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思えば私は、心配というものをだいぶ受けていない。
高校生くらいから、両親は私のことを信頼してくれていて、
かほならきっとできる、大丈夫って、
心から信頼してくれているのをわかっていたので、
私は素直に、頑張りたいと思えました。
素直に頑張って、
素直に落ち込んで、
素直に喜ぶ。
両親も、それを一緒に味わってくれたので、
私は隠し事をすることを覚えませんでした。




大学生になって恋愛をするようになっても、
私の恋人は
私のことを信頼してくれる人ばかりでした。
私の愛を信頼してくれるので、
束縛や喧嘩別れみたいなことは経験していません。
もちろんわたしも、
恋人の人生すべてを信頼しているので、
どんな人生を選ぼうと、どんな選択をしようと
見守り、愛し続けます。
それは、両親から当たり前にもらっていた愛そのものだなと、
最近は思います。




大学でできた友達は、信頼そのものです。
信頼関係を築くことができなかった人は、
そもそも友達にはならなかった。
私の友達は、
私がどんな状況でも、私と会うことを楽しみにしてくれています。
基本は見守ってくれるけど、
時には怒ったり、喜んだりしてくれます。
いつも一緒にいるわけじゃないけど、
ここぞというタイミングで、会いたくなるのが友達です。
信頼しているからこそ、会って話がしたのです。




**この間久しぶりに
「心配してたんだよ」
と言われた。
「なんで?」
って答えた。
返事はなかった。 **

心配ってなんだっけ。って考えれば考えるほど、
悲しい気持ちになってしまった。
明確に、悲しかった。

あまり多くは言葉にしたくないと思う。
あまりいいことじゃないから。
でも、
信頼であふれた人生に、心配はないはずだから。
私は信頼であふれた人生を、歩み続けたい。

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