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二月は二月で十七音

飽き性の筈の私が毎月毎月よく飽きもせずこうも俳句を詠んでられるのは、一重に強制力が働いているからだ。母親にいつのまにか俳句の団体に入れられてしまって、毎月ご丁寧に”句会が迫ってきていますが”と担当者さながらのLINEを送ってくるので、仕方なくどうにか十七音を作っている。仕方なくと言いながら意外と楽しんでいるのも事実なのだけれど。

さて、今回は二月の句会に提出した俳句をいくつか。

今回は先生の直しよりも自分の詠んだままのほうがいいと思う句のほうが多かったので、自分の詠んだそのままの句を8句。どれも結構気に入っている。

春を待つ夜明けの電車に二人
先生の直し無し
彼が2か月の出張で広島にいたときだったので、宮島の牡蠣祭りに行くべく私が夜行バスで広島に行った。まだ夜明け前で辺りが暗い中、駅まで迎えに来てくれた彼と路面電車に揺られたのが幻想的で楽しかったから詠んでみた。珍しく実体験を詠んだ句である。

言葉より甘くあれ、チョコレイト
先生の直し:言葉より甘くあれ、チヨコレイト
明らかにそうだと思っているだろうけれど、言うまでもなくバレンタインの句だ。言いたいことは句に全て入っているから説明はいらないと思う。句に読点を入れてもいいものかと迷ったし、言葉を選ばないで言うと典型的な句を詠む方たちの集まる句会なので、読点のある句は否定されるだろうと思っていたのでどうしようか迷ったけど、意外とありみたいだ。良かった。先生の直しは歴史的仮名遣いにしただけなんだけど、バレンタインという現代のイベントに妙に歴史的仮名遣いがマッチしてこっちも捨てがたい。めっちゃ上から目線になっちゃった。先生ごめんなさい

蠟梅を前に無力な帰り道
先生の直し:蠟梅に押さるるやうに帰り道
ちゃんと体験があって詠んだ句の筈なんだけど、どういう思いで詠んだのか忘れてしまった。近所の蠟梅を見て感じたことのだったんだけどなあ。なんだったっけ。気に入っている句だから思い出したい。

梅儚くさみしい公園で咲く
先生の直し無し
近所の、公園というのも悲しくなるくらいの小さな人気のない公園に、白梅が一本咲いていた。まだ比較的小さな枝ぶりで儚く咲いていて、多分気付いたのは私だけなんじゃないかと可哀想になって句にした。他で見る梅より圧倒的に綺麗だった。

人生と電車と揺れて春隣
先生の直し:人生も電車も揺れて春隣
春が来ると人生で一番辛かった大学2年生の春を思い出す。父親へ認知の請求をするために弁護士の元へ電車で通った日々。各駅で止まるたびに春の風を取り込む電車の中で、もう春が来ているのになんでわたしはこんなことしなきゃいけないんだろうと泣きそうになったあの日を思い出しながら詠んだ。

玄関のミモザ光を従えて
先生の直し無し
真っ白な広い玄関に、大きな枝ごと花瓶に放り込まれているミモザを想像した。将来そんな未来が私に待っているといいなと思って。

梅も咲くというのにわたくしったら
先生の直し:梅も咲くといふのにわたくしつたらもう
もう梅が咲いているというのに、わたしはなんにも進歩していないと気付いて悔しくなって詠んだ。先生の直しもいいんだよなあー。迷う。ちょっとテイスト変わってくるからやっぱ私の方でいいかな。偏屈なやつでごめんなさい

以上、二月の句を紹介したが、もうすぐ四月の句会が行われる筈なので(何日にあるのかは知らない)結構焦っている。もう二月と三月で”春”というワードは使い切った。完全に手駒が無くなった。どうしようかなあ。

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