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一人暮らしは一人じゃできない

もう歩きなれた駅から家までの道のりを歩いていると、猛烈に春の匂いがした。
この街に引っ越してきてから3度目の匂いだった。

3年前のまだ少し肌寒い日、生まれて初めて一人で不動産屋を訪れた。めちゃくちゃ緊張した。

わたしは芸能の仕事を始めてから、口癖のように「都会で一人暮らしをしたい」と言っていた。
だけど現実は厳しく、一人暮らしができるような収入を得るのは難しかった。
八王子の家から、毎週のように都内に通った。実家は駅から遠く離れていて、徒歩だと1時間かからないくらい、自転車だと20分くらいの位置に存在している。
夏の焦げるように暑い日も、指先が吹き飛んでしまうんじゃないかと思う程寒い冬の日も、来る日も来る日も一生懸命自転車を漕いで駅に向かった。そして、最低でもそこから目的地までは1時間かかる。それが八王子の隅っこに住むという事だった。

今の事務所に所属させてもらってから、毎月少しずつ貯金ができるようになって、ついに一人暮らしができるような額になった。
あんなに憧れだった都内での一人暮らしが目の前に見えた時、嬉しい反面本当に八王子を離れるんだ、と、とてつもなく大きい不安に襲われたのを今でも覚えている。

不動産屋さんのお兄さんはとても優しく、「最初で最後の一人暮らしかもしれないので、キラキラしたところに住みたいです」という、テレビ番組の上京ガールでも言わないような私のセリフを真剣に受け入れてくれた。

一日で4件の賃貸を回り、わたしはその日に今住んでいるアパートに住むことを決めた。
ぶっちゃけ不動産屋に行く前は、「まあ、決まらなかったら決まらなかったで、また今度でいいか」と考えていたけれど、実際に目の前に都会を押し付けられた時、腹をくくるというか、わたしはここで生きていくんだというか、突然「都会に住んで芸能の仕事をするんだ」という決意みたいなものが生まれた。

正直、この物件が良いのかどうかなんて分からなかった。
だけど、今日決めないと一生行動しなさそうだな、と、震える手で書類にハンコを押した。その夜は、興奮して眠れなかった。

数日後、無事に審査が通って、わたしは今の家の主となった。
家賃を払うのもわたし一人、今まで勝手に出てきたご飯も出てこない。もちろん放っておけば家の中はカビやほこりだらけになる。
鍵を渡されたとき、一気に一人暮らしをする自覚のようなものが芽生えた。

近くに住む友達が、まっさらな部屋を生活できるような部屋にするために手伝いにきてくれた。
一緒にカーテンや生活必需品を買い出しに行ってくれたり、採寸までしてくれた。まず、近くに親しい友達が住んでいないことには、寂しがりの私に一人暮らしは無理だったと思う。

部屋を採寸してくれる友達(私はメジャーすら持っていなかったよ)

もちろんまだ芸能の仕事だけでは生きていけなくて、しばらくは元々働いていた歯医者と都内を往復する生活を送っていた。
歯医者の院長と副院長に、引っ越しするから今までみたいには来れなくなる。けど辞めたくない。というわがままなことを伝える時、大大大号泣してしまった。
「そんな働き方は迷惑だから辞めてほしい」と言われることを想像していたけれど、実際は「応援してるから、これからは出勤出来る好きな時に来ればいいよ」「かほちゃんの身体に何かあったのかと思って心配したわ~」
との言葉だった。その言葉にまた泣いたあの金曜日の夜を一生忘れない。

それはすごく嬉しいことだったけど、ずっと八王子と往復してるわけにはいかないと思っていたそんなある日、管理会社のおっちゃんから電話がかかってきたのだ。

「かほさんのお部屋の玄関の電気、お昼でもついてる時あるけど大丈夫?てか、生活はどう?」

という、今で思えば、あれはおっちゃんの暇電だった。

「生活は大丈夫なんですけど、バイト探してるんですよね~。そちらでバイトとか探してないですか?」
「うちになんの仕事があるっていうのよ(笑)」
「ですよね~(笑)玄関の電気消しておきます~」

というゆるトークが繰り広げられた数分後、再度同じ番号から電話がかかってきた。

「ウチ、今事務の子探してるみたい。来週面接来る?」

そして翌週、即仕事が決まった。自分が住んでいる賃貸の管理会社だった。
まさか自分が不動産関係の仕事をするなんて思っていなかったし、人生って本当に分からないなあと思った。

芸能の仕事は流動的で、「明日現場行けますか?」とか、「明日オーディションです」とかいうのが当たり前の世界だ。
それを受け入れてくれた会社には、退職した今でも感謝している。

他にも、実家から荷物を車で運んできてくれたり、まだ机がない時に、プラスチックケースの上でご飯を一緒に食べてくれた友達もいた。

懐かしいね

家電も、友達が引っ越し祝いにくれたり、ファンの人が事務所に送ってくれたりした。
「悲しいことがあった(´;ω;`)」と連絡したら八王子から飛んできてくれたり、引っ越し祝いを八王子から大量に持って来てくれたり、私が安心して都内で一人暮らしできるのは、八王子の友達がいつでも飛んできてくれるという心の支えも大いにあった。

「一人暮らしすると親のありがたみがわかる」という言葉は身に染みたが、私は一人暮らしで友達のありがみさを改めて感じた。

一人暮らしをしたからにはしっかりしなければ!と背筋を伸ばして生きていこうとしていたけれど、実際には一人ではなんにもできないちっぽけな人間なのだ。
わたしがこうして生活できているのは、全部全部、いつも見えないところで私を陰ながら支えてくれる人たちのおかげだった。

そんなことを改めて感じられただけでも、この一人暮らしは大成功である。

そして願わくば、まだまだずっとこの都会に住みたい。
そしてさらに願わくば、もっと広い家にも住んでみたい。

6.5畳ワンルームですよ

叶えるも叶えないも、全て自分次第。
今日の春の風が、まだまだ頑張れと、わたしのお尻を叩いた。

おしまい


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