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三人の小さき英雄 #noteリレー

SNSとは、相手がみえない世界である。

相手の顔も背格好も、性別も年齢もわからない。どれだけ親しく、こころのうちを打ち明けられるほどの仲になれたとしても、現実のつながりとは違い、本当の相手の内は知りようがない。表情がさぐれないから、はかりようがないのだ。

相手がどんな性格で、どんなことを思い、どんな暮らしを営んでいるのか。それらもどうしたって知りようがない。たとえその方の生活の一端がかいまみえる画像が紹介されていても、それが本当にそのひとのものなのか。もしかしたらまったく関係のない画像だとしても、それを調べるすべはないのである。

それは相手側もおなじだ。外に発したみずからのコンテンツは、親しくなった相手だけでなく、不特定多数のひとたちが目に耳にする。しかし、いくらこれが本当の私だ、と叫んでも、信じてもらえるかの保証などまったくない。そんなの嘘だ、と一言で切られても、反論はできない。

そんな世界だから、どうしても現実より殺伐としがちになってしまう。荒らし、炎上というやつだ。現実なら口にすることもはばかられる、目を背けてしまうような、刃物のような言葉がとびかう確率も高い。それに対して自分も負の感情に飲み込まれ口汚く反論する。それにまた相手が…。悲しいけどそんなことが毎日どこかで、SNSでは起こっている。

それではいけない。

本当の相手がみえない、本当の自分が理解されづらい世界だからこそ、現実世界よりも礼儀、品格、知性、教養が求められると思う。気持ちをおだやかにし、みえない相手を思いやり、みずからのコンテンツを発する。また自分も受けとる。それこそがSNSで求められる姿勢だ。

もっとも避けるべきは、目にした相手が眉をひそめたり、怒りに震えるようなものを発することだ。品行方正を著しく欠いた下劣なものなど、まさにもってのほか、問題外と言わざるをえない。

以上のことを肝に強く命じつつ。

今日はぼくがまだ可愛いお子さまだった頃の、おち○ち○についての逸話を紹介したいと思いまーす!(突然の変わり身)


えとですね、あれはぼくがまだ七、八才、ちょうど乗り始めた車いすにも慣れてきた頃のことでしたかね。

とてもよく晴れたある日、ぼくと双子の弟、それとひとつ年上だけどすぐ近くに住んでて、きょうだい同然だった従兄と、近所の神社に遊びに行ったんです。

その神社は幼稚園もやってて、園児でない子も自由に遊べる遊具や、野球とかやるにはもってこいの広場とか、あと太鼓橋のあるアヒルを飼っていた小さな池もあったりしたので、そのあたりのちびすけたちのいちばんの遊び場でした。今は区画整理に伴う改築のため、すっかり荘厳な境内になりましたけど。

その日もいつものように三人で神社に出かけ、プラスチックのバットやゴムボールを使った野球をしたり、ブランコをしたり砂場で山を作ったりして遊んでました。珍しくほかには誰もいなくて、神社は貸し切り状態でした。

さて、そんなのもちょっと飽きてきたかな、という時、従兄がなんの前触れもなく、あることを言いました。

神様の前、ち○ち○だして、走ってみようぜ!

…いったい、その時の彼になにがあったのでしょう。ちびすけの思考は本当にはかり知れません。野郎がちびすけの頃はもういかにばかをやるかに人生をかけている(?)とはいえ、その発想は。幼いとはいえ、立派な変態といっていいでしょう。実際変態行為だし。犯罪だし。捕まるし。映画泥棒だし(?)。

しかし、変態モードスイッチオンの従兄はもう誰にもとめられません。彼は参道の方に行くと、ためらいなくジャージズボンの前をちょっとずりさげ、ちょろりとおち○ち○をだし、いえーい!と叫びながら参道を走り出したのです。

それをみた弟、つられて変態モードに入ってしまいました。従兄があれをぴろぴろさせつ走るのに負けじと(勝とうとすな)、ジャージズボンの前からドリフターズのコントに使う小道具みたいな(年齢ばれますな)おち○ち○を出し、うほーい!と騒ぎながら従兄と共に走り出したわけです。

