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ある街の雑文綴り

彼は色のうすい男だった。

無愛想で無口で、表情も乏しかった。道行くひとに挨拶されても、ほんのわずか頭を下げるのみ。

一応生きていくための仕事にはついているが、与えられた雑務をやはり無表情でこなすのみ。昼休みも、皆が飯と共に寛ぐ輪からはずれてただひとり、冷たく埃の浮いた長テーブルの端で、もそもそと飯を口に運ぶだけだった。

仕事が終わる時間が来ると誰よりも先に机を片付け、「お疲れ様でした」も言わずに帰っていく。

そんな彼にかまう者など、当然誰もいない。週末飲みに誘う者もない。時々廊下で彼に会うと、あ、こんな奴いたっけ、といった表情を浮かべる者さえある始末だ。

休日も、とりあえず必要な食べ物や日用品を買いに出かけるほかは、古びたアパートの自室にこもっていた。アパートの他の住人は時々向かいの公園で日向ぼっこをしたり、お茶を飲みに出かけたりしているようだが、そのなかに彼が入ったことは一度もなかった。

彼は色のうすい男だった。

仕事帰りの夜、あるいは休日、彼にはひそかに部屋であることに打ち込んでいた。

それは雑文を書くことだった。

古びて、軸の汚れたペンを手に、ひたすら薄紙に言葉を書きつらねていく。かりかり、かりかり。その音だけが土壁のひびに入り込んでいく。少し疲れるとやはりひびの走るカップに注いだ冷めたコーヒーを飲む。そして、とりあえずの区切りがつくとペンと紙束をしまい、そのまま横になり眠る。

彼が雑文を書くようになってから、もう二十年以上たつ。それを世に売りさばいて生きていきたいと思い、本売りをしている店の雑文募集に出したことも多々あった。だがそれらが取り上げられることはなかった。

それでもあきらめず、というかしつこく、彼は書き続けたが、いつしかからだを壊してしまった。以前のように勢いのままに、とはいかなくなった。ペンを走らせていると以前はなかった疲れがたまるようになった。中途半端なところで手が止まり、ばたりと床に臥せる時が徐々に増えていった。

ああ、もうおれは終わり、か。

うちひしがれながら彼はアパートを出た。少し外の空気を吸いたかった。ぼんやりとあたりをうろついているうち、いつの間にか見たことのない通りに入り込んでいた。普段は静かなはずのこのあたりだが、通りの向こう側からはかすかに賑わいが聞こえてくる。

こんなところ、あっただろうか。彼はいぶかしく思いつつも、通りを進んでいった。

気がつくと、彼はある場所にたたずんでいた。

そこはどこかの街の広場のようだった。見上げると西洋とも東洋ともつかない建物や家、店が立ち並んでいる。空はどこまでも青い。と思ったらある境からは夕暮れよりも濃い赤。そのさらに向こう側は緑、黄色、だろうか。空自体か虹色のようだ。

顔をおろし、改めてまわりを見渡す。石畳の広場にはたくさんのひとがいた。あるひとはパラソルの下で椅子に座っている。あるひとはちょっとした小屋をかまえている。あるひとは猫や犬とじゃれている。あるひとは外なのにキッチンをかまえ料理をしている。と思うと、ただござを広げてその上に寝転んでいるだけのひともいた。広場の真ん中には大きな貼り紙があり、「今日のおすすめ」はこれだよ、と書かれていた。

道の向こうに目をやると、おなじような広場がある。どうも、どの道先にもこんな広場がいくらでもあるようだ。

ここは、どこだ。

彼は首をひねりつつ、恐る恐るすぐ近くで揺り椅子に揺られて、ブックカバーに包まれた文庫本を開いている女性に近づいた。女性のすぐそばには二匹の猫が仲良くじゃれあっている。女性は、いらっしゃいませ、と、にこやかな笑顔を浮かべた。

