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カメラが教えてくれる日常の豊かさ

小学 6 年生の作文に、「将来は写真家になりたい」と書いていた。
修学旅行で淡路島のクルーズ船に乗って撮った渦潮の写真。
それがうまく撮れた。
そういえばそんな夢を持っていたなと、社会人になってカメラを習い始めて思い出した。
カメラを習い始めた当初は、カフェの写真を撮りたい、街のスナップ写真を撮りたいと、最初に目的があった。でも今はこの瞬間を残したい、その思いでシャッターをきっている。




写真を撮り始めて感じるのは、自分の心が動く瞬間に敏感になったこと。
オレンジ色の空、夕陽に照らされた街、道端に咲く花、枯れかけの花、ゆらゆらする水面、階段、光と影。
今まで何となく見ていた、もしくは見えていなかったものが、私の好きな世界であることに気づく。その発見が私の内側をとても濃くしてくれているように思う。


心惹かれるものに出会う瞬間というのは、何にも代えがたい充足感がある。
カメラを持って歩くと意識的に何かに出会おうとしているような気もしている。少し緊張感みたいなものを纏って。
何かに出会おうとする意識って意外と大事だと思っている。
顔を少しばかりあげると見える景色も全然違う。
それに見つけようとするから現れてくれるのだとも思う。


でもそんなにいつも前向きな気持ちで入れないときもある。
不安になったり、疲れたり、焦ったり。
そんな時こそファインダーをのぞく。すると小さな日常の中に、心の芯が温かくなるような瞬間がたくさんあることに気づく。
ないものに目を向けるのではなく、今あるものに目を向ける。

カメラは、私に何でもない日常の豊かさを教えてくれた。


最後に山崎ナオコーラさんのエッセイ本「男友だちを作ろう」の第五話で、写真家の石川直樹さんと会ってお話したエピソードが書かれていて、
その内容について記しておきたい。
石川さんも、「カメラを持っていると、世界に対して意識的になる」ということを言っておられた。
また写真と文章について、お2人のやり取りが書かれている。

石川さん:「僕が思うには、文章と写真は全然違ってて。言葉に分かれる前のものを、カメラで撮れるんじゃないかと」
ナオコーラさん:「それは、わかります。言葉の前に、もやもやがありますからね。言葉を当て嵌めると、もやもやがそれに収まっちゃうから。言葉は怖いですよ。(後略)」

写真は言葉よりは直接的なものではないものが多く、見る人にゆだねられているなと思う。写真によって懐かしい気持ちになったり、しんみりしたり、言葉より、より感情、エモーショナルな部分の記憶を呼び起こす力があるなと思う。
そしてそれを具現化してくれるものが言葉なんだと思う。
言葉にできたり、誰かが言葉にしてくれると、曖昧だった自分の感情や考えに少しづつ輪郭が現れてきて、ほっとして救われる。
だから言葉が好きだし、本も好きなんだと思う。

写真と言葉、わたしはどちらも大事にしていきたいと思っている。
どちらもわたしを支えてくれるものだと思っているから。


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