「冷蔵庫だけは渡せないから」―ある車いすユーザーの離婚

※この記事は投げ銭制です。全文読めます。

 先日withnewsに、障がい者、特に車いすユーザーの恋愛、結婚に関するコラムを書いた。

https://withnews.jp/article/f0200926001qq000000000000000W0eg10801qq000021837A


 このコラム作成の過程で、文字数制限等の事情で載せられなかったエピソードを、多少の加筆を加えた上、この場で紹介させていただきたい。

 先日退職した私の前職場には、男性の車いすユーザーの後輩がいた。漫画やゲームをたくさん持っていて、「鋼の錬金術師」は彼から単行本を借りて夢中で読ませてもらった。仕事場に隣接する寮の部屋に平日は暮らしていたので、仕事終わりに時々寄らせてもらい、一緒にゲームをしたりお茶を飲んだりした。大勢のひととにぎやかに飲むのが好きで、よくいろんなひとに声をかけては飲み会を開いていた。私もずいぶん誘ってもらい、遅くまで飲んだものだ。

 数年前の初冬の週末だったろうか。その日も仕事終わりに彼の呼びかけで飲み会があった。駅前の白木屋で、仕事や漫画、映画、職場の誰が誰を好きなんじゃないか、なんて、よくある話で盛り上がった。

 夜も更けてお開きとなり、さて帰ろうか、それとも二次会に行こうか、なんて話を店の前でしていると、ひとりの女性が私たちにすっと近づいてきた。すらっと背の高い細身の女性だった。

 誰も見覚えがなく、誰なんだろうと思っていると、女性は彼のそばに寄り添った。そして笑顔で私たちにお辞儀をした。

 みんな面食らっていると、彼はさりげなく、業務連絡でもするかのように言った。

「あ、ぼくの彼女なんです。実はもうすぐ結婚することになりました」

 私たちは文字通り目を丸くし、ええ! と道端にも関わらず声を上げ合った。いつの間に? どこで会ったの? どのくらい付き合ってるの? なんで黙ってたんだよ! 矢継ぎ早の質問に、彼は苦笑しながらひとつひとつ答えていった。

 出会ったのはその二年前。アビリンピックというハンディを持つ方がそれぞれの職場で養った技量を競う大会が毎年開かれているのだが、その全国大会で知り合った。それ以来お付き合いをはじめ、この飲み会の少し前に結婚を決めたという。

 彼女には軽度の知的障がいがあるとのことだったが、受け答えに戸惑うような様子はなかった。質問にも静かな声でていねいに答え、笑ってもくれていた。

 そんな話を聞き、彼の車いすの背もたれグリップに彼女が手を添える様子を見ているうち、私はなんだか胸がじんとして、思わず「よかったなあ」と涙ぐんでしまった。それを見た先輩に「お前も年取ったな」と苦笑されたが、ずっと仲良くさせてもらっていた後輩だったので、本当に嬉しかった。

 言葉通り、ほどなくふたりは結婚。寮の彼の部屋で共に暮らしはじめた。

 仲の良い後輩夫婦だから、というわけでもないが、困ったことがあったら言ってと伝えた。すると彼女が運転免許の取得を目指している、自動車学校の教習はすべて終わり、後は免許センターでの最終試験だけなのだが、これになかなか合格ができないでいる。だから勉強をみてくれないか、と頼まれた。この頼みには私のパートナーが応じることになった。平日の仕事終わりや週末にスタバなどで、ふたりで参考書を広げて勉強した。

 しかし残念ながら免許取得はならなかった。彼女は「バス通勤を続けるので大丈夫です。ありがとうございました」とお礼してきたようだ。勉強にちょっと疲れてしまった様子があったらしい。

 さて、そんなことがあってからほどなく、仲のよかったはずのふたりに小さな亀裂ができはじめた。

 まず彼女が週末にイオンや百均などにやけに行きたがるのが、彼にとっては苦痛だったらしい。彼はあまり手の動きがよくなく車いすを素早く動かせるわけではない。なにより基本がインドア派なので、休みは部屋でゲームをしている方が性に合うたちだった。そんななかで長時間出かけるのはしんどかった。だから「今日はゆっくりしよう」と断る。それが彼女には不満となっていったようだ。

 それから少しずつ、彼女に変化がでてきた。

 まず仕事の帰りが遅くなってきた。そしてそのうち、帰ってこなくなる日まで多くなってきた。心配して本人の携帯電話にいくら連絡してもでない。実家に問い合わせてもわからない、の一点張り(詳細はわからないが、彼女の両親は早くに離婚、母親にも軽度の精神ハンディがあったりと、やや複雑な家庭環境にはあったようだ)。

 そのうち、何日も帰ってこなくなった。連絡も変わらず取れない。

 職場の支援員にも相談したが、やはり連絡は取れない。一体どこに行ったんだ、どうすべきか途方にくれている頃、ようやく電話がつながった。

「今、どこにいるんだ」「友達、というか、知り合いの家にいる」「なんで帰ってこないんだ」「……」「仕事には行ってるの」「仕事はやめた。今は別の仕事をしている」「やめたって……それじゃ今度はなんの仕事をしてるの」「……」。二、三度交わされた短い電話をまとめると、そういった会話がなされたようだ。

 残念なことにやがて、そのまま離婚というかたちをむかえることになってしまった。その詳細まではわからない。彼本人が語ることがなかったから。わずか二年ほどの結婚生活だった。

 今、彼女はどうしてるの。離婚後おそるおそるたずねると、最後に戻ってきた彼女と手続きを済ませて以来、もう今はどこにいるかもわからないという。彼女の引っ越しの際、共に買い揃えたまだ真新しい家財道具の分け合いをした時、彼女は冷蔵庫を欲しがった。でも彼は「冷蔵庫だけは渡せないから」と譲らなかった。その話を聞いた時は息が苦しくなるような、なんとも重い感覚にとらわれた。

 一度だけ、ふたりからもらった年賀状は今でも棚にしまってある。結婚指輪をした左手を並べて笑い合う写真が貼りつけてあった。ずっともらえるものと思っていたが、離婚してからはまた彼ひとりからのものになってしまった。

 彼は今でも変わらず働き続け、今まで通り漫画やゲームを楽しむ日々を送っている。最近は流行に漏れず鬼滅の刃に夢中だったようだ。

 彼女があれから、どこでなにをしているかはわからないままだ。

 似た話は、実は前職場にはいくつかある。やはり男性車いすユーザーと軽度の精神ハンディがあった女性の離婚。数年の職場在籍の間に二度の結婚と離婚を繰り返し、退職直後に三度目の結婚をして、子どももうまれたが、やはりすぐ別れてしまった、知的と精神にハンディを抱えていた女性。

 だからなにかを訴えたいわけではない。ただ私の目にはそういう現実がうつったことだけを綴ったまでだ。

 とにかく紹介させてもらったひとたちが、これからも元気で幸せに、おだやかに過ごしてくれればいいと祈るしか、ちからもなにもない私にできることはない。






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