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地べたを這いながら

 今日は仕事納めの日だった。

 午前中残っていた仕事やデータ整理を行い、午後からは掃除。デスク上のいらなくなった紙類をひたすら捨てていった。こういうのが一年で結構たまっているものだ。共同ごみ捨て場に持っていくと、漬物樽みたいなリサイクルボックスはすでに満杯近くになっていた。もえるごみやプラスティックごみもおなじようなものだ。毎年だがどれだけのごみがこの職場から出ているのかと思う。
 時短勤務中なので、三時で帰宅。よいお年を、とすれ違う上司や同僚に挨拶してから職場を出た。道路がいつもより混んでいた。農協直売所が年末年始の買い出し客でかなり賑わっていた。コンビニを見ると冬休み中の小学生らしき女の子数人が、この寒いのにアイス片手にはしゃいでいた。そのコンビニ前を部活帰りとおぼしきジャージ姿の男子中学生が歩いている。そんなに部活がしんどかったのか。自宅前の通りに入ると灯油配達業者が灯油タンクにホースを突っ込んでいる。腕時計を気にしていたから、この後の予定がつまっているのかもしれない。配達業者のトラックも通り過ぎていく。大通りにも多かった。年末だからネット通販で大きな買い物をしたひとが多いのかもしれない。
 街もひとも、新しい年へと向かっていた。

 


 這いつくばるように生きてきた一年だった。

 今年二月、感染性腸炎に罹って入院した。すさまじい下痢と腹痛に見舞われ、ベッドの上で悶絶した。生まれてはじめて三日間の絶食を経験した。絶食明けはじめての食事はゆるいおも湯だった。水に溶かした糊で味もなにもなかった。
 退院後からも体調の悪い日が続いた。血圧が高く、常に重い疲労感がただよった。急に仕事を休まざるを得ない日が重なっていった。秋口には低ナトリウム症で再度入院し、血のうすまったからだにひたすら点滴を注入した。それからも体調不良と頻繁な通院が続き、時短勤務を余儀なくされた。それでも体調は芳しくなく、家に帰ると死んだみたいに横になることも多かった。
 定期検診の検査結果で貧血や低ナトリウム症が見つかり、急遽輸血や点滴を受けたこともある。外来処置室の狭いベッドで点滴を受けながら、付き添いできたパートナーと共に売店のおにぎりを昼飯に食べたこともあった。先日は今年最後の通院日だったが、あまりの体調の悪さに入院を覚悟し、あらかじめ入院道具を持参していった。正月飯は病院で食うことを覚悟したが、検査結果は幸い少し改善していて、入院はまぬがれた。主治医と「よいお年を」の言葉を交わし合って診察室を出ると、肩から力が抜けた。
 長くは生きられないのだろう、という思いは常にある。
 元気いっぱいだ、などというのはとうに忘れた。山のような薬を飲むたび、この粒々におれは生かされているんだなと、鬱屈した思いにかられる。体調が悪くて休みになった日は床に伏し、動悸をこらえながら窓から隣家の壁や屋根、そこにとまったからすを眺める。昼食に味のしないパンを胃に押しこむ。午後からは仮眠と一回二十分かかる自己導尿を繰り返す。日が暮れていく。夕暮れを見つめながら、このまま溶けるように死んでいければ、と思った時もある。
 



 今年春、noteをはじめた。

 最初は書き溜めていた小説をぽつぽつと上げていくだけだった。noteを紹介してくれた、恩人とも呼べるひとが時々読んでくれればそれでいい、くらいの気持ちだった。でも思いがけず読んでくださる方がいた。コメントを書いてくれる方も出てきた。それでこちらもあちこち出かけていった。感情が揺さぶられる旅だった。さまざまなひとたちと出会い、少しずつつながっていった。偶然か必然か、生きることに苦しみ、悲しみ、もがき、それでも生きていこう、幸せをつかもうとするひとばかりだった。涙と血と汗だらけの顔を前に向けて歩いているひとばかりだった。弱かったからこそ優しく、明るく、強くなれたひとばかりだった。
 だからこそ、そんなひとたちとのつながりは本当に深く、固いものとなった。この場所だからこそ生まれた愛おしさとなった。なにものにもかえがたい宝物だ思う。



 長くは生きられないだろう、とさきほど書いた。

 だからといって、まだ死ぬわけにもいかない。さすがにまだ早い。
 小説を書き続けていきたいのだ。noteにも書いていきたいし、公募賞にも挑んでいきたい。弱っていくばかりのからだでどれだけできるかわからない。実を結ばないままかもしれない。それでも書いていきたい。自分にはそれしかないから。生きる意味を見出せるとしたら、床に這いつくばってノートに書き連ねた汚い文字の中にしかそれはない。
 そして、もうひとつ。
 会いたいひとたちがいる。生きることに苦しみ、悲しみ、もがきながら生きていこうとするひとたちに会いたい。苦い経験をかみしめ、幸せをつかもうとするひとたちに会いたい。苦しみの最中にありながら、それでも生きているひとたちに会いたい。愛おしいひとたちに会いたい。
 そのひとたちに会うのをあきらめたくない。会いに行くのをあきらめたくない。笑顔を交わし、涙を流し合うのをあきらめたくない。
 まだ、死ぬのは早い。



 職場での大掃除の際、引き出し奥にしまわれていた古い写真を見つけた。
 いつだかの忘年会、おなじテーブルに座った自分を含む数人が写っていた。そのなかにひとりの男性の姿があった。グラスをかかげ、赤くなった頬を緩めていた。
 その男性は今年初秋、急逝された。まだ五十二歳だった。
 以前は直属の上司だった。真面目で仕事には厳しかったが、根は温厚そのものだった。よく食事や飲みにも連れていってもらった。そば屋で酒を飲む楽しさを、そのひとから教わった。
 通夜会場に、仲間と向かった。微笑んだような顔を見た時、皆が泣いた。まだ早いべず、と怒ったひともいた。かたわらに座る老いたご両親の姿は本当に小さかった。どこか現実感がなかったが、最後に遺影の笑顔を見た時、ああもう会えないのか、と、唇を噛んでいる自分がいた。
 掃除の手を止めてしばらく見つめた後、その写真はまた引き出しの奥にしまいこんだ。
 このひとに会いに行くのは、まだ早すぎる。




 まとまりもとりとめもない文章になりました。本来ならこうしたものを記事にするのは性に合わないのですが、今年最後の更新ということもあり、思うままに書き連ねさせていただきました。

 今年、ここで出会えたひとたちすべてに、感謝申し上げます。

 本当にありがとうございました。

 これからもよろしくお願い申し上げます。

 大切なひとたちの幸せを祈りながら。
 

 

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