それをみたぼく、だめだよそんなことしちゃ、けーさつにつかまるよ、だれかおとながきたらおこられるからやめろ! と、ふたりをたしまめました。

はい、秒でばれる嘘つきました、ごめんなさい。なわけないです。ふたりがおち○ち○ぴょろぴょろさせて走りまわるのをみて、もう腹抱えて、生まれてはじめてというくらいに、げらげら笑いました。いや、まじであれはおもろかった。

で、そんなふたりに遅れてなるものかと、と、ぼくも変態モードに入ってしまったわけです。車いすの上でズボンの前をちょっと下げて、おち○ち○をさらし、ふたりと友に車いすをこきだしました。やっほー!とさわやかな声をあげながら。

ここで想像してみてください。三人の変態ちびすけが、神社の参道をおち○ち○をぷらつかせながら、すれ違いつつ、爆笑しつつ、うほーい!とか叫びつつ往復してる光景を。

先にもいいましたが、完全なる変態です。犯罪者です。つうか神様の前での暴挙なので、ばちあたりの極地です。そういえば最近、ぼくはなぜかおならがとまりません。ちょっとお尻を上げるだけで、ぶ、と出るのが続いて困ってるのです。もしかしたら、この時の神罰が今下っているのかもしれません。つうかこういう犯罪の時効っていつまでだっけ。こればれたら捕まるかもしれません。その時、ぼくたち三人はムショ暮らしになります。みなさん、さようなら。お世話になりました。

しかし、そんな未来のぼくの懸念などおかまいなしに、ぼくたちは参道を行きつ戻りつしました。すれ違うたびそれぞれのおち○ち○がぴろぴろするのをみてげらげら笑い合いながら。

で、またなにを調子に乗って思ったのか、従兄が広場の方に行こうぜ!と、ぼくたちを誘い、さっそく移動。もちろん、出しっぱなしで。

で、広場についた我ら、そこでもまたいえーいとかやりながら走りかけたその時。

ふと、どこからか視線を感じたのです。

ん? なんだ? あちこちを見渡すと視線の正体がわかりました。池にいたアヒルたちがそろいもそろって、こちらをみていたのです。

ぼくたちは完全に固まってしまいました。繰り返しますが、出しっぱなしで。だって十羽近くのアヒルが、いっせいにこちらをみてたのですから。皆様にはそんな経験、ありますでしょうか。あのですね、結構こわいです。鳥類の目って、どこかなにを考えてるかわかんない感じしますもんね。ワシとかタカとかは特に。

それはともかく、やはりアヒルにもわかったんでしょうね。なんだ、この変態三人組は、と。もしかするとアヒルはぼくたち人間が思っているよりも(少なくとも当時のぼくたちよりは間違いなく)知性が高いのかもしれません。なんたってこの後、保険会社を立ち上げてコマーシャルに出るくらいですからね。ア○ラァッック、とかいいながら。

さて、その鳥類の視線にすっかりおびえたぼくたち。なんだか下手すると食われてしまいそうな気さえしたので、ようやくズボンを戻し、それぞれのおち○ち○をしまいました。

それがぼくたちが外でおち○ち○を出した、最初で最後の日となりました。そもそも、そんな日作るな。


……以上、最初に書いたSNS上での礼儀と知性と品格を守りきったことに安堵しつつ、幼き日の記憶の一ページを、ここに刻み終えたいと思う。





sakuさん主催のnoteリレーに参加させていただきました。
詳細はこちら。

企画そのものはあちこちでお見かけしておりましたが、へえ、楽しそうなことしてるんだなあ、くらいの感じでおりましたが。

まさかまさか、自分にバトンが渡ってきたしまったのですね。バトンを押しつけた、あ、いや、渡してきたその方の名は皆様もうおなじみの、逆佐亭裕らく師匠でございます。

どうですか、この記事。私、この方まじで天才だと思ってるのです。これ以外にもいろんな記事がありますが、これだけ自然と読み手をげらげら笑わせ、楽しませてくれる方はそうそういないと思っているのですが、どうでしょう。というか、異論は認めません、はい。ちなみにお題は【脱力系雑記】でした。なので、そんな師匠を見習って今回書いたつもりですが、やはりかなわないですね。無理無理。