いらっしゃい?その言葉に眉をひそめていると、女性の足元に広げられた織物の上に、言葉の書き綴られた紙の束がいくつも並んでいた。女性はどうぞ、ご自由に、と、並んだ紙の束を手のひらで示した。

彼は戸惑いつつ、紙の束のひとつを手に取った。めくると、そこには短い物語が綴られていた。彼女と猫たちとのなにげない日常の一場面が、ユーモアと優しさにあふれた筆致で書かれていた。彼は夢中で読みふけった。気づくとあっという間に読み終えていた。

すごく、よかったです。思わず声に出すと、女性はありがとうございます、と、本当に嬉しそうにお辞儀した。猫もにゃあ、と鳴いた。

ふと見ると、織物のかたわらに小さな木箱がある。なかにはそれなりの数のお金が入っていた。お札もある。彼は女性がはじめに、いらっしゃいませ、と言ったことを思い出した。改めて見回すと、どのひとの足元やテーブルにもそんな箱が置いてある。そうか、ここは店なのか。

あわててポケットをさぐる。だが小銭ひとつ入っていない。その様子に気づいた女性がまた笑顔を浮かべた。お金は気にしなくていいんですよ。お客さんがよかったと思ったら入れてくれれば。ただもし、この物語が好きだな、と思ったら、そこにあるはんこを、ページの最後に押してもらえますか。そうしてもらえたらすごく嬉しいから。

彼はうなずき、はんこをページの最後に押した。はんこはハートのかたちをしていた。そんなはんこが、ページにはすでにたくさん押されていた。

ありがとうございます。彼女は言葉通り、本当に嬉しそうにお辞儀をした。

ここの皆さんは、みんなこういう物語をみせてるんですか。彼がたずねると、女性は物語に限りませんよ。絵を描いているひともいるし、写真を撮っているひともいます。詩、エッセイ、漫画、ハンドメイドのアクセサリー…とにかくなんでもいいんです。こうしてみてもらったり、みにいったりする街なんです。気にいったのがあれば買ってもいいんですよ。このブックカバーは右隣の女の子から、中のエッセイは左の女性から買ったんです。ふたりのお子さんとのどたばた日記です。あとこれはちょっと大人の女性が主人公の、万年筆で書かれた物語かな。

夢中で語る彼女の胸には、紫色のネックレスが光っていた。

いろんなところ、みてきたら。彼女の言葉のまま、彼は広場を散策してみた。本当にいろんなひとがいた。明るく軽やかだがどこか哀しみもたたえたエッセイを書く人気者の女性、思わず笑わずにはいられない文章を書く元バンドマン、「女の子」とはなにか、をひたすらに、それも驚くべきことに毎日欠かさず書き続けている女の子…。

彼は夢中で広場をめぐった。読んで、見て、聴いた。そのたびに胸が震え、笑い、涙した。そしてハートのはんこを押し続けた。はんこをもらったすべてのひとが、ありがとう、とお礼を返してくれた。

彼は最初に出会った女性のところに戻ってきた。どうだった?問いかけに、彼は興奮気味の笑顔を返した。彼女もそれでわかったようで、人懐っこい笑みを浮かべた。

あなたも、やってみたら。

猫をなでながら彼女が思いがけないことを言った。おれも、やっていいの?もちろん。別に誰かの許しがいるわけじゃないもの。誰でも自由に、どこででも、好きなようにやっていいんだよ。

数日後、彼はその広場で雑文を広げはじめた。

とりあえず古びたテーブルだけを据え、そこに粗末な紙に書いた雑文の紙束を並べた。菓子の空き箱も小銭用に一応、置いた。不思議なことにハートのはんこは気がつくとテーブルにそっと乗っかっていた。

場所は最初に出会った猫の女性や、「あなたの世界を守る」ブックカバーを作る女の子、ふたりのお子さんがそばに寄り添う女性、万年筆を愛する女性、そんなひとたちのすぐ近くにした。

