初めてメンタルクリニックに行った話

今回は先日私が初めてメンタルクリニックに行った話をしようと思います。いつもやっている明日カノの話と直接関係はありませんが、現在私が『明日カノ研究会』なるものをやっているのも、明日カノで描かれる孤独やしんどさ、人間関係の悩みや依存などみんなが抱えている生きづらさを共有したいという思いがあるからです。
日々不安を抱え、人間関係に悩み、強いストレスから自傷や依存をしたりと、そういう困りごとを抱えて人いるたちの一つの繋がりの方法として、メンタルクリニックが存在します。

現在私はそういった困難を抱えた人たちの話を聞くことを定期的にしているので(本職ではないです)、一緒に落ちないような「心の守り方」は心得ていたつもりでした。だからこの度まさか自分が当事者としてメンクリに行くことになるなんて思いもよらなかったですし、「自分は大丈夫」だと過信していたところがあったんですよね。

でも過去に何度も精神的にキツいと動けなくなったりしたことがあったので、そういう意味での他者と自分を混同しない寄り添う術を行使していたのですが、今回はそれができませんでした。
というのも1ヶ月ほど前に1週間ほど入院をしてまして。それは身体の不調だったのですが、退院してそれ以降メンタルの調子がすごく悪くなったんですよね。どうも今までメンタルが耐えられたのも身体が健康だったから耐えられたかだけでその身体が保たなくなった途端にメンタルが負荷に耐えられなくなって今回の落ち込みにつながっていったようなのです。

日々生活していても心が重く、絶望や無力感に襲われてしまう。仕事も、お金も、生きることもなんかもうどうだっていいやって気分になって、普通に立ってる気力すらわかない。なんとか仕事に行っても心と体は重く周りの人たちと自分が別世界の人に思える。これはヤバいと感じメンクリに予約の電話をすることにしました。

普通はメンクリに初めて予約するのってけっこうハードルが高いと思うんですよ。こんな程度で行ってもいいのだろうかとか、恥ずかしいとかいろいろ考えちゃうと思います。
なかなか勇気が必要なことだと思います、誰かに助けを求めるということは。迷惑をかけたくない、弱い自分を見せたくない。親や友人、職場の仲間といった身近な人にほどそういう思いは強いものです。だからこそメンクリのように専門家のいる他人にだからこそ打ち明けられることがある。関係ない人間だからこそ目の前のあなたの、しがらみや属性に関係ない「今の気持ち」を打ち明け、聞くことができる。
なのでなによりも「どこかに助けを求めたい」と思った自分の気持ちを大事にして、ヤバいなと感じたらまず周りの人に頼って、それが無理そうならすみやかに「そのためのよその人」を頼って欲しいと思う。
私の場合は「いま、相当ヤバい状態にあるな」と強く自覚できたので予約の電話をかけるのに躊躇はなかったです。
過去に付き添いでメンクリや精神科病棟行ったりしたこともあるし、このクリニックがそもそも今の彼女が通院している所なので安心感があったんですよね。
実際に電話をかけてもなかなかつながらなくて、ようやく繋がって、名前や簡単な症状を話しました。そしたらなんと4日後の仕事終わりの時間に取ることができました。普通は「一ヶ月待ちが当たり前」なんてことをよく聞きます。私もその日を逃すとゴールデンウィーク明けになるところでした。ぶっちゃけ毎日がメチャクチャつらいのでそんな先だったら絶望でどうにかなりそうでした。予約が取れた、ということで自分の命綱が上手くつながったようでホッとしました。

予約の電話をかけた翌日に職場の上司と外で食事がてら自分の現状を話しました。といってもしんどさを伝えて、生活改善して無茶せずやっていきましょうね、みたいな話し合いでしたが。それでも聞いてくれる人がいて、今自分がつらいんだということを知ってくれる人がいるというのは心強く、少しスッキリした感覚がありました。しんどさが減りメンクリにもある程度の余裕を持って向かうことができそうな予感がありました。

