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黒い影だった頃

短大の入学式用に、スーツを買ってもらった。「1年後、就活でも使えるように」と、派手じゃないスタンダードなデザインのものだった。

その甲斐あってか、入学式当日、ヌーの大群のように移動する新入生の群れに、うまく紛れられていたはずだ。
ただ、一目見て「モデルをやってるんだろうな」「オーラあるな」という子は、タイトなミニワンピースを着ていたり、ベージュのセットアップだったり、入学式から個性を爆発させていたのを覚えている。そして、実際に活躍しているモデルさんだったりした。
そんな子を見て、浮いていても気にしていないと思っていることを羨ましいと思う反面、黒に塗りつぶされた群れに紛れている安心も感じた。

「就活で使うんだから、綺麗に使いなさいよ」と、スーツの青山でお母さんから強く釘を刺されていた。

「はあい、てか、着るときなんてなくね」

と、ぶっきらぼうに返していたが、短大に入学して半年ほど経ったころ、わたしは毎週のようにスーツを着るようになる。

高校生の頃仲が良かった友達と、急に連絡がとれなくなったのだ。
「おーいおーい、何してる~」と、興味のない異性からきたらウザいラインランキングナンバー1を、友達に送り続けた。
すると、友達から電話がかかってきたのだ。

「今、泊まりでフェスの物販スタッフに来てて1秒もラインを返す暇がない、お風呂も5秒で入って蝶のように舞い蜂のように刺してる、ゴメンネサヨナラ~」

というような内容のものだった。なんとも簡潔だった。
ライブスタッフをやっているなんて初耳だったから、色々聞きたいこともあったけど、なんてったって彼女はお風呂さえモハメド・アリスタイルで入っているのだ。彼女の邪魔は誰にも出来ない。

数日後、彼女のほうから連絡がきた。

「かほたんもライブスタッフやらない?」

その頃、高校生の頃から某有名ケーキ屋さんでしか働いたことのなかった私は、未知の世界にとても惹かれたのだった。
エンタメや、音楽業界にはとても興味があったので、その連絡の数分後には、電話で面接の申し込みをしていた。

面接は、雑多とした部屋で、同い年くらいの女の子が5人くらい座っていた。

面接官もまた女の人だった。面接官が女というのは、いつもとても緊張する。男の人をナメているわけではないが、やはり、女は女に厳しいような気がするのだ。この説が気のせいだけでなかったのを知るのは、この数週間後の話である。

一通り面接が終わり、面接官2人は部屋をあとにした。

数分後、戻ってきた2人に、「今から合格者のみを発表します」とのことが告げられた。
「名前を呼ばれなかった人は退出してください」という公開処刑パターンだ。

たかがバイト、されどバイトで、人から自分の能力を買われて選ばれる瞬間というのは、いつもドキドキする。

高校受験で、自分の番号を探している時くらいドキドキしたが、私の名前は無事呼ばれた。

「申し込みの電話の時から評価しています」という新事実も告げられたが、それは正しいジャッジであると感じた。
落ちた内の1人は、面接官が席を外している間、お茶を飲み携帯を見ていた。「家でできないことは外でもできない」と小さい頃からお母さんに言われていたが、にじみでる所作に、ソレが表れていたのかもしれない。

そして無事、この会社の一員として働くことになったのだ。

一番初めの仕事は、代々木第一体育館で、某死ぬほど有名アーティストの物販だった。

モハメド・アリ友達と一緒というのも心強く、「都会に出て、芸能界に触れて仕事をしている」という充足感は、今まで地元のケーキ屋だけに閉じ込められていたわたしにとって、麻薬のようだった。

そこからの、わたしの会社への貢献はすごかった。

社員と仲良くなり、すぐに物販から会場案内スタッフへと昇格し、アーティストの関係者の席案内なんかもした。
たまにエレベーターで一緒になる物販の女の子に、「どうやったら案内に入れますか?」なんて聞かれたりした。「社員に取り入ることだヨ!」なんて言えないので、「HPを常に見て、少人数の募集を狙うんだヨ…」などと、ロジカルな説明を繰り返した。

この頃、平日は短大に通い、現場があれば大学のあと現場に向かい、土日は現場でバイトをする。というような日常を送っていた。
ライブを作り上げる一員になることに、完全に酔っていたのだ。
自分一人の動きが、5万人の人々を困らせたり、助けたりすることがあるのだ。こんなに一度に大人数と触れ合えるバイトはきっとないだろう。

そしてこの時着ていたのが、入学式の時に買ってもらった黒いスーツだった。
「ライブスタッフやることになった!」とお母さんに報告した時、「スーツは綺麗に使いな。ヒールもね」と口を酸っぱくして言われたいたが、そんなのは無理な話だった。
10キロ分くらいのチラシが入った紙袋を持って階段を地下から階段で駆け上がったり、会場に遅れてきたお客様を席案内するために猛ダッシュしたり、とにかく会場の中ではずっとずっと走っていた。けれど、スーツとヒールで走っている自分が好きだった。

会場が開けてからは戦だった。耳元のトランシーバーの中では常に怒号が飛び交い、「お前何やってんだよ!!!」と、みんなが聞いているシーバーの中で理不尽にブチ切れられて注目を集めたりした。こんなに男の人にキレられたことも人生でなかったので、反省はしたけれど、それはそれで新鮮な経験だった。女の社員も陰険に厳しい人がいて、「眠いんなら顔洗ってきて?」と、特に何もしていないのに、あちらの機嫌だけであたられたりした。

車椅子案内をしている時、急にトイレまでのアテンドを頼まれるかもしれないので、会場内に立っているということも多かった。
思わずアーティストの声に耳を澄ましてしまい、観客につられて一緒に拍手をしてしまったこともある。この時は先輩にぶん殴られた。これは私が悪い。

大晦日にはカウントダウンライブで27時間くらい働いたりもした。これが人生初のオールだったかもしれない。年明けの瞬間は、アーティストさんの意向もあり、会場の中でお客さんと一緒に銀テープに包まれて迎えたことも覚えている。けど、この時は既に結構ナチュラルハイだった。

様々な経験をして、1年後には、スーツは毛玉だらけになり、パンプスの靴底ゴムは綺麗に剝がれていた。まるで、身も心も傷だらけになったけど、そこに馴染むことを覚えたわたしのようだった。


お母さん、スーツはボロボロになってしまったけど、それと引き換えにとんでもなく大きい物を手に入れられたよ。

やっぱりわたしはこの場所が好きみたいだから、就活はしません。

あの日、スーツの青山でお母さんと交わした約束は何一つ守られることはなかったけど、このスーツがたくさんの夢を与えてくれたよ。

おしまい

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