの頭を撫でた。
六花に頭を撫でられていると、なぜかアイス頭痛がした。

「ねえ、この子を家に帰してあげよう」
「確かにそうですね。ところで、そのベルは?」
「あります」
わたしは鞄からベルを出して、旦那様に渡した。
「……なるほど」
旦那様はベルを見ながら呟いた。

「わかりました。なにかのご縁ですので、家までお送りしましょう」
「本当ですか! ありがとうございます」
「でも、その前に……」
と旦那様がいうと、襖の向こう側からドンドン、バタバタと音がした。

なに?

左右後ろの襖が突然、バーンと開いた。
「キャ!」

開いた襖の先にいたのは、アニメや漫画で見た妖怪たちがワラワラといた。

「実はこれから、ちょっとした宴をするので、よければご一緒にどうですか?」

う、宴?
今すぐ帰りたいけど……。

周りにいる妖怪たちを見る。
断ったら、なにが起こるかわからない。
ここはおとなしく……。

「ぜひ」


なにもなかった広間に、たくさんの食事が並べられて、その前に妖怪たちが座っていた。
赤鬼、青鬼、かまいたち、入道、だるま。
砂かけ婆、子泣き爺、鴉天狗、かまいたち。

昔読んだ漫画で、妖怪たちが大宴会するシーンを思い出した。
わたしは旦那様の隣に座っていた。
六花はわたしと旦那様を挟むように座っていた。
六花は旦那様のお猪口に徳利でお酒を注いでいた。

「遠慮せず食べてください」
「はい」
目の前にある料理は人間が食べているものと同じで、すごく美味しかった。
もし、人間の目玉が出てきたらどうしようかと思った。

「ねえ、ねえ。お嬢さん」
と着物を着た尻尾が二つに別れた三毛の猫又が近づいてきた。

「私がこの料理を作ったけど、どうでした?」
「これ、あなたが作ったのですか? すごく美味しいです。ありがとうございます」
「嬉しい。久しぶりのお客さまだから張り切っちゃった。もしよかったら、これ召し上がる?」
「え……きゃあ!」
猫又が差し出した皿には、丸焼きされたネズミ1匹があった。

「よしなさい、ミケ。彼女はネズミは食べませんよ」
「はあ。せっかく今日良いのが獲れたのに。まあいいわ。私が食べちゃう」
と猫又はネズミを一口で食べてしまった。

「お前さん、渋谷に行こうとしていたんだって?」
と猫又と入れ替わるように、今度は子供が泣いて逃げてしまうくらい怖い顔をした山姥が近づいてきた。
「え、ええ」
「あんなところ行かない方がいいよ。人臭くてありゃしない」
「そうなんですか?」
「そうよ。去年、うちの孫娘が渋谷に行ってきて、帰ってきたとき、まあ人臭くて。今日も渋谷に行ってくるわって友達といっちゃったけど。腹を空かして、変な人間の男を食べてなければいいんだけど」
「それは大変ですね……」
山姥はため息を吐きながら、どこかに行ってしまった。

ナナたち、なにしているのかな。
大丈夫かな。
連絡取りたいけど、スマホが使えないし。

「どうかしました? 暗い顔をして」
旦那様はわたしの顔を見てきた。

「いえ、なんでも」
わたしは旦那様の視線を逸らすように、目の前にある食事を食べた。

「旦那さま! また綺麗な妖怪を連れ込んで。六花さんに怒られますよ」
今度は頬を赤くした河童がやってきた。
手には、酒と描かれたひょうたんを持っていた。

「なに馬鹿なこといってるの」
と六花が怒った。

「今年もいい酒ができたので、よかったら一杯どうぞ」
「いただこう」
と旦那様は持っていたお猪口に入っていたお酒を空にして、河童にお酌をされていた。

「そちらの美人さんも」
「え!」
「わたしが暮らす富士の麓で流れる水で作った日本酒です。さあ、遠慮せず」
とひょうたんを近づけてきたので、お膳にあった空のお猪口を持って、お酒を注いでもらった。
水のように透き通ったきれいなお酒だった。

