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銀行法人営業 第六話「稟議」

「お疲れ様です。葛谷です。プライムホールディングスの小山内さまから、お電話です。」

「わかりました。つないでください。」

内勤の女子社員から、外線電話がつながれてきた。プライムホールディングスは、売上高50億円を誇るじゅうたん、カーペット等の卸売業者だった。業歴は40年近くにおよび、現在の会長である小山内進氏が創業。今は2代目である長男の小山内茂氏が代表取締役社長を務めていた。

「代わりました、市川でございます。」

「あー、お世話になります、小山内です。」

「社長、お世話になっております。どうされましたか?」

「いや、実はね、融資をお願いしようと思ってね。2億円ほど。」

「2億、でございますか・・・社長、お申し出いただきまして、ありがとうございます。いつごろまでに、ご回答させていただければよろしいでしょうか。」

「あー、今月末に実行をお願いしたくてね。」

「今月末・・・ですか・・・」

卓上のカレンダーを見やる。ぎりぎり、間に合うか、間に合わないか。

「もちろん、無理にとは言わないし、無理そうだったら他行さんに頼むから。」

つとめて悪気なく、しかしはっきりとした口ぶりで小山内社長が伝える。

「・・・かしこまりました。ひとまず、来週末にはいったん、方向感をお伝えできるようにいたします。」

「分かりました。よろしくお願いしますよ。」

詳細な借入条件をヒアリングしたのち、電話を切った。


銀行から融資を受けるなかで、一般的に経営者が注目することの一つとして「申出をしてから実行されるまでの時間」が挙げられるだろう。

企業から融資の申出を受けてからのフローとしては、以下のようになる。まずは信用照会として、外部調査会社からデータを取得したうえで、銀行内部のシステムでネガチェックを行う。反社会的勢力であれば、この時点でアウト、ということだ。次に、先方より決算書および試算表を徴求し、その企業の「過去」の推移を分析する。さらに、今後の目標値、見込み値を踏まえ、その企業の思い描く中長期的なゴールをヒアリングし、妥当性、蓋然性を検討していく。このなかで、今回なぜ資金が必要なのかについて、先方申出内容と決算書の構造を照らし合わせ、不自然な点がないかについても必ず確認する。これらを総合し、上申する書類が「稟議書」である。

この稟議については、融資金額やその企業の格付によって決裁権限者が異なる。少額であれば「支店長」、多額である場合や格付が低い場合は「本部」つまり審査部が決裁することとなる。支店長権限であれば、最短で1週間前後で決裁されるが、本部案件の場合だと1、2ヶ月はかかることも珍しくない。

銀行業界においては熾烈な貸出シェアの奪い合いがなされており、競争相手はメガバンクのみならず、地銀、信金なども当然ながら含まれる。地銀などであれば、たとえ本部案件であろうと3日程度で決裁されることも少なくない。提案スピードは、経営者が意思決定をするうえで重視されるファクターの一つであり、たとえ条件が悪くても、最初に決裁が下りた銀行で融資を受けることも多い。

期末のいま、支店内で滞留している融資案件は相当数発生している。今日は水曜日であるが、緊急性が高いアクアの案件を、課長に無理を言って先んじて回覧してもらうお願いをしていたから、プライムホールディングスの案件をねじ込むのはどうにも気が引ける。かといって、このまま普通に回覧しても絶対に間に合わない。

プライムホールディングスはじゅうたん等の卸売業者である(正確には、その持株会社)。業種柄、在庫負担が重いことはさることながら、近年は高級品の売れ行きが業界全体として芳しくないこともあって、業績不振に陥る会社が多い業種であった。同社も業界の趨勢に違わず、かろうじて売上高は漸減程度を維持しているものの、不良在庫の減損損失や借入金の金利負担、コンサルティング会社への各種フィーが営業外費用・特別損失として重くのしかかり、ここ3期ほどは数百万円の黒字を維持するのが精いっぱいで、行内格付はD2に甘んじていた。

格付D2で2億円の新規借入となると、確実に本部案件であった。今日は9月11日である。どんなに早く決裁を得られたとしても2週間はかかるだろう。

決裁を得て終わりではない。そこから、各種契約書類の準備、約定日程の決定などを進めなければならない。先んじて準備ができれば間に合わなくはないだろうが、契約書類は数か月前に行われたシステム刷新により決裁後にしか印刷ができない仕様になったため、書類の準備は決裁後に限定される。なにより、約定日程を先に決定することは「融資予約」の誤解を与えるおそれがあり、厳格に禁止されている行為であった。

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「プライムですが、本日、社長から2億円の借入申出がありました。」

