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“毒親”と“親ガチャ”と「親の心子知らず」

毒親って、なんだろう。
私は親ガチャ成功したんだろうか、失敗したんだろうか。

親になった友達から「かほはもっと親に感謝しなよ!」と言われる。
どうでも良いけど、育ててもらったんだから感謝しなよ、っていう発想、親がし始めたら終わりだよなっていつも思う。

そして、それを言ってくる友達、一人も“社会のために”子供を作ったわけでも、“強制的に”作らされたわけでもないよね。(世継ぎとか求められるような家系なら謝りますが)
「子ども欲しい〜」「子ども可愛い〜」「親がうるさい」「できちゃった」とか、エゴで子ども作っておいて、「産んでもらえたんだから、育ててもらったんだから、感謝した方がいい」っていう発想、感謝のカツアゲすぎて怖い。

こういう話、10代後半から20代前半までは皆んなしてたのに、自分が結婚したり親になれる年齢に近づくにつれて「まだ言ってるの?」って目で見られる。
まだ言うよ。答えに辿り着けてないから。

自分の押し付けの想いを込めた名前をつけて、自分の好みの服を着せて、まだ自我もないうちに自分が良いと思う習い事を教えて。
自分の収入に見合った幼稚園や保育園に入れて、何の罪もない子どもを自分達の社会的ヒエラルキーの業に巻き込んで。

親なんて全員、毒親みたいなもんじゃん。

素直で幸福を感じている子どもを育てることに成功したらそのレッテルから逃れられるだけで、
そう感じてもらえない子どもを持つ親がレッテルを貼られてるだけだ。

当たり前だけど、虐待とか育児放棄とか、そういう「親として」以前に「ヒトとして」問題のある人たちは毒親にすらなれてないと思うから、その話は触れない。

でも、だからって親がすごくないとか、そんなことは微塵も思ってないよ。

こんな言い方をしたけれど、子どもを作り育てる選択をした友人を私は素直に尊敬している。
どんなにエゴだったとしても、自身の命を危険に晒すような生殖活動を選択することはすごいし、結果として社会に何より貢献してる。
子どもは未来そのもので、子どもを育てることは働くことなんかよりよっぽど未来を創造している。
未来の創造主に対して日本はあまりに無責任かつ無感謝だと思うし、日本の未来を考えるなら、なにより必要な存在だと思う。
私自身は、多分一生、そうはなれないし。

そう考えたらこの世界に毒親なんていないのかもしれない。

だけど本人の幸福度と、家庭の経済状況はある程度比例するってことが暗喩的に証明されてるし
(学歴の高い学校ほど親の年収が高い)
(年収の高い企業は学歴も高い子どもが多く、年収が高い方が幸福度も上がる)

毒親かどうかレッテルを貼るのが子どもに委ねられてるなら、
子どもに感謝されることが毒親というレッテルから逃れることに繋がるんだろうし、
子どもに感謝されるには子どもを良い大学に入れたり、良い会社に就いてもらったりした方が良いんだろうし、

でも幼少期にスパルタ教育した家庭での、親子の不仲率は上がるらしいから
「子ども自らをやる気にさせる教育」が必要みたいだし、
そんな教育させるためには有能な教育者が必要だし、
公立の教育にそれを求めたところで教員は年々減少傾向にあるから私立に行かせたり自宅学習を有意義なものにする必要があるし、

子ども自身が楽しいと思えるような趣味や習い事を見つけてあげるには
親自身に教養や知識や、何より子どもがやりたいと思ったことを躊躇なくさせるだけの経済力が必要だし

高い経済力を付けるためには、自分自身がそういう人と出会う環境に身を置かないといけないし、
更に見つけたパートナーとは良好な関係でなくてはならないし、
経済力があり一生を誓えるような素敵な相手を見つけるためには自分自身も素敵な人間でなければならないし、

自分自身が素敵な人間であるためには、…

…あれ?ループしちゃった。

だからこの世界にきっと、良い親なんていなくて、親は親になった瞬間から毒親で、子どもにそれを許してもらえるかは子どもが大人になってから分かるのかもしれない。

私は親ではないから、親の皆さんからしたら、
「かほちゃんは親になったことがないからね」
って思うんだと思う。

そうだね、ごめんね。

少なくとも私の周りの親達は、
子どもの待つ家がありながら不倫してたり、
ずっと夫や妻の愚痴を言っていたり、
子どもができちゃって仕方なく育ててる人も多くて、

親になってないし、まだ子供でありたい私が「毒親とは?」ってなってしまう世の中で、悲しい。

親の心子知らずだし、親の心なんてきっと、子どもは知らない方が良い。


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