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20代で外コンへの転職を決めた話と引っ越し

しばらくぶりのぶた野郎です。
実は今月同じ人事のお仕事ですが、20代にして異業種の会社(外資系コンサルティングファーム)に転職することになりました。今の職場でも十分満足していたのですが、新しい会社の熱量を感じたことがきっかけでした。自分でも転職するとは思っていなかったので、詳しい経緯を書いておきます。


転職するきっかけ

最初はリクルーターの方からLinkedInで話しかけられました。その時は「いつもの感じで話だけ聞いておこうかな」とレスポンスしました。
ただ、この間書いた記事のように、私が発達障害持ちだと分かったとたんにトーンダウンしてしまう方もいらっしゃるので、「発達障害持ちだけどいい?」と軽く聞いておきました。

悲しいかな大体の会社さんは連絡が取れなくなったりするのですが、その会社はしばらくしてから、「それでも話を聞いてください」と言ってくれたのです。それまで「ただの一企業」だった会社の印象が「話を聞いてくれる会社」に変わりました。外資系の他業種にいる身からすると、外資系コンサルティングファームは激務で殺伐としているイメージでしたが、いい意味で裏切られました。

その後人事面接と部門面接を経て部門長面接をしたのですが、会社での人事として、LGBTQの運動に関わっていた私の話を親身に聞いてくれ、その会社でも立ち上げに関わってほしいということを伝えてくれました。私がADHDを持っていることについても変に隠さずに素直に話せたと思いました。そして「採用したい」と話されました。これは初めての経験。
こんなにカルチャーフィットしそうな会社に出会えるのは、あと何年後になるかなと思った瞬間に、私の心は決まりました。その次の日にはオファーをいただき、今は現業の引き継ぎをしています。今の会社も快く送り出してくれて大感謝です。

障害者の転職は難しいと思っていたけれど

障害者手帳を持っているという時点で、障害者枠の就職しかしないという選択肢を考えていたのですが、その会社に出会ったことで自分の固定観念が崩されました。フルタイムでの働き方ができるなら、分けなくても良いという考えに触れ、新しいフィールドに立つ勇気をもらえたと思います。これからどうなるかは分かりませんが、この勇気は大事にしていきたいです。

また世の中には自分の頑張りに、きちんと対価を払ってくれるところもあるんだとまだ信じて良いんだなと感じました。特に発達障害持ちは自己肯定感が低くなる経験をしやすいかと思うので、この出会いには感謝です。

発達障害持ち、港区に引っ越す

という訳で、外資系事業会社勤務のぶた野郎から、外コンぶた野郎にジョブチェンジしますが、今までと変わらず大人しくゆっくりと発信していきたいです。
また適応障害の発症をきっかけに、しばらく山手線外の23区にいたのですが、今回久しぶりに都心回帰します。
いつかは住んでみようかなと思っていたのですが、いい物件があったので港区に引っ越しました。
障害者雇用はどうしても大企業が中心なので都心の職場が多いのですが、職住近接のライフスタイルは障がい者にとってどうなのか一度試してみたいと思います。
こんなに変化が多いと適応障害の再発が心配なので、常に平静を保つようにゆっくりと生きていきます。皆様もお元気で。

神楽坂養豚場

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