「おっ、いいじゃん。いつまでに稟議あげられるの。」

「・・・明日中に提出いたします。たびたび申し訳ありませんが、急ぎで本部に回付する必要があります。回覧よろしくお願いします。」

成田課長とともに、プライムホールディングスの件を百崎副支店長に報告していた。

「分かった。審査部には報告した?」

「まだです。」

「すぐに電話して、急ぎで見てもらう件、伝えてくれ。」

「・・・かしこまりました。」

百崎は、絶対に自分で審査部に電話しようとはしない。通常、急ぎ案件や支店の実績を左右する重要な案件であれば、支店長ないし副支店長が審査部役席へ根回しをすることがままあった。ところが、現在の審査部役席は、百崎が2カ店目で直属の課長であった人物で、当時は相当に百崎もやりこめられたらしい。百崎が東池袋支店に着任して3年になるが、直接電話をしたことは一度もなかった。

支店の一担当者が審査部に便宜を図ることなど不可能に近い。それでも、一応は電話をしなければ、後々になって百崎にそれをなじられることが目に見えていた。受話器をとり、東池袋支店の審査部担当である北山調査役に内線をかけると、1コールもならず電話に出た。

「はい、審査部北山です。」

「お疲れ様です、東池袋の市川です。」

「ああ、どうもお疲れさん。どうしたの。」

「実は、急ぎの案件が入ってきまして、早急にご検討をお願いしたいので・・・」

「期末だからさ、こっちも案件死ぬほどあるわけ。なんでおたくはそんなに急に案件入ってくるかな。ちゃんと日常的に社長とやりとりできてればさ、こんなことにならないだろ。とにかく、こっちは来たものを順番にこなしてくしかないから。早めにあげてよ。じゃあ。」

ほとんど一方的に電話が切れた。こちらの要望はあっけなく突っぱねられた。とりあえず、百崎に報告するしかなかった。

「市川くんさぁ、ガキの使いじゃねぇんだからよ。まあいい、とにかく、明日までに出してくれよ。審査に送信したら、また電話して、とにかくこっちが急いでるってことを印象づけるんだよ。分かるかなぁ、市川くんさぁ。君はさ、前の支店でどんくらい本部案件やってたの。」

「・・・半分くらいは本部案件でした。」

「ホントに?なんかさぁ、全然分かってねぇんだなって感じしかしないから、信じらんねぇわ。前の支店の課長に電話して、どういう指導してたのかここで確認してやろうか?なぁ。」

「・・・・・・。」

「で、明日の何時に出せんの?」

「・・・16:00までには、なんとか。」

「12:00までにやれない?」

「・・・分かりました。」

それ以外の答えはなかった。

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プライムホールディングスはじゅうたん等の卸売業であるが、実際にその業務を行うのは傘下にある子会社であり、当社は金融機能などの本部機能を有する持株会社である。非上場企業であり、また会社方針から連結決算を作成していない。こうした場合、やまと銀行では簡易的な連結決算を担当者自ら作成したうえで実態把握を行うことがルール化されていた。プライムホールディングスを含めて連結対象は4社あるが、単に決算書の数値を足し合わせればいいという話ではなく、グループ間取引の条件などを確認の上、未実現利益を相殺するといった作業も実施せねばならない。

さらに、資金使途の検証も複雑であった。プライムホールディングスは毎期「年度資金」という名目で資金調達していた。これは、借入金の年間返済分を新たな借入金調達でまかなうものであるが、借主の思惑、金融機関の意向などが絡みあい、なぜか今回調達額が借入金の年間返済分を上回ることも珍しくなかった。これに対し、対象会社のビジネスモデル、対銀行の姿勢、今期の収益計画などを綿密に調査しながら、当行として対応しうるに妥当な金額を算出しなければならない。このため、通常の借入金稟議にもまして稟議作成に時間を要した。

設定された時間に間に合うか、否か。

できることなら、終電まで残業して作成にあたりたかった。ところが、近時において開始された「働き方改革」により、もはや終電まで残って業務にあたる、ということは実現不可能であった。やまと銀行は原則としてPCの起動時間に応じて勤怠管理が行われていたが、もう1つ、銀行員の労働時間を拘束する装置があった。

監視カメラである。

それは、外部からの侵入を監視するものではなく、内部の各種不正、すなわち、横領などを防止するために設置されたもので、全国の支店内に設置されている。だが同時に、これらは銀行員の労働時間を監視しうる揺るぎない証拠となり、PCをシャットダウンしたにもかかわらず、執務室内に残って残業している人間の姿を残す。聞くところによれば、某支店に労働基準監督署の監査が入った際、この監視カメラが証拠となったとも聞かれる。いずれにせよ、いかなる手段を講じても残業の延長は許されないということだ。

残された手段は多くない。市川は、会社支給のタブレットに残せるだけのファイルを移行させ、帰宅後の業務に備えていた。

手元の時計は19時20分を指していた。

もう、帰る時間であった。

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