わたし、未成年だけど飲んでいいのかな。

河童はわたしが酒を飲んで、感想を言うのを待っている。
「五郎。さっき持ってきた一升瓶は? あれも飲んでみたいけど」
「ああ、あれ! 待っててください。持ってきます」
と取りに行ってしまった。

「それを貸しなさい」
と旦那様はわたしが持っていたお猪口を取り、グイっと飲んだ。

「君にはまだ早い」
とにこっと笑った。

この前、SNSで見つけた飲めないお酒を代わりに飲んであげる男にキュンとするという漫画を思い出した。
今、それと同じことをされたけど、キュンときちゃった。


お酒を一滴も飲んでいないのに、雰囲気で酔っちゃいそうだった。

意外と怖くないんだな、妖怪って。

刺身を食べながら、広間の真ん中で一つ目小僧が踊っているの見ていた。
そのそばで、ろくろ首とのっぺらぼうが、三味線や太鼓を鳴らしていた。
一つ目小僧は音楽に合わせて、扇子を使って踊っていた。

「客人も、どうですか?」
と一つ目小僧が近づいてきた。

「わたし?」
わたしはチラッと旦那様の方を見た。
旦那様は踊ってきなさいと頷いた。

一つ目小僧に手を引かれて、広間の真ん中に来たが、どう踊れば良いのだろうか。
わたしは目の前で踊る一つ目小僧の真似をして踊った。
すると、周りから
「上手、上手」
「小僧、負けてるぞ」
と野次が飛んできた。

旦那様の方を見ると、旦那様は楽しそうにこちらを見ていた。

踊っていると、バン、と襖を開ける大きな音がした。
音楽が止まり、広間にいたみんなが一斉に開いた襖の方を見た。
そこには、腰の曲がった和服姿の老婦人がいた。

「あ」
タクシー乗り場のおばあさん。
やっぱりおばあさんも妖怪だったんだ。

「あら、楽しそうだね」
とおばあさんが広間に入ってきた。

みんな、おばあさんの行き先を阻まないよう、物を片付けたり、移動したりして、道を開けた。
わたしも一つ目小僧たちの後をついて、襖側に移動した。

「お祖母様、どこに行ってたのですか?」
「ちょっと渋谷に」

この2人、祖母と孫の関係なんだ。
というか、おばあさん渋谷に行ってたの!

「そんなところに。しかもこんな日だったから、人間が多かったでしょう?」
「すごかったわよ。でも、人間じゃないのも、ちらほらいたけどね」
と老婦人は山姥の方をチラッと見た。
きっと、山姥のお孫を見つけたのかな。

「渋谷へは、なんのご用で?」
「買い物よ。今日はみんな集まるっていうから。持ってきて」
と後ろを振り向いた。

みんな、おばあさんが入ってきた襖の方を見ると、両手に紙袋を抱えた男がいた。

「あ!」
その男は、さっきわたしが乗ってたタクシーの運転手だった。

「大奥様。こちらはどちらに?」
運転手はよろよろと広間に入ってきた。
「真ん中に置いてちょうだい。」
「またお菓子ですか?」
「そう。百貨店でお菓子をいっぱい買ってきたから、みんなで食べしょう」
というと、みんなが喜びの声を上げた。

「また、こんなにたくさん」
「いいじゃない。今日はハロウィンでしょ?」
と旦那様の隣にいた六花が嬉しそうにいった。

「さあさあ。みんな食べましょ」
とおばあさんはそういって、旦那様の右隣にある席に気づいた。

「お客様でも来ているの?」
「そうだ。アミ。アミ、どこだ?」
「はい」
わたしは呼ばれて、早足で旦那様のもとに行った。
おばあさんはやって来たわたしを見て、驚いた。

「まあ、あなた」
「この方はフランス人形の付喪神のアミで、家の近くで迷っていたので、家に招きました」
「あなた、どうしてここに?」
「実はわたしも渋谷に行きたかったのですが、もらったベルで呼んだタクシーが、わたしの行きたい場所を聞かないで、この近くまで来ちゃったんです」
「ああ! その声!!」
ドタドタと来たのはタクシーの運転手だった。

