「いるだけでいいよ」って自分に言いたかったんだ。
全3回、愛や恋愛について語る会終了いたしました。
参加してくださった皆さん、本当にありがとうございました。
ここまでで、愛とはありのままを受け入れること、心を受けること、循環しているもの、当たり前のようにある特別なもの、といった考えを学ぶことができました。
そして、今日。「いるだけでいい」という言葉を周りの人に向けて使っているのが、実は自分が求めているものだということに気づきました。。。そういっている時に、なぜか胸がじんときました。それもまたびっくりしました。
「無償の愛」にこれまで気づいていたのか分からないけど、それを感じた時に拒否感を感じる自分がいて。
幼い頃から自立して成果を出すことで認められてきた結果、頑張らないと認められないのではないかと無意識のうちに洗脳されてきて。今では何もしていないと動きたくなるという自分がいて。でも無償の愛がきっとなかったわけではないけど、自立することで認められていた自分が大きかったのかなって。
それは悪いことではなくて、社会的にはとても便利でそのままでいいやって思ってしまえばそれでいいですが、「いるだけでいい」って心から思えたらもっと幸せになれるかなって思いました。
無償の愛を感じたら満たされるのか?
すでに無償の愛がないわけではなく気づいていないだけではないか?
ありのままを認めたいという気持ちはあるけど子供たちに何か力を身につけようとしている学校ってどうなのか?
僕が結婚をする人やお付き合いをする人はどんな人なのか?
無償の愛を自分が求めている状態で誰かを本当に認めることができるのか?
疑問はつきません。
正直、今の自分自身にアンチテーゼをかけるためにはSNSを閉じたほうがいいと思います。でも閉じたくありません。仕事もあります。ワクワクが詰まっています。ドーパミンが詰まっています。
この数回を通じて、いろんな自分に出会えただけでも大きな成長です。より成長していくためにどう乗り越えていったら良いのか、“なるようになる”と思うので、それを感じながらここから先、生活しようと考えました。
ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
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<プロフィール>
筑波大学体育専門学群4年。体育・スポーツ経営学を専攻し春から大学院へ進学。大学の授業を通して部活動や教育など社会的な課題から「地域づくり」に関心を抱き2020年9月にmulti-Regionを立ち上げ、中高大の16名で運営中。多様性・居場所・選択肢をテーマに「今できること」にフォーカスした活動をしている。小学校および中高の保健体育教員免許取得中。学習サポーター、学童支援員、家庭教師として働く。その他Teacher Aide茨城支部長、読書会、イベント等行っている。春よりオンライン家庭教師開業予定。
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