私は師匠がまだnoteを本格的にはじめた頃からのファンでして。とにかくその天賦の才としか思えない、相手を楽しませようという記事にもう最初っから笑いっぱなしになり(初期の頃の記事もぜひぜひ。もうその頃から笑えて楽しいエピソードを書いてます)、この方を逃してならない! とすぐにフォローさせていただきました。

でも、楽しい記事だけではないのが、この方の多彩なところで。私は元バンドマン(それだけでギターの弾けないロック好きだった私には尊敬の的なんですが)である師匠が、バンドをやっていたり、またやめたりした時期を書いたエッセイも大好きなんです。なんともいえない青春の苦さと悲哀と、それでも音楽に全霊をかけていた頃のエピソードが。

他にも最近はホラー小説を書いたり、note学園というとんでもない企画をはじめたりと。そういういつでも走ることをやめない師匠をみていると、いくらギターを置いたとはいえ、やはり根っこはロックの方なんだなあ、と思うわけです。どんな文章を書く方でも、ロック魂、というとくさく聞こえるかもしれませんが、それがすごく大事だと常々感じています。ロックといっても、ギターをがなりたてるような、激しいものばかりじゃないですよ。あたたかでおだやかな文章のなかにも秘めたる熱があるかどうか。それがあるかないかで読み手のこころに届くか届かないかが、かなり違ってくる。その熱が、師匠にはある。だからこそこうして今でも読ませていただいています。皆様もそうだと思います。

ともあれ、なんだかnoteリレーの雰囲気を完全にぶちこわしてしまった気がするので、ここで主催のsakuさんと師匠に、こころよりお礼とお詫びを申し上げます。ありがとうございました。すみません。ご勘弁を。


で。
次の方にリレーのバトンを渡さなきゃいけないわけなのですが。
ついに、この方にご登場をお願いできることになりました。

碧月はるさんです。

先日ついに初エッセイがメディアに公開され、ライター、エッセイストとしての第一歩をしるされました。それを機に今までの「はる」から「碧月はる」に改名されました。改めておめでとうございます(胸震えるレビューですので、未読の方はぜひ)。


はるさんに関してはなんの説明もいらないですね。というより、私なぞの拙い語彙力で、はるさんの魅力を伝えることなんてできません。手抜きでもなんでもなく、本当にそうなのです。誰かに頼るようで恐縮ですが、ある方がはるさんを評しておっしゃったことにすべてが凝縮されていると思います。

「この人は魂を削って文章を書いている」

そんなはるさんの魅力を、私などには本当に軽々しく紹介などできないのです。

少しだけ言うと、はるさんとは私がnoteをはじめた頃から、お知り合いになっていただきました。そこに書かれた言葉のひとつひとつに込められた感情の熱、波、渦に完全に打ちのめされました。本当に命がけで書いてるのではないか。このままこんな感じで書き続けたら、もしかして死んでしまうんじゃないか。本気でそう思ったこともあります。

でも、もし書きながら死ぬことができたのなら、それははるさんの本望ではないか、とも感じています。プロフィールにもあります。「書くことは呼吸をすること」。それだけ一字一字を魂削って書いている。書くことが止まった時点で、はるさんの呼吸も止まる。それはつまり、死、です。

でも、最期が仮にそうだとしても、それはまだまだずうっとはるか先の話。はるさんの生きるちからは、どんな岩盤よりも固く強く、簡単に壊れるものではありません。一体これからどんなはるさんの世界が広がるか。それを私はずっと見届けていきたいと感じています。

幸い、知り合ってからは常にやり取りをさせていただいて、どれだけの支えをもらったことか。もうここでは書き切れないほどです。はるさんがいなかったら、私はとうにnoteをやめていたかもしれません。はるさんがここで書き続けていたから私も、という思いは今でも変わりません。

さて、このあたりで肝心のお題ですが。

【私の好きなもの】

でお願いしたいと思います。はるさんの好きなもの。いやあ、なんでしょうね。もういろいろ浮かびますが、それは遠足前の小学生になった気分で待つことにしましょう。

そういうことで、sakuさん、師匠、はるさん。
前半のしょーもないエピソードを我慢して読んでくださった皆様。

ありがとうございました。


…あれ、またおならが……。








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