「やっぱり。さっきタクシーに乗せていた人と同じ声だ。あのあと大奥様に呼ばれるまで、探し回ったんですよ」
「やっぱり、そうか」
旦那様はため息を吐いた。

「アミの話を聞いて、きっとお祖母様がベルをアミに渡してしまったのだろうって思いました。私が今日運転手に、お祖母様が寄り道したといっても、絶対家に連れて帰えるよう強くお願いしていたのですが。運転手ののっぺらぼうは目を付けないことがあるので、きっとアミをお祖母様だと間違えて、ここに連れてきたかもしれません」
「タクシーから降りたあと、大奥様に呼ばれたとき、不思議に思いましたけど、そうだったんですね」
「というか、あなた。なんで目を付けていかなかったのさ」
と太鼓のバチを持っていたのっぺらぼうの女が近づいてきた。
2人は夫婦みたいだ。

「いや、迎えに行くだけだしいいかなと思って」
「アホだね、もう!」
「でも、あなたにすごく迷惑をかけてしまったわね。ごめんなさい」
とおばあさんはしょんぼりしてしまった。

「迷惑だなんて思っていません。むしろラッキーでした。おばあさんのおかげで、こんな素敵なところに来れてよかったです」
「そう?」
「私もよ」
と六花が言った。

「こんな可愛らしい子と仲良くなれて、嬉しかった」
「おいらも」
「わしも」
「ぼくらも」
と他の妖怪たちも六花の言葉に賛同した。

「それなら、よかったわ」
とおばあさんは笑った。

「終わり良ければすべて良し……ですかね。でも、そろそろアミを家に送らないと」
「今、何時ですか?」
旦那様は着物の袖を少し捲って、腕時計を見た。

「もうすぐ22時になるところです」
「もうそんな時間!」
「持ち主も心配しているでしょう。今度はちゃんとうちの運転手が家までお送りします」
「待って、義彦。その前に」
「なんですか?」
「せっかくだし、一緒にお菓子食べていかない?」
「お祖母様。これ以上、アミをここに引き留めるのは」
「良いじゃない。日付変わる前に送れば問題ないでしょ? 義彦はあの人に似て、心配性にも程があるよ」
とおばあさんにいわれて、義彦と呼ばれた旦那様は図星を突かれたような顔をした。

「ねえ、アミさん。あなたはどうする?」
さっきの宴のときは、帰るためならという思いで「ぜひ」といったけど、

「ぜひ!」
とまだここにいたい気持ちで、おばあさんのお誘いに応えた。

おばあさんが買ってきたお菓子は、普段食べることができない値段の高いケーキやタルト、チョコレート、ジェラートなどだった。
普段、百貨店の地下に来たとき、買わずに見るだけだった。
食べたいなあと思っていた、フルーツがたっぷり飾られたタルトが宝石のように輝いていた。

「わあ……」
お膳には、先ほど食べていた食事の皿は片付けられて、フルーツタルトがのった真っ白の皿があった。

「さあ、食べましょ」
とおばあさんがニコニコしながらジャック・オー・ランタンの形をしたパンプキンケーキを食べた。
他の妖怪たちもそれを合図に食べ始めた。

妖怪って、本当にお菓子が好きなんだ。

「お祖母様が、洋菓子がすごく好きで、よく買ってきてお茶会を開くのです。洋菓子が好きな妖怪はうちだけです」
と義彦がいった。

やっぱり、この人、わたしの思っていること読んでいるよね?
わたしの正体、バレている……よね?

