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わたしはここに生まれたし、ここで生きる @タイ チェンマイ

自分の帰る場所がない状態の旅人暮らしをしていくうちに、なんとなく一つの場所で生まれたことを受け入れて愛して、そこでの暮らしを全うしている人に惹かれたりするのです。

文化も違う、言葉も違う、料理の味付けもいまいち違う異国の地では、わたしは何かに属している意識を無くしていくのです。もちろん日本人であるという意識もね。




タイのチェンマイでは首長族に会いました。

小さい子からお年寄りまで、みんなこの村で生まれたことを愛しているように見えた。

多少、諦めているのかもしれないけれど、旅人真っ只中のわたしからしたら、この村で生まれたことを受け入れて、愛して、それぞれこんなに自信をもって生きているだけで、かっこよかった。

おばあさんは、ちゃんとそのオーラで子の村を守る。若い人のハンドメイドの作品は十分な売り物。赤ちゃんたちはちょこちょこ村中を歩いている。車もこないし、みんな知り合いのこの村では当たり前のこと。

ここに出てくる人は、この暮らしを愛していることがよくわかる。



国はともかく、私たちは、わたしは、地球に生まれてきた。

こんな時でも地球でできることはないか考えている。

世界中どこにいたって変わらない。私たちは地球に生まれてきて、息を吸って、吐いて、太陽と共に起きて、大地の恵みをいただいて目を瞑るだけ。


地球に生まれたことをちゃんと受け入れて愛する。日本に生まれたことを、ちゃんと受け入れて愛する。

それは人生を旅する上では結構重要な能力かもしれない。首長族の小さい女の子は、自分で手作りしたブレスレットを売ってくれた。自信げな彼女のことを羨ましく思い出す。

いまある暮らしを見つめ直して、地球に生まれてきたことと向き合うのにはきっといい時間だと思う。今は。そうやって過ごすボーナスタイムかもしれない。今わたしの目の前にあるものは何か、まっさらな手のひらを広げて考えてみる。浮かんでくるのは首長族の機織りの音。パソコンを開いてタイプを打つ。そういうことだと思った。




大きな旅をしなくなったわたしは、あれから1年半の時を経て、憧れの土地で地に足のついたくらしをはじめることになる。人生は夢みたいだと思う。だから生きてみたいと思う。


おやすみ。






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