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発達障害持ち、港区女子、マゾヒスティック、神楽坂養豚場(前編)

ゲイネタの記事があまり読まれないことに一抹の不安を感じるぶた野郎です。
そういえば自己紹介記事を書いておらず、断片的な自己紹介のみしていたので、気分がニュートラルなこの辺でどんな人間なのか自分語りをしていきます。よろしくお願いいたします。(長くなりすぎたので前後編で)


神楽坂養豚場とは

アラサーのぶた人間

養豚場辞典より

私は首都圏で生まれました。小さい頃からおとなしくて親からかなりMだったと聞いています。
・小学校でいじめ→不登校
・中学生の時にアスペルガー症候群の診断→障害者手帳保持
・高校の時にカミングアウト→LGBT当事者(ゲイ)
・大学時代ドイツの田舎に住んでいた→アジア人
・大学院中退→中退経験者
・新卒就活を経験せず、最初から中途枠で入社
・その後ず〜っと外資系企業勤務(これは要議論)
と自分でもマイノリティ属性モリモリだと思っています。

ただ、生まれてからずっとマジョリティサイドにいた人っていないのではないかというのが私の持論です。
何かしら人間はマイノリティであった経験は持っていると思います。そんな私の経験を紐解いていきます。

普通のことができない幼少期

発達障害と言われたのは中学生の時。正式な診断は大学院で受けました。きっかけはよくある?かと思いますが、普通の人ならできることがまずできない経験。
ひらがなすらまともに書けない、忘れ物キング、授業で座っているだけで精一杯で何も話を聞けない。
公教育に意味はあると今は思っているのですが、当時はただただ苦痛でした。しばらくして不登校になりまして、出席扱いになる学校の個別指導を受けていました。

その後当時はアスペルガー症候群という名前だったのですが、ASDの傾向があると中学校で言われました。
そして社会人になって正式に診断を受けるとADHDも含んでいることがわかりました。

ただ当時は発達障害が知られるようになってまだ日が浅く、周りの人もどうしたらいいかわからない状態。結局小中学校はまともに勉強した記憶がありません。

海外、男性への興味

小さい頃は家にいても辛くて、でも外はもっと辛くて、結局家の誰も来ない部屋で映画だったり漫画を読んでいました。その中で読んでいたのが「のだめカンタービレ」、そして映画の「マリー・アントワネット」、「ぼくのバラ色の人生」。

あまり有名な映画ではないですが、どれもキラキラしていて「海外(フランス)ってこんなにすごいんだあ」と思ったのを覚えています。そして「ぼくのバラ色の人生」は女の子になりたい男の子を扱った作品。

小さい頃から絵本の挿絵にあるマッチョな男性にドキドキしていて、なんとなく私は違和感を感じていました。それでこの映画を見て、「私は女の子になりたいのか」と、当時女の子と男の子の二項対立でしか物を考えられなかった私は、謎に結論づけました。

そこから英語すら話せないのに、フランス語を勉強し始めるようになりました(今でもほとんど話せません)。
私にとって海外は、今の自分がいる場所とは全く違う世界という、フィクションでした。
そこは歴史に裏付けられたキラキラが存在して、男の子が男の子を愛していてもいい世界。そんな架空のフランス、海外に社会人になった今でも憧れているのかもしれません。

英語ができるようになる

そんなこんなで人には言えない海外の憧れを、ずっと持ちながらフランス語を勉強していると、なぜか英語ができるようになっていました。これは言語学者の方に研究して欲しいのですが、今でもメカニズムは分かりません。
ただ、大人になって受けたWAIS-Ⅳの言語理解が140ぐらいだったので、元々言語は得意、好きだったのかもしれません(その代わり処理速度が96なので、ギャップが辛い…)

それで高校受験をギリギリ通り、大学に入ることになります。
なぜドイツに行ったのか、そして港区女子を目指している今については後編で…

神楽坂養豚場

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