校則

ぼくが通っていた高校は市内の高校の中でもかなり校則が厳しい方で、厳しくしてもどうしようもないくらいの生徒が通うような高校だった。大勢の子どもたちをまとめるにはそれなりに規則が必要なことは理解できるが、同じ高校の他の生徒たちを見ていて、厳しい校則がなければ人倫を外れる行動に走るような人ばかりかと言われればそうではなく、どう見ても当たり前に守れていることを厳しすぎるレベルで縛っているようにしか見えなかった。

福岡市の中学高校は全国と比較しても髪型に厳しいと思う(修学旅行やテレビで見る市外の児童たちと見比べて判断)。これらを縛ることに何の意味があるのだろうか。学校側の主張としては「うちの生徒が、だらしない身だしなみで周囲の人の目に晒されるのを避けるため」や「心の乱れは見た目に出る」という、何を基準に良し悪しを決めているかよくわからない主張をする。ちょっと髪型が奇抜なだけで悪く思われるほど多様性を受け入れられない時代錯誤な学校だと言っているに等しいし、見た目で心のあり方を判断するなど偏見も強すぎる主張だ。加えて、髪型などの身だしなみを縛り付けることは、人格権を侵害している。
ぼくは、髪の毛は邪魔になればバッサリ切り落とす。特に触覚過敏な傾向があるので、もみあげも襟足も前髪も、すぐ邪魔に感じる。何も考えなくても当たり前にやっていることを、学校の風紀検査というくだらない行事に合わせて切らないといけないなど、より圧をかけられていては、非常に腹が立つ。
まとめると、偏見だけで人格権を侵害し、別に何も悪いことはしていないのに圧力をかける校則など、教育にはふさわしくないと思う。

次に、今でも全国的に持ち込みが禁止されている学校は多いであろう、携帯電話などの通信機能を備えた情報端末。情報へのアクセスの自由度が高まった今の時代にスマートフォンの校内への持ち込みを禁止するのはなぜだろう。学校で教わる勉強のレベルなら、要領良くこなせる子どもであれば教員の助けなど借りなくても進められるのに、それを妨げるのは時間の無駄だと思う。むしろ、情報端末の適切な活用方法を教えてあげるべきではないのか。
また、携帯電話は自分の身を守るためにある。ぼくが通っていた高校では、もしもの時は周囲の人に助けを求めれば良いなどと言っていたが、他人や環境に依存した身の守り方よりも、自分の身一つで解決に導ける手段を持っている方が確実だと思う。

今回は髪型と携帯電話という2点を例に校則の時代遅れな話をしたが、これら以外にもまだまだ先進的とは思えない縛り付けで教育を行っている学校はたくさんあるはずだ。
大学の同期で教員になった人から話を聞いたら、おかしいと思う校則はあるけど、上には逆らえないからどうしようもないらしい。今すぐにでも見直すべきだとぼくは思うが、子どものために存在しているはずの教育は、大人が都合よく子どもを支配するための仕組みや枠組みしか作らないように思える。
これから未来をつくる子どもたちに必要なこと、そのために教育が手助けできること、縛られた環境よりも、より自由度の高い学びの機会を与えた方が精神面も健やかに成長できるということを念頭に置いて、教育現場の大人たちは改革に励むべきではないだろうか。ぼくは、教育現場の大人たちがそれを実行するための能力を持っていないことを身を以て知っているので期待はしないが、警鐘は鳴らしたい。

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