さて、と準備がととのったところで、彼は不安になった。店だかなんだかわからない、こんなさえない男の雑文など誰がみてくれるだろうか。広場には新作が読みたくて、ひとびとが行列を作っている人気者もたくさんいるのだ。

と思っていると、ふらりと見知らぬ男性がやってきた。いらっしゃいませ、もなにも言えずにいると男性は紙束のひとつを手に取り、読みはじめた。真剣な表情に彼は身を固くした。やがて読みおえると、男性は軽い笑みを浮かべ、ページの最後にあのはんこを押した。ありがとうございます。去っていく男性に彼は深々と頭を下げた。

そうして、彼の広場での暮らしがはじまった。

日がたつにつれ、雑文を読んでくれるひとも、はんこを押してくれるひとも増えていった。なかには小銭さえ入れてくれるひともあった。自分の雑文のなにがよかったか、感想をのべてくれるひともあった。彼の雑文に笑い、涙し、深いところで感じ入ってくれるひとりひとりに、彼は感謝の念を押さえられなかった。

やがて最初に出会ったひとたちを通じて仲間もできた。そのひとたちといっしょに作品を集めて冊子も作った。これは無理だなと思っていた「今日のおすすめ」にも選ばれた。仲間と喜びや悲しみを分け合う時も多々あった。

色のうすかった彼に、いつしか彩りがよみがえっていた。

そんな彩りのあざやかな日々を広場で過ごすうち、気がついたら一年が過ぎていた。

その少し以前から、彼は現実世界である問題を抱えていた。持病が重くなり、働くことがなかなか思うようにいかなくなってきたのだ。体調が悪く、仕事を休まざるを得ない日々が増えた。通院も薬も増え、入院も何回かした。

一日働くことが困難になり、短い時間での勤務となった。その結果、当然もらえるお金が減った。今までの蓄えがあるので、さしあたり食べるのに困ることはない。だがこれからからだが戻り、また以前のように働けるようになれる自信もない。でもまだ生きていかねばならない。

悩んだ末、彼はひとつの結論に達した。

その決意のもと、彼は広場へと向かっていった。





よくわからない、長々しい話にお付き合いくださり、ありがとうございました。

4月より、以前よりごまかしつつ続けていた時短勤務が正式なものとなりました。説明すると長くなりますが、要するに正社員からパートになった感じです。月給制から時給制になり、休めばその日の収入はゼロです。

パートナーは変わらず仕事ができていますし、上に書いたようにさしあたり食べるに困るわけではありません。ただ私はからだの都合上必要なものが多い。自己導尿用の消毒液や経口保水液などで、これが結構お金がかかるのです。普段の食料品や日用品、光熱費も考えると、これからもできるだけそれ以外の出費は避けたい。

だから最近は本や漫画、CDなどを買うのを控えています。本は図書館で借りればいいのですが、漫画やCDはなかなかそうもいかないし、それにぜいたくな話ですが、できるなら借り物ではなく気に入ったものだから手元に置いておきたい。

ではどうしようか。考えた末、これからnoteで書く記事は、しばらく投げ銭方式にさせていただくことにしました。

価格はそのつど決めますが、一応100円から150円くらいを考えています。自販機の飲み物の値段とおなじくらい。自分の雑文の値はそれくらいが妥当でしょう。

投げ銭なので、今まで通り全文お読みいただけます。もちろん無理に払っていただくこともないですし、スキをつけるつけない、コメントを書く書かない、シェアも今まで通りです。それは皆さまがご自由に判断されてください。ですが、少しでも善意をいただけたなら、本当に感謝しかありません。

いただいたサポートは次の作品作りに役立つよう、あるいは今回の私のように前へ進もうとする方への応援に、大切に慎んで使わせていただきます。

まずとりあえずの目標は、月一冊文庫本が買えるくらいにしようかな。まあこれは悪い冗談です。

ともかく、皆さまに読んでいただけるような記事を書いていくため努力することに、なんら変わりはありません。これからもよろしくお願いできれば、本当に幸いです。

篭田雪江 拝



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