深夜一時、涼しい風のなか。

※本文は投げ銭制です。全文読めます。

心身の不調で自宅療養に入ってから、もう二週間近くがたった。

ゆっくりできている、と言いたいが、実際はあまりそうじゃない。尿の濁りが慢性化してきている。なぜかひどく首筋が痛い。疲労感も常にただよう。食欲も相変わらずない。

朝方早い時間に必ず目が覚めるから、夕方すぎの変な時間に異常に眠くなり、気づくと気絶するように寝落ちしている。あわててトイレに行き、自己導尿をする。だるさの残るからだで、神経をすり減らしながら二十分かけて。

通院も重なっている。泌尿器科、心療内科、今週末はメイン主治医の検査と診察だ。また検査結果にびくびくしながら診察順を待つことになるだろう。今回もまた脱水がある、とかで二時間の点滴だろうか。

山川直人さんの「ナルミさん愛してる その他の短編」を再読した。

ナルミさんという女の子と、ドミノと名づけられたぬいぐるみの物語。描かれているのはふたりのなにげない日常。ナルミさんがカメラでドミノの写真を撮ったとか、なくなっていた自転車が戻ったとか、新しいパソコンを買ってあくせくするとか。

誰の日々にもありそうな、ほんのささいな感情や暮らしの連なり。ちいさなちいさな幸せ。

でも、それが今の私にはなによりいとおしく、でも胸がしめつけられもする。ナルミさんの笑顔をみるたび、自分は最後にいつ、こんなすてきな笑顔を浮かべただろうか、と思う。パートナーとこのところうまくいってないから、なおさらだろうか。

今日、いつも読んでいるnoterさんふたりの記事を読んだ。おふたりともとうに有名だから名前を出しても大丈夫か。はるさんとちゃこさんの記事だ。

おふたりともたまたま、お子さんのことを綴られていた。はるさんは「いやいや期」に入った次男くんのあばれっぷりを。ちゃこさんは娘さんのあるできごとを通して、「褒める」ということの難しさを。

思わず笑ったりほっこりしたり、またはうーん、と子育ての難しさについて考えながら、胸の奥ではある言葉がずっと浮かんでいた。

幸せ。

子育ての大変さを知らない私が、本当は軽々しくそんなことを言ってはいけない。私の両親もそうだった。幼き日、手術や採血や点滴や注射のたびに、病室の壁にひひが入るのではと思うくらい泣き叫んでいたのは誰か。中学生にもなって夜中に失禁し、朝になって忙しい母に洗濯させたのは誰なのか。

でもそんな両親も、なぜか幸せそうだった。

はるさんちゃこさんも、愚痴りながら、悩みながらも、幸せそうだ。こんなことを書いては、おふたりを困らせるだけなのに。

昨日夕方、ずっと連絡をとれていなかったある方に思いきってメールを書いた。

内容は近況やら愚痴やら不安やら。もっていく先のわからない感情を、勝手に押しつけてしまった。だから返事は気にしないで、と最後にくわえた。

だけど、その方は返事をくれた。

すべて受けとめてくれた。変わらない優しさとおおらかさで。心はいつだってそばにいます、とまで笑ってくれた。

読みながら、私はずっと泣いていた。

こんなにもしっかりと泣いたのは、いつ以来だろう。とにかく泣いた。たくさんのちり紙で涙と鼻水を拭いながら。

泣いたあと、胸の奥である言葉が浮かんでいた。

幸せ。

いつか近いうち、笑ってそれを感じよう。そうしたらもう少し、生をつなげていけるかもしれない。

そんなことを思った深夜一時。少し開けた寝間の窓から、涼しい風が流れていた。





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