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もう、生きらんたてないいはあ。

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診察机上のディスプレイに表示された今日の血液と尿検査の結果をみて、一瞬ふらつきそうになった。

腎機能、ナトリウム、尿たんぱく、ヘモグロビン…。とにかくあちこちの数値が、異常値を示す赤文字になっている。特に気になったのが腎機能だった。尿素窒素、クレアチニン、共に過去最悪の数値になっている。

主治医よりさまざまな説明を受けたが、かいつまむと、私のからだは普通のひととは違い、あまり血圧が下がり過ぎても腎臓に負担がかかるらしい。確かに最近、寒くなってきているのに血圧は低め(それも普通にみたら異常なしの正常値なのだが)だった。今朝の測定でも、血圧計がこわれたかと思ったほどだ。

とにかく血圧が高くなってもいいので、塩分を摂るようにと言われる。しかし、これは以前から言われていた。だから最近も飯のたびに梅干しを食い、湯に溶かせば味噌汁になるチューブタイプの味噌も多目に入れていた。だがこれでも足りないということか。これからは塩袋をテーブルに置いて、折に触れてなめなきゃいけないのか。診察室を出、プリントアウトされた検査結果の紙を確かめもせずバッグに突っ込む。

点滴も受けるよう言われたので、そのまま検査室へ向かう。無事点滴の針を刺した後、診察順を待っている間にスマートフォンの電子書籍で読んでいた坂口安吾の『白痴』の続きをベッドで読みはじめてまもなく、カーテンでしきられた隣のベッドがあわただしくなる。検査室にいる看護師の多くがまわりにいるようだ。

急患できたじいちゃんらしい。ベッドおこしますね。点滴します。気分はどうですか。そんな声と共に、点滴やら心電図やらが取りつけられる気配がする。どうも心臓の具合がよくないらしい。

ほどなく、最初に受け持ったらしき男性医師がやってきた。声を聞くと五十代後半のベテランか。だがこの医師、ただでさえ忙しい外来に医師にとっては面倒な急患を受け持たされたからか、やたら機嫌が悪い。はやくテープとって。機械こっちにみえるようにしないとだめだろ。ぼうっとしてないで動いて。誰、○○(薬名らしき名称)全開で入れてるの。そんなの一言も言ってないよ。それ、あとでちゃんと報告して。とにかく看護師にあたるあたる。パワハラにあたるんじゃないか、と聞いている方がいらいらしてくる。

だがいつものことなのか、看護師たちは特に気色ばむでも苛立つでもなく、その医師が場を離れると、せわしなくも時々笑ったりしながら処置をしていた。

しかし、その医師がうるさくなるほど、じいちゃんの塩梅がよくないのは隣からでもわかった。医師も本人に言っていたが、とにかく脈が少ないのだ。聞こえてくる心電図の音の間隔がやたら長い。ぴ…ぴ…ぴ…。そんななかに突然、ぴぴ、ぴ、と、不規則なリズムが入り込む。悪趣味とわかりつつ数えてみると、一分間に37回。医師が説明していた通り、通常の半分程度だ。だからかしきりに看護師が具合をきいているが、じいちゃんは別になんともね、を繰り返している。不思議と、というと語弊があるかもしれないが、受け答えはしっかりしているのだ。

やがて、本来の担当らしき男性医師がやってきた。検査結果や今の状態を確かめると、説明をはじめた。

心房細動や他の所見も考えられるが、とにかくカリウム値が異常に高く、それが脈を少なくしている原因とみられる。だからまずカリウム値を下げる治療をする。落ち着けばそれでいいが、よくならない場合はペースメーカーを入れなければならない。そのためこのまま入院した方がよい、と。

しかし、じいちゃんはなぜかすぐの入院をためらった。明日でだめだべが、を繰り返す。医師がわけをきくと、こころの準備ができてね、身辺の整理もあっからよ、とじいちゃんは言う。

困惑した医師は、廊下で待っていた家族を呼んだ。カーテンのすきまから見えた姿はもう八十近いとおぼしき、妻らしいばあちゃんだった。

医師はさっきの説明を繰り返した。ばあちゃんはじいちゃんに、すぐ入院して先生にまがせろは、と諭すように言った。しかしじいちゃんは、うーん、とうなるばかりで、なかなか首をたてに振らない。どうしても一度帰りたいらしい。

だが医師とばあちゃんの幾度もの説得で、ついに折れた。医師は少しほっとした様子で、ではすぐ病棟に電話するから、と場を離れた。

まず先生さたのめば大丈夫だがら。ばあちゃんはなぐさめるみたいに、おだやかに言った。ペースメーカーを入れることになっても、長くて二週間程度の入院らしいから、と。

だが、じいちゃんはため息まじりにつぶやいたのだ。

もう、生きらんたてないいはあ、と。

それをカーテン越しに聞いた私は、思わず胸のうちでうなずいていた。ああ、んだずね、おれももう生きらんたてないいはあ(もう生きなくたっていい)、と。

きっとこのじいちゃんは、ずっと長いこと心臓の不調で病院通いを続けてきたのだろう。入院だって何回もしてきたはずだ。それでもからだは徐々に悪くなるばかり。じりじり崖に追いつめられるみたいに。

楽しい時より、苦しい時の方が多かったはずだ。笑う時より泣く方が、いやもうとっくに泣くことさえ面倒なほど疲れてしまっているのではないか。

今の自分みたいだ。

腎臓を悪くしてもう十五年たった。よくもっているのか。それともあと少しで電池切れなのか。主治医はそんなことないと笑うだろうが。

ペースメーカーかあ。入れだぐなんかないずねえ。おれも腎臓死んで人工透析なんて、したぐねえもなあ。だったらもう死んだ方がいいもにゃあ。

そんなことを考えていたら、いつの間にかうたた寝し、点滴は終わっていた。じいちゃんもいなくなっていた。会計をすませ病院を出るともう二時近く。だがさっぱり腹なんて減ってない。でも食わなきゃだめか、と、近くのモスバーガーのドライブスルーに行く。モス野菜バーガーとコーヒーを買い、隣にあるイオンの駐車場に入り、車中で食う。もっとしょっぱそうなメニューにすればよかったか、と考えたところで、思わず笑う。もう生きてなくてもいいなら、なに食ったって、食いたくなかったら食わなきゃいいはずなのに、と。

じいちゃんは今頃病室だろう。カリウム下げる治療も、もうはじまってるはずだ。回復するのか。それともペースメーカーになるのか。どっちがじいちゃんの幸せなのだろう。私にはわからない。

なあじいちゃん。本当はどっちなんだや。

おれも本当にこれからがわがらね。でもじいちゃん。おれ、まだもう少し死なんねんだず。十年までとはいかなくても、あとも少し生きていがんなねんだ。塩なめででもな。本当に面倒くさいずねえ。でもしかたねえんだなあ。ばあちゃんも多分まだ逝ってほしぐないど思うがら、ペースメーカーでも、も少し、がんばらねが。おれもなんとが、がんばっからよ。本当にしかだねえげど。

まったくイオンの駐車場で、口のまわりにソースをつけながら、私はなにを思っているのか。笑いもせず、私は昼食後の薬をコーヒーで飲み下した。目の前に植えられた樹はもう葉がほとんど落ち、なんの樹かよくわからない。かろうじて残った葉をみると、かさかさのイチョウの葉っぱだった。今年はもう丸裸だが、また来年芽吹き、若葉を茂らせるのだろう。しつこくても、面倒でも、枯れ果てるまで。

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