見出し画像

怖れとの戦いをやめると誓った話

第一子が0~2歳の頃、私は常に怖れと戦っていたと言っても過言ではない。
それが、最近少なくなって来た。
今を見る事ができるようになり、ゆったりと落ち着いた時間を過ごせる事が格段に増えて来たのだ。

夜22時過ぎ、私は本を読んでいた。
本田健さんの、『一瞬で人生を変えるお金の秘密 happy money』と言う本だ。
その本を読みながら、ふと気付いた。
「私は1歳の乳飲み子がいる(つまり毎日が寝不足)のに、こんな時間に本を読むと言う選択ができるようになっていたのか」と。
これができるようになるには、正直一筋縄では行かなかった。


例えば上のような状況になった時、以前の「怖れと戦う私」であればこう思っただろう。
「今寝なければ、もっともっと寝不足になるかもしれない。だから、まだ眠くはないけれど布団に入って寝る努力をしなければ」。

そんな思いを抱きながら寝床に入ったら、どうなるだろう。
眠れない事に焦りながら無駄な時間を過ごし、そんな状況に苛立ちを感じ、場合によっては自分自身を叱りつけ、そして騒ぐ胸を無理矢理抑えて就寝し、スッキリしない朝を迎える……。

そんな毎日を続けていた私は、あっという間に鬱状態になってしまった。
「○○べき」、「○○になったら困るから」、「○○が当たり前だから」と言う、怖れの感情から来るルールで、自分をがんじがらめにしてしまったのだ。
自分のやりたい事やワクワクする事を無視し続けた結果、自分が本当は何が好きで、何をやりたいのかさえわからなくなってしまった。
怖ろしい事に、やりたい事を「ほとんど無意識で、しかも一瞬で」自分の選択肢から外すようになってしまったのだ。

こんな毎日を送れば、当然、精神も身体も参ってしまう。
そして、そんな風になった妻を見れば夫だって、「どうしちゃったんだよ。そんなにルールや正論に縛られる必要性がどこにあるんだ? 君は君のままで良いはずだろう?」と言う気持ちになるだろう。

もちろん実際はそんなに優しくは言ってはくれなかった。
もっと辛辣な手段でその異常な状態に抵抗して来ていたはずだ。
(夫も実際に起こっている状況に対して行動するため、自分が意識下でそう感じていると言う事には、上手く気付けないケースがほとんどだと思う)
しかし、怖れとの戦いに一生懸命だった私は、「どうして子どもと私の安心安全な未来のために協力してくれないんだろう」と感じていた。

でも、どこかで私も気付いていた。
「あれ、私って何のためにこうしているんだろう。最近の私は、まるで偽物の私みたいな感覚だ。本当の私と、偽物の私が、乖離して行っている」と。


その後、私はとある方のセッションを受けてどんどん変化して行くのだが、今回はその内容は割愛する。

とにかくその方に、「自分を虐待しないで」と言われ、人生で初めて腑に落ちたのだ。
「ああ、私って私自身をいじめ抜いてたんだ。私自身が、自分がやりたい事をやらせてあげてなかっただけ、自分がやりたくない事をやらせてただけで、私は私のありのままで良かったんだ」と。


その日から、私は怖れとの戦いをやめて、自分を幸せにしてあげる事を胸に誓った。
そして、毎日のトレーニングを始めた。
生活の中で、都度自分に、「今、私は何をやりたいのか。今、私はこれをやりたくないと思っていないか」と聞くトレーニングである。

そして、やりたい事は可能な限り実行した。
逆に、やりたくない時は後回しにしたり、夫や子どもに任せたり、システムを単純化してやる気が出やすくなるよう工夫したりして行った。
これを毎日毎日積み重ねて行ったのだ。

そして、一年半ほど続けた今、ようやく、「今、自分がどうしたいか」が、以前よりも素早く、明確にわかるようになって来たのだ。
私が嫌な事はやらない=機嫌が良い事が増えたおかげで、夫との関係も格段に良くなった。
誰も不機嫌で攻撃的で正論を振りかざしてくるパートナーなど見たくはないのである。


私のこのトレーニングは、現在進行形で続いている。
最近の戦いは、「何かしなきゃ」、「時間を無駄にしないようにしなきゃ」、「自由時間なんて取っちゃダメだ」と言う怖れとの戦いだ苦笑
一体この怖れがどこから発せられているかはまだわからない。

しかし、湧き上がってくる怖れをじっくりと見つめて行けば、自ずとそのがんじがらめになった糸はほどかれて行くのではないだろうか。
そう信じて、今日もまた「私って今、なんで焦りたくないのに焦ってるんだ?」と自分の心を感じて行く。
ただただそれを繰り返して、自分の心を感じてあげたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?