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読書は一人称なのか、三人称なのか

読書(ここでは小説)ってその世界観の中に没入出来ますよね。周りに誰がいようがノイズキャンセリングをしているかのような孤独。一方でその世界に入り込み、たくさんの人とであることができる。

映画やドラマやアニメ、漫画を読む際に私たちはそれを傍観する第三者。その作品をリアルな世界から眺めるという点で第三者にもなれていないかもしれない。

これが読書と異なる点であると私は思う。読書はたとえ第三者であってもその作品の中からーいわば野次馬のようなーその物語を目の前で見届ける存在なのだ。つまり物語に関与はしないが、自分も登場人物の一人のような感覚だ。

この感覚が最高に楽しい。野次馬はみんな好きなのだ。事件をニュースでみるのではなく、事件を現場でリアルタイムでみる感覚。(例えが不謹慎なのでこの辺で止めておくが)つまり「三人称」なのだ。

加えて本は登場人物の詳細な心理描写、景色を美しく伝える文章から「一人称」で物語に加わることができる。登場人物そのものになり切った感覚。自分は読書中では何者にでもなれる。

結局読書中自分は「一人称」なのか。「三人称」なのだろうか。間をとって二人称?(それはないだろう)

はっきり断言することは出来ない。しかしこの曖昧な感覚が、私たちを虜にする原因の一つであるのだろう。

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