メンクリその後〜不安は消えない、だからこそ

メンクリ通院記録の3回目です。

過去の2回については過去noteに書いています。

簡単に言うと「仕事が忙しすぎて身体壊してその後メンタルもつぶれちゃった」ってことですが、上司に吐き出して休みを増やしてもらってからはだいぶ安定してたんですよね。
3回通って今日が4回目。1ヶ月経って安定を感じてて大丈夫だと思ってたんですが…今日4回目が近づくにつれやっぱりしんどさを感じてきたのでそれをありのままに話してきました。
最近は忙しさが戻ってきて「あれ、なんかけっこうしんどくなってきた」と思ってたら遠くの方に“厭世感”が見えだして。
私の場合限界ギリギリまでいかないと希死念慮は出ませんが、前からずっと厭世的な気持ちがモヤモヤと胸や頭に溜まってるんですよね。
こんなに仕事して、お金のためとはいえこれが一体何になるのか、とか。
そもそもこれが「生きる」ってことなら別に一生懸命やらなくてもよくね?ていうか世の中のこととかどうでも良くね?って。
だいぶマイルドに書きましたがひどくなると自分の身を消したくなる。それがそのまま「自殺する」にいくわけではないのですが、ずっとモヤモヤして苦しくなるわけです。


そうした感じを本日主治医に診てもらう前の問診で心理士さんに伝えたら、

「しんどい気持ちを蓋をしないことですね」ってアッサリ見破られて。

「あー、やっぱ蓋してかなりガマンしていたなー」って気づけたんです。

日常にかまけてるとそんな状態でいる自分に気づけない。もうヤバいと思った時はかなり病状、というか絶望感が進行した時です。
こういうことに気づくためだけでもメンクリに行くことは有効です。普通に生活しているとこういうことって本当に気づけないんですよね。

主治医と話した時も気持ちが止まらず早口になって、なんかもう自分のつらい気持ちを吐き出すのが止まらないんですよね。それをやんわりと制されたのでこうしてnoteに吐き出すという(笑)

あー、でもメンクリ予約しといて良かったです。前回終わって「そうだいぶ戻ったし行かなくていいのでは?」って思ってたけどこうしてバッチリ病んでたわけだし。

やっぱりつらい気持ちはどんどん吐き出していこうと思います。
それに気づけないくらい日常であったり普通であることに押さえつけられているんですよね。
そう言ったものがそのまま「幸せ」につながればいいんだけど、それが逆にプレッシャーになったりもするし。

仕事をするのが当たり前。
学校に行くのが当たり前。
〇〇するのが当たり前。
そういった規範が日々私たちを襲う。

そうじゃないって、言えなくなる。

そこで他者との壁ができる。
孤立が始まる。

だからこそ

#死にたい人と繋がりたい

といったつながりを求める。

そこに応えていくのが周りの人の役目なんだよね。
説教や説得、アドバイスが欲しいわけじゃないんだよね。



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