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ストッキング売り場の前であえいだ日

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昨日、相も変わらず体調が悪くなった。

一昨日からややおかしかったのだが、朝食のパンやらティッシュやらハンドソープなど、こまごましたものが切れかけていたので、昼近く、多少無理して車をだしてスーパーに行った。

さっさと買うものを買ってしまえれば、と思っていたが、かごを入れたカートを押しながらドラッグコーナーをまわってる時点で動悸と息切れがきつくなり、棚の間で車いすを止めた。

うずくまり、とにかく息を落ち着かせないと、と、はあ、はあ、と意識して規則性のある呼吸を繰り返した。数分後、ひとまずなんとか少し落ち着いて顔をあげる。するとすぐ右隣が女性のストッキング類を置いてある棚だった。そういえば、息を整えてる途中、通りがかった女性客が怪訝そうな視線をちらと送っていたのを思い出した。はあ、とさっきとは違う種類の深呼吸をして、すばやくその場を去った。

買い物をすませると、フードコーナーが目についた。はやく帰って休みたかったが、帰ってから飯支度も面倒だ、ここで昼飯食ってしまうか、と入る。かきあげそばや味噌ラーメン、やきそば、うどん、ソフトクリームなどけっこう品数はあるが、迷わず醤油ラーメンにする。なんたって税抜だと290円なのだ。税込でも300円ちょいなので、とにかくコスパが最高なのだ。そのため地元ローカル局が以前放送したラーメン特集でも、私の住む地域のランキングで第四位に入ったくらいだ。

注文してテーブルにつく。まわりをみると、老夫婦や親子連れ、仕事途中の会社員などでけっこう混んでいる。こっそり食べているものをみると、やはり醤油ラーメンが多い。

ほどなく、自分のラーメンがきた。味は、普通にうまい。安いけど普通にうまい。この安いけど普通にうまい、が、実はさがすと案外ないと、ある漫画家が書いていたのを思い出す。ずるずると一心に麺をすする。うん、やはり普通にうまい。

さすがに今はすたれてきたが、私の住む地域では、客が来るとラーメンを出前してもてなす習慣がある。私も小さい時、お客さんがきた時に出前してもらったラーメンを、弟と一杯を分け合って食べた。それも、普通にうまかった。食べるのが遅く、麺がのびてもうまかったものだ。

食べ終わって、スーパーから車を出す。家に着き、買ったものを整理すると、完全に力尽きた。横たわり、また息切れがしてくる。

このまま寝てしまいたかったが、トイレの時間だった。自分のものでないようなからだをおこし、トイレに入り、自己導尿で排泄する。やや濁りのある尿で、またため息。多少の汚れは心配ないと医師からは言われているが、やはり気が滅入る。

トイレから出て、今度こそようやく横になる。窓を眺める。曇り空。私の嫌いな曇り空。中途半端に曇るくらいなら、雨がふってくれた方がまだいいと感じるたちだ。

私のからだとおなじだ。検査のたび中途半端に数値が悪く、経過観察を繰り返すくらいなら、いっそ病室に押し込み、手術でもなんでもしてがっちり治してほしい。重い気持ちで毎回思うが、入院するかは否かは医師の判断で私にはなにも言えない。

その定期検査と診察は来週だ。また点滴やら、下手すると輸血だろうか。

輸血は幼い頃の手術の時、父の職場の同僚の数人から受けたと聞いたことがある。それからだいぶ時を経て、二年ほど前に一度。自分の血には他人のそれが混ざっている。それが今まで私のなかを循環し、生かしてきた。いや、生かされてきた。ありがたい、と思うと同時に、異物が体内をかけずりまわっているという、ひとの恩義をふみにじるような感覚もまた、捨てられずにいる。だから具合が悪くなるのだ。ストッキング売り場の真ん前で、息も絶え絶えになるんだ、と。

本を読んだり、スマートフォンをみているうち、眠ってしまっていた。目覚めるともう真っ暗。空気が重い。陰鬱な人間の息がこもっているせいだ。

つけっぱなしにしてしまったテレビからは大相撲が流れている。ちょうど結びの一番。大関貴景勝が、若手の琴勝峰をしりぞけた。いつもの無表情で懸賞金の束を行司から受けとるのをみて、あれで昼に食った醤油ラーメン何杯分だろう、などと、くだらないことを考えながら、また無理にからだを起こしてトイレに向かう。濁りがなくなっていることを祈りつつ。



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