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私と夫は今から15年前に出会った。 私たちは同じビルの中にある別の会社で働いていて、時々ビ…
徐々に距離を縮めていった私たちは、テキストメッセージで会話するようになり、毎日のように会…
夫と一緒に住み始めたある日、私の職場の人にバーベキューに誘われた。 私の仲の良い同僚が何…
私たちには楽しかった日々もあったし、心から笑い合った日もあった。 きっと彼には心から楽し…
親友と彼を会わせてから数日後、私は彼女とカフェで待ち合わせをした。 いつものようにたわい…
私は元々大雑把で、隅々まで片付けることはしない。 それを時間と労力の無駄だだと思っていた…
別々に住んでいた時、彼は会社に行く時間が合えばよく私のアパートに迎えにきた。 外国人あるあるなのか、彼の職場が緩かっただけなのか、彼は朝食を食べに行こうとよく言った。 私は朝、誰かと朝食を外食する余裕など全くない。 海外に住んですでに10年以上が過ぎたが、朝食を外に食べに行く余裕などあったことがない。 私が ”朝は無理” と言ったら、彼はよく朝食を買ってきて、私たちは通勤途中にある公園で食べた。 私は何度も彼に ”朝食はガッツリ食べないから、こんなに食べられない” と
私たちは、写真事件以降は特に大きな問題もなく過ごしていた。 相変わらず彼は私をお姫様のよ…
夫はその後も何度か私の実家を訪れた。 時間が経つにつれ、夫の気も少しは落ち着いてきたよう…
私たちは遠距離の末、私は日本で出産した。 つわりはほぼ最後まで続き、陣痛が全然来なくて3…
私は今でも後悔していることはただ一つ、もっと早く逃げればよかった。 逃げても終わらないが…
私は産後数ヶ月経った頃、赤ちゃんと一緒に夫の国へ引っ越した。 赤ちゃんを連れての飛行機、…
私たちは夫の国に移り住んだ後、夫の実家で彼の両親と暮らした。 それは私が提案した。 表向…
夫の国に住んでいた2年間は、夫の叔父さんがいつも側にいた。 それは私を助けていたと同時に夫のことも助けていた。 今思えば、叔父さんはずっと夫や叔父さんの両親、義母夫婦、親戚をみんな助けていたのだ。 叔父さんは本当に天使のような人だった。 全ての人の不幸を叔父さんが背負っているように見えた。 だから私は夫のとこもなかなか言い出せず、元気で平気なふりをしていた。 叔父さんに頼ることは容易だったし、もし頼れば絶対助けてくれることはわかっていた。 だからこそ頼れなかったのだ。