「それより食べないと、小鬼に取られますよ」
横の方で、ジッとわたしのフルーツタルトを見ている小鬼たちがいた。
油断の隙もない小鬼たちだ。

「いただきます」
わたしはフォークで、タルトを一口分切り取って食べた。
サクサクのタルト生地と甘いフルーツが口の中いっぱいに広がった。
「美味しい〜」
「良かったわ。いっぱい買ったから、遠慮せず食べてね」
とおばあさんは嬉しそうにいった。

おばあさんが買ったお菓子は、あっという間になくなってしまった。
わたしはタルトの他にモンブラン、プリン、ムースを食べた。
先に食べた食事の分もあって、わたしの胃袋は限界を迎えていた。

「はあ、お腹いっぱい」
「結構食べていたけど、大丈夫?」
六花が心配そうにわたしに聞いてきた。

「平気です。デザートは別腹っていうじゃないですか」
「確かにそうね。あたしもよく甘いものはごはんに比べて、いっぱい食べちゃうわ」
「そろそろ、お開きにして、アミを家に送り届けないと」

そっか。
もう家に帰らないといけないのか。
でもなあ、もうちょっといたいなあ。

「でもせっかくだし、今晩ここに泊めても良いんじゃない? もう遅いし。それにアミがまた狭くて暗い物置き小屋に帰るのかと思うと、かわいそすぎる」
と六花がわたしをギュッと抱きしめた。
「でも家に帰らないと、アミの持ち主がもっとかわいそうでしょう?」
「そうだけど……」
「それに、もうアミは物置き小屋なんかしまわれることはないと思いますよ」
「どうして?」
「こんなきれいな人形を自分の目に見えるところに置きたいでしょう。六花がきれいにしたから」
「……そうね。じゃあ、化粧が落ちないように、術をかけてあげるわ」
と六花はわたしの顔に冷たい息を吹きかけた。

冷たい……!

「これで、たとえ汚れようが水をかけられようが、化粧が落ちることはないわ」

え、すごい!
すごいけど、それじゃあ明日からの学校どうしよう。
先生にメイクしていることバレたら、マズイんじゃ……。

「アミ?」
「ありがとう、六花さん。わたし、これで持ち主のそばにいられるわ」
と笑った。

屋敷の前には、あのカボチャのランプがのったタクシーが停まっていた。
そのそばに運転手が立っていた。
「今度はアミ様が行きたい場所にお送りします」
と運転手は後部座席のドアを開けながらいった。

「家まで、お願いします」
とわたしは車に乗った。

ドアが閉められるとき、
「私も乗ります。ちゃんと送るか見張らないと」
と義彦も乗った。

「そんな。ちゃんとお送りしますよ」
「念のためです」
後部座席のドアが閉まり、窓が開いた。

「じゃあ、義彦。お願いね」
とおばあさんがいった。

「お祖母様。あまりその名前で呼ぶのは」
と義彦が困った声でいった。
わたしはなんのこと?、と首を傾げた。
義彦はそれを見て、ホッとした。

「アミさん、また遊びに来てね。今度はクリスマスケーキを食べましょう」
「ぜひ」
「アミ、また会おうね」
「はい。六花さん、色々ありがとうございました」
「出発します」
とタクシーのエンジンがかかり、動き始めた。

わたしは窓から顔を出して、タクシーが角を曲がるまで屋敷の前で見送る妖怪たちに手を振った。
妖怪たちもタクシーが見えなくなるまで、手を振った。

タクシーが角を曲がり、わたしは顔を車の中に入れて、窓を閉めた。

「今日は色々ご迷惑をおかけしました」
「こちらこそ、怪我の手当や食事、さらに送っていただきありがとうございました」
「屋敷に行くまで、あんなに泣いていたのに、今は元気になってよかったです」
「なんか、泣いていたのがずっと昔に思えます」
「でも付喪神になるまでに比べたら、短いでしょう」

そうだった。
わたしはフランス人形の付喪神だった。
屋敷を出ても気が抜けない。

「い、いわれてみれば、そうですね」
「これから、なにも起きない限り、あなたは生き続ける。ずっと持ち主の家にいるのも退屈になると思うので、ときどきで構わないので、お祖母様がいうように、また屋敷に遊びに来てください。これを差し上げます」
と卓上ベルを出した。

