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ヨコハマトリエンナーレ2020

noteがただのブログと化してきました。田中です。
誰が咎めるわけでもないのに言い訳をすると、授業で毎週小説を書いていて、それに気を取られているから、noteに載せる文章がありません。
週に2本くらいは書けたらいいんだけどねぇ。まだまだひよっこで、精進せねばなぁと思う次第です。

さて今日は、最早エッセイですらないけど。
ついさっき、ヨコハマトリエンナーレ2020行ってきました💨

外出控えめと演劇の夏(矛盾)を終え、気付いたら後期も始まってて、
行けないまま終わっちゃうのかなぁと思ってたんですけど。

ある日、新聞のテレビ欄を端から眺めてたとき(日課です)
日曜美術館でヨコハマトリエンナーレの特集を組んでたから、行けないなら観て満足しよう、と思って録画したんです。
後日観て、後悔しました。
だって、余計行きたくなるじゃん…!(当たり前)

授業が始まったおかげで毎日の予定がおおよそ決まってきたので、急遽チケットを取って、行くことにしました。
そういえば2020年の目標はフッ軽になることだった気がします。コロナ〜!!!

***

ひとつひとつの感想を書くとキリがなさそうなので、写真あるやつだけさらさら書きます。
公開日記、需要あるのかね。

っていうか、場内ほとんど写真撮影OKなの! びっくり。
特に女の子ふたりで来てるひととか、カップルとか、インスタ映え!って感じの写真たくさん撮ってて、美術館女子…はぁん… と思うなどしました。
わたしはなんとなく自撮りしておきました。

『からみあい』
ちょうどわたしが座ったときは、周りにたくさんのひとが座ったり寝転んだりしていて、
わたしが座る動きは誰かの寝心地に作用し、誰かが立つとわたしも揺れ、背中側にもたれようとすると反対側にいる誰かに反発がいく。
思っているより大規模な作用反作用が働いていて、でも腸を模していて、ってことは人間の身体の中は世界の縮図なのかなぁとか。

『クロマ』
角を曲がってこれがみえたとき、すごく綺麗で圧倒されました。
でもものすごく近くでみてみたら、少しずつ動いていて。動いているっていうか、ひとつひとつのパーツが膨らんだりへこんだり……
正直とっても気持ち悪くて。この気持ち悪さは、明らかに生き物ではない無機質な存在が、生物みたいに蠢いているからなのかな。あと虫っぽくて苦手だったのかも。
すごい嫌そうに書いてるけど、写真撮るくらいには素敵でした。

『目標の定量的無限性』
スポーツ全然わかんないから形状の差については触れない。なんか違うことはわかる。
ずっと流れている音声が、これまた気持ち悪かった……
飴と鞭、とも少し違うんですけど、やる気をおこさせよう、いい子に育てなきゃ、みたいな一方的でズレた愛情を浴びせられている感じ。
反抗するほどの気力が残っていないからか、逃げることすら諦めたくなりました。
あまり感情のこもっていない発話に聞こえたから、それがまだ救いだったなぁ。

***

美術館とか何かの展示に行くと、負けた…しんどい…… って沈んで帰ることが多いんですが。
そもそも何に負けたかはよくわかりませんけど。感覚的な話ね。
今日は、負けた、けど、とっても清々しくて、明日からも生きていけるなぁ、と思っています。

世界はたくさんの煌めきに満ちている。それは危うさや儚さを秘めていて、だからこそ綺麗で。
永遠はないとわかってしまってから、長い夜の夢みたいで、ずっと苦しい。つついたらぱちん、と弾けるシャボン玉のような。美しい球体が安定することはない。

けれど無くなってしまっても、完全には消えない。存在は何かしらの形跡を残す。
どこかへいってしまっても、小さな手でつかまえた光の破片は、じんわりとした温かさを伴って、ここに残っている。

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