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銀行法人営業 第八話「袋小路」

2019/9/18 wed 16:43

To : satoshi.ichikawa@yamato-bk.co.jp

From : <トップマルシェ 総務 新川>

件名 : いなほ銀行 条件決定

やまと銀行 市川様

いつもお世話になっております。

トップマルシェの新川です。


掲題の件、いなほ銀行様の条件が決定しましたのでお知らせします。


金額:3億円  期間:15年

金利:固定金利 1.2%

実行予定日:9月30日


貴行におかれましては、9/20(金)までにご回答をいただけるとのことでしたが、

実行までのスケジュールがタイトですので、もし可能であれば早期にお願いしたく存じます。

何卒、よろしくお願いいたします。

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 期末の貸出案件を複数抱える中で、重いもののひとつがトップマルシェであった。同社は生めん製造業者で、業務用が売上高の60%程度を占めており、大手中華料理チェーンなど大口需要家のほか、都内の有名ラーメン店にも多数の納入実績があるなど、関東エリアにおいて堅固な営業基盤を確立していた。そんなトップマルシェから、既往借入金15億円のリファイナンスを行い、既存取引行15行の整理を行う、という計画を聴取したのは今年の春先であった。すなわち、15行のうち付き合いの薄い5行の借入を借入シェアに応じて分配し、既存借入もまとめて新しく設定された借入期間に引き直す、というものである。

 大規模な資金調達、リファイナンスの場合、シンジケートローンが利用されることもある。しかし、同社の今西社長は「自社でまとめられる。いらない手数料は支払わない。」と言ってはばからない。しかも「最も良い条件を出した銀行の金利・期間に他行もあわせてほしい。」などとする要請もあった。結局、政府系金融機関が「期間15年、固定金利1.00%」の条件提示を行い、これに合わせることを強いられる結果となった。

 トップマルシェの既往借入金について、その使途はおおむね運転資金であった。だが、やまと銀行では通常、運転資金を長期で出す場合は原則期間5年、最長10年とされている。10年超の場合には一部の例外を除いて本部案件となり、その妥当性を厳しく審査されるため、当然スピーディな案件消化とはいかない。プライムホールディングス以上に検討期間を要しており、依頼からはや1ヶ月が経過していた。

 水曜日の夕方に入ったメールは、督促の意が明らかであった。実は、既にいなほ銀行を含む他8行からは既に回答・決裁が出ている旨、新川部長からのメールで知らされていた。なお、やまと銀行と同じくトップマルシェの準メイン行である五洋銀行は、収益性を鑑みての判断なのか早々に本件から撤退していた。

 やまと銀行はトップマルシェに対し、これまで取引深耕に向けて様々な手段を用いて攻勢をかけており、本件は今後の収益機会取り込みの多寡を左右する重要な案件であった。しかし、検討に相応の時間を要したことで、既に他行対比でかなり出遅れてしまっている。

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 金曜日になった。

 種々のやり取りを経たのち、審査部から2回目の「質問事項」が送付された。概要を見るに、これに対する回答の作成も時間を要するもので、しかも顧客から追加資料の徴求も行わねばならなかった。

 決裁までに最短でも3営業日は要する。

 新川部長に、現状を報告せねばならない。

「・・・それで、決裁はまだなんですね。」

「誠に申し訳ございません。現在、審査部への最終回答を作成しております。」

「方向感としては、どうですか。」

「おおむね前向きではございますが、やはり条件面での調整に時間を要しております。」

「分かりました。とにかく、他行さんもありますから、実行のスケジュールは変更がききません。どうか、来週水曜日が最終のリミットということで、くれぐれもよろしくお願いします。」

「かしこまりました。申し訳ございません。何卒、よろしくお願いいたします。」

 正直、水曜日でもぎりぎりの日程で、1日でも遅れた瞬間に「終わって」しまう。トップマルシェとの取引関係は不可逆的に修復不可能なものとなり、これまでの営業努力も水泡に帰する。喉の奥から何か、こみ上げるものを感じた。

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 また、電話が入った。

 テクノプラスの沼田会長からであった。

「いや、実はね、いろいろと今までご提案いただいたけれども、やっぱりホールディングス・カンパニーを作って相続対策しようかと、税理士とも相談して決めてね。それで、借入だけど、決算までに急いでやりたいから、10月の頭くらいには方向感でももらえると、ありがたいんだけど、どうかね。」

 これまでの努力が実り、本来は喜ばしいことであった。ただし、ヘビーな貸出案件を複数抱える中で、明らかにオーバーワークであった。方向感を出すどころか、着手できるかも怪しい。ひとまずはアポを取り付けて電話を切った。


「いや、お前さ、無理だと思ってるから無理なんだよ。来年、代理チャレンジ(※)だろ。これくらいはやってもらわないと、これから先厳しいよ、正直。」

(※)最初の役職である「課長代理」にチャレンジすること。なれるかなれないかで、今後の出世スピード、給与に影響する。

 桃崎に相談したのが間違いだったのかもしれない。やるしかないのか。形ばかりに一礼し、席に戻った。迫り来る期日へのプレッシャーから思わず顔をしかめると、後ろから怒号が響いた。

「おい、市川。てめえ、何辛そうな顔してんだよ、なあ。やるべきことやってねえから言ってんだろうが。やってもねえのに、辛そうなフリだけ上手くなってんじゃねえよっ。」

 バインダーを机に叩きつけたのだろうか、甲高い音が執務室を巡る。皆、一瞥はしたが、すぐに前を向きなおした。

 自分がどんな表情をしていいのか、分からなくなる。笑うことも、泣くことも、顔をしかめることも、怒ることもできない。その資格がない。ただ、無表情を維持しなければいけない。

 頬のあたりが断続的に痙攣し、止まらなかった。

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