「鳴らせば、彼が迎えに来ますので」
「いつでも参ります」
と運転手は振り向かず応えた。

「ありがとうございます」
とわたしは義彦からベルを受け取った。

「ああ、あと」
と義彦はわたしの頬に手を当てた。
わたしはドキッと心臓が動くのを感じた。

「あなたの心配していたことは解決しておきました。でも、六花の妖術は残っているので、永遠にその顔のままです」
「どういうことですか?」
というと、タクシーが止まった。

「到着いたしました」

タクシーは自宅の前に止まった。
いつもならなにも思わず帰ってくるのに、今は家に帰れて良かったと心の底から思えた。

「ここがあなたの持ち主の家ですか。もう持ち主は帰ってきているといいですが」
「そうですね。でも、もうこの時間ですし、彼女はもう帰ってきて、寝ているかな。そうだ」
わたしは斜めがけの鞄から、ナナたちに渡すお菓子を出した。

「これよかったら、どうぞ」
「私に?」
「ささやかで申し訳ないのですが、今日は助けていただいたお礼に」
「いや、こちらの不手際で、アミに迷惑をかけてしまったので、受け取るのは」
「色んなことがありましたけど、素敵な宴に参加できて楽しかったです。だから、受け取ってください」
義彦はわたしからお菓子を受け取った。

「では、ありがたく頂戴しておきましょう。ありがとう」
「そうだ、アミ様。これをお返しします」
と運転手が後ろを振り返って、1万円札をわたしに差し出した。
「それ、行きのときに置いたタクシー代」
「受け取るわけにはいきません。全て、私がいけないので。お返しします」
「でも楽しかったので、行き帰りのタクシー代として受け取ってもらえませんか? 終わり良ければすべて良しなので」
運転手は義彦の顔を見た。

「受け取りなさい」
「それではありがたく頂戴いたします。ありがとうございます」
と1万円札をジャケットの胸ポケットにしまった。


「では、またどこかで」
とタクシーは走り去ってしまった。

いっちゃった。
なんか夢みたいな夜だったなあ。

「アミ?」
振り向くと、玄関のドアを少し開けて、そこから覗く母がいた。
「お母さん」
「もう終電が終わったから、どうやって帰ってくるのか心配したのよ」
「え、もうそんな時間?」

まずい。
ナナとユキに連絡していなかった。
スマホの電源を入れると、ナナとユキから連絡が何件か届いていた。

アミが乗る電車、運転見合わせ見たいね。
もうすぐ着きそうなとき、連絡してね。

ごめん。
渋谷があまりにもカオスだったから、もう帰ることにした。
アミはまだ電車動かない?

アミ、大丈夫?

2人はもう渋谷にいないのね。
あとで返事しよう。

「早く、家に入りなさい。そんな格好じゃ寒いでしょ」
「うん」
と家の中に入った。

「あれ?」
靴を脱ごうとしたとき、履いていたものがサンダルではなく、藁草履だった。
屋敷を出るとき、履き間違えたのかな。
「サンダルはどうしたの?」
「えーっとサンダルが壊れちゃって。ちょうど親切な人にもらったの」
「今どき、藁草履履いてる人なんているのね。でも汚いから、明日の燃えるゴミに出しなさいよ」
「だ、だめ。これは大事な草履だから」
「なにいってるの、この子?」
と母は呆れながら、リビングに行ってしまった。

