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我が家の家系図が祖父からはじまる理由

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「うちの家系図は、じいちゃんからはじまってんだ」

小学四、五年くらいの頃だったか。共に暮らしていた父方の祖父は、私のある問いかけにこう答えた。

その問いかけとは、じいちゃんの先祖は誰なの、だった。

父と祖父は仲がよくない。子ども心にそれを気づいたのは、やはりその問いかけをした頃だった。

お互い、酒が入っていない時はそうでもなかった。基本互いに無関心で、あまり会話もない。だからなにか妙な空気になることはなかった。

持病の薬の影響なのか、祖父は一日何度も朝寝や昼寝、夕寝を繰り返していた。ただ父が早番の仕事を終えて帰宅し、いびきをかいて寝ている祖父を、険しい目付きでにらむこともあった。こっちは働いてきたのに、という感じが幼心にわかった。

問題は、夕食の後だった。

酒が入ると、当然のように祖父はその場で酔って横になる。だがなぜかその時は寝ないのだ。ぼんやり薄目をあけてナイター中継をみては「おもしゃぐねえな」。父が好きな歌謡番組をみては「なんだがわがらね」。

そうでない時は「なんだがよ」だの「なしてこだななんだず」だの「なんもおもしゃいごどなんてないな」と、理由もなにもわからないぶつぶつを繰り返す時がたびたびあった。なにか人生のあちこちを悔いるような色があったような、と、今になって思い返すが、真相はもちろんわからない。

ともあれ、父はその祖父の「ぶつぶつ」が、かなり気に入らなかったようだ。

せっかく楽しみにみている野球にけちをつけられ、歌を聴くのを邪魔されるのだから、気持ちはわかる。だが父はなぜかそれをはっきり祖父に伝えないのだ。「うるさいずね」「だまてろず」「はやぐ寝ろずは」と、おなじような「ぶつぶつ」を発していた。

これが、とにかく空気が悪くて嫌だった。母は食事の後片付けをしているし、やはり同居していた父方の祖母も、だまって座ってるだけで、夫と長男の険悪さに気づいてるのかそうでないのかわからない。

その頃はまだ小さな借家住まいだったから、私と弟に逃げ場はなく、ただひたすら机で漫画を開き、宿題をし、当時空前のブームだったキン肉マン消しゴムで遊び、淀んだ空気をやり過ごした。祖父が自分の寝間に下がった時は、心底ため息をついたものだ。

そんなふたりは一度だけ、家族の前で本格的な争いをした。

祖父はすぐ近くに住み、私たちとは兄弟同然だった従兄が、なぜか気に入らなかった。私たち兄弟はかわいがり、怒ることなどまったくなかったのに、従兄にだけは「うるせえ、しずがにあそべ」「ちゃんとおどなしぐしてろ」と、説教が絶えなかった。時には拳も飛んだ。従兄の母、つまり私の叔母がいわゆるでき婚だったことが気に入らなかったのが理由と聞いたのは、かなり後になってからだ。

ちなみに従兄は祖父の死後、やはりかなり後になってから、「じいちゃんのごど、きらいだっけ」と言っていた。

その時の争いのきっかけは、その従兄に対する接し方に父が注文をつけたことだった。いろいろ言っていたが要するに、私たち兄弟とおなじく従兄にも優しくしろ、と、父はやはり酒が入って寝転がっている祖父に繰り返していた。

しかし祖父は「あまやがすのはよぐねえんだ」などと、引かなかった。「あまやがすのでなくて、ふたりみだいに優しくしたらいいべってゆてんだべした」と父。しかし祖父はまたぶつぶつとなにか口元で転がしているだけ。

とうとう、父が切れた。

ビールの入ったグラスをこぼしながら立ち上がり、寝ている祖父の顔を何度も踏みつけた。母があわてて飛んできて、父を止めた。

祖父もさすがに身を起こした。口元が真っ赤に染まっていた。そして言った。「ででぐは」

父もますます切れ、「ででげででげ!」と叫んだ。横になったグラスを起こし、祖父の好きな沖正宗を注いであおりながら。

隣では祖父がよろよろと立ち上がろうとしている。それを祖母が足元にしがみつきながら止めている。「こさいろず、こさいろず」。

その後、どうやっておさまったかは、あまりの衝撃で記憶が曖昧だ。母が叔母に電話し、来てもらったのだけは覚えているが。


祖父は若い頃から、よい酒ではなかったらしい。

とにかく毎晩飲んで酔いつぶれて、二日酔いで翌日の仕事に行けなくなり(祖父は布団職人として、布団屋で働いていた)、祖母がよく平謝りに行ったという。

稼ぎはかなり酒に消えたようだ。幼い父はよく酒を買いに行かされた。子どもに一升瓶は重かった、と後年父はよく語った。友人の家にはほとんど水道が通っていたのに、父の家にはかなり後々まで引かれず、近所の井戸への水汲みも欠かせない手伝いのひとつだった。水を汲み上げるポンプ(となりのトトロにでてくるあのポンプ)はひどく固かったらしい。

両親がちゃんといるのに、昼働いて夜勉強する定時制高校に通ったのも、ひとえに祖父の酒が原因だろう。

祖母もあまり家事が得意ではなかった。だから夕食にはおなじような献立がよく出てきた。特に出たのが、近所の総菜屋のアジフライだった。祖父が好きだったからか、安かったからか。多分両方だろうが、その時に食べ過ぎたせいで、父はアジフライを嫌っている。


祖父が死んだ時、幼い頃祖父にした問いかけを父にした。じいちゃんの先祖は誰なんだ、と。

すると父は首を振った。「わがらねんだ」。

答えたくない嫌な記憶があるからとか、そんな理由ではなく、本当に知らないんだ、と言う。おなじことを叔母も言った。気がついたら、祖父母と父、叔母しか家にはいなかった、と。

後年、必要があって祖父の戸籍を取った。どうやら姉がいたのはわかった。だがそれ以外は昔の文字ゆえに読み取れなかった。それでも私はしつこく読もうとしたが、父は早々に放り出し、晩酌を楽しみはじめた。

ただやはり後年、母が語ったことがある。

祖父の葬儀の時、祖父とゆかりのあった(このゆかりがなにに由来するかも、家族全員知らない)、工事現場の作業員を相手に商売をしていた小さな旅館のおかみが、母にこう耳打ちした。

「◯◯ちゃん(祖父)、なんか言い残していがねっけが」

母が心当たりはないと答えると、そのおかみはつぶやいた。

「んだが。天国まで、持っていったが」




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