夢じゃなかったんだ。

洗面所で、六花がしてくれたメイクがされた自分の顔を見た。
恐る恐るクレンジング剤を染み込ませたコットンで顔を拭いた。
しかし、メイクは落ちなかった。

六花さんの妖術で、メイクが落ちないようになっているみたいで嬉しいが、ちょっと困った。
明日学校で先生に注意されて、反省文を書かされるのはダルい。

でも、あの人がさっきわたしの顔になにをしたんだ?
なんにも変わっていないじゃない。

「明日どうしよう……」


次の日。
わたしは顔を下にして、登校していた。

朝、起きてすぐ鏡を見たが、顔は昨日の夜と変わっていなかった。

誰も、わたしの顔を見ないで、と思いながら歩いていると、
「アミ!」
と後ろからナナとユキが走ってきた。

「おはよう。昨日はごめんね、体調悪くなって家に帰ったこと連絡しなくて」
「全然いいよ。もう大丈夫なの?」
「うん」
「というか、どうしたの? 顔を隠して?」
ユキがわたしの顔を覗き込んだ。
「ダメダメ。わたしの顔、ガッツリメイクしているから」
「え、全然ガッツリじゃないよ。薄い薄い」
「いつもと違う感じしない?」
「全然。いつもと変わらないよ」
昨日、あの人がしたのって、周りの人たちが六花のメイクに気づかない妖術ってことかな。
それはすごく嬉しい。

「まあ、強いていうなら、肌がいつもより白いかな」
「え?」

それって、六花さんの妖術によるものかな?
顔を触ったとき、なんとなく冷たかったんだよなあ。

「というか聞いてよ。昨日はやばかったんだよ。周りがもう人、人、人。人だらけ!」
「どさくさに紛れて、身体触ってくるやついて、マジでキモかった」
「地元のゲーセンでプリ撮って、カラオケ歌ってた方がよかったかも」
「そうだったんだ」
「帰りとか、やばかったね」
「なんかあったの?」
「空見たら、赤い点々が光ったり消えたりするのがたくさん見えたの。ドローンじゃないかって、周りざわついたよね」
「へえ……」

もしかして、山姥のお孫さんたちかな。

「お前ら、昨日渋谷に行ったのか?」
後ろから声をかけられて、振り返ると滝本先生がいた。

「タッキー、おはよう」
「ねえ、友達じゃないんだけど」
「いいじゃん。HR前だし」
「なんなんだよ。そのシステム」
「ねえ、昨日の渋谷、マジでカオスだった」
「前に進みたくても、全然進まなかった」
「そりゃ、そうだろ。あんなところ行っても、楽しいことなんてなんもないだろ? 家でのんびりするのがいちばん。そうだろ、南?」
「え?」
わたしは滝本先生の方を見ると、先生がわたしのことを見ていた。
わたしは滝本先生を見ないように、顔を俯いた。

「タッキー、またアミのことからかってる」
「タッキー、アミのこと好きなの?」

2人とも、なに聞いているの!?

「先生には可愛い彼女がいるから」
「え、マジ!」
「誰、誰?」
「あだ名で呼ぶ子には教えません」
というと、ちょうどチャイムが鳴った。

HRが終わり、今日が日直のわたしは、一限目の準備のために日本史準備室に入った。
そこには滝本先生がいた。
「失礼します。資料を取りに来ました」
「おお。それ持ってって」
と机の上に積まれている資料を指した。

両手で、資料を持って、準備室を出ようとしたとき、
「そうだ、南」
「はい?」
「忘れ物」
と滝本先生の足元にあったダンボールから、汚れた白のサンダルが出てきた。
昨日履いていたサンダルとすごく似ていた。

それ、わたしのサンダル!
なんで先生が?

「間違えて、一つ目小僧の藁草履履いて帰っただろ? 小僧がお見送りできなかったって泣いてたぞ」

え、え?

「どうしようかなと思ったけど、なかなかの名演技だったな。帰宅部なんかしないで、演劇部に入ったら? 俺、顧問だし」

頭の中で整理がつかない。
待って。
滝本先生の下の名前って、たしか義彦だった。
まさか……嘘でしょ?

滝本先生はわたしの耳元に顔を近づけて、
「またお会いしましたね。フランス人形の付喪神さん」
と持っていたサンダルを両手で抱えている資料の上に置いた。

自宅の勉強机に置いてある卓上ベルを鳴らして、今すぐここから遠くに行きたい。

最後まで読んでくださりありがとうございます。これからもワクワクドキドキウルウルする作品を作っていきます。作品が良かったら「スキ」を押していただけると、とても嬉しいです。次の更新もお楽しみに^^