予約当日、雨降りの夕方バスに乗りクリニックへ向かいます。目当てのビルに近づくにつれ、なんだか周りの人たちが「普通」で自分が「普通からズレた人」という感覚がわいてきました。自分がこれからメンタルクリニックに行くという事実が周りの人たちに見透かされてるような気分になりました。ビルのエレベーターに乗っても、同乗者の子供にメンクリのある3Fのボタンを見られるのが恥ずかしいという思いでした。すごく疎外感も感じました。
クリニックの入口に着くと脇の傘立てに傘がビッシリ置かれ、中に入るとたくさんの人が座っていました。予約したから誰にも会わないのかな?なんて思っていたので驚きです。こんなに大勢の人が通ってるんだな…そりゃなかなか予約取れないわけだよな…。
受付カウンターにいる3人の従業員と、待合室に十数人が居る空間はとても静かで、色合いも音楽も柔らかで落ち着いた空気が流れていました。受付で名乗るとボードを渡されて氏名住所などを記載し電話の時のように来院の理由、症状を書きます。次にアンケートというか質問表を記入するのですが、これが今の自分の状態を五段階評価でチェックしていくものでした。これを記入していくと自分がいかに“ヤバい状態だったか”が客観的に突きつけられることとなりました。その紙の中には絶望的な気持ちにとらわれ生きる意欲も減退して疲れ切って憔悴した人の姿が浮かび上がっていました。

「こんなにヒドい状態だったのか…」

自分で自分の現状に気づけていなかったことにショックでした。なんとかなるだろう、そこまで大したことはないかな、と軽く考えていたのがわかります。自分はこんなにつらかったんだとここにきてようやく気づくことになります。

その後自分の名が呼ばれて個室に入ると、そこには若い心理士の女性がいてそこで最初の聞き取りが行われました。育成歴や職歴などから現在の状態などを、20分ほどでしょうか答えていきました。まあこんなところでカッコつけても仕方ないですから、恥ずかしいことや情けないことも出来るだけ正直に話したつもりです。話してみると自分の心が過去にも弱っていた事実や今のしんどい環境が表に出されて、自分でも「そりゃこうなるわな…」と納得でした。とにかくハードワークしすぎてつかれすぎ、体も心も限界で今に至る、という姿が自分の言葉で構築されていきました。昨日上司と話したこととは全く別の話でした。話す相手によってこんなにも「自分の今」の伝えることが変わるのかと驚きました。上司には仕事がつらいことを話せないでいたんです。心配かけたくない、期待を裏切りたくないという気持ちがそうさせていたのだと思います。結果頑張りすぎてオーバーヒートしてしまった。違う関係性での相手と話すことで、話せなかったことも話せるようになったのです。これは大きな収穫であり、ありがたいことです。

部屋を出てまたしばらくたって別の部屋に行くとクリニックの先生、主治医との話し合いが行われました。先ほどの心理士との会話を踏まえてのこれからの治療の進め方の話しがメインでした。
「仕事の休みは増やせないの?」という問いに「なかなか上司には…」と渋ると「話せる上司だからそこ、話したらいいんじゃないですか」と言われて、ああ、そうだなと思いました。心配かけまいと我慢した結果がこれなので、この後も無理してこれ以上しんどくなったら完全につぶれてしまいます。すでに今限界だからこそここに来たんです。
そうだよな、限界ですって言おう。ヘタなカッコつけや我慢をしてる場合ではないことももう今の自分にはわかっていました。
使う薬の話と次回の診察の予約とカウンセリングの予約をして先生とのやりとりは終わりました。10分ほどだったかな? なんかお二人との会話から「あんた働きすぎだから休みなよ」っていう無言のオーラを感じたんですが、これは私の内なる自分の声がそう感じ取ったのかも知れません。
自分でそう強く思えると、少し安心できたんですよね。

クリニックを出て近くの薬局に行き薬をもらう順番を待ちます。ぶっちゃけこの時間、20分くらい?が一番しんどかった。抗うつ薬を待つ自分、普通の(身体の)薬をもらいに待つ人たちと混じって待つ自分の異質感にまた襲われました。今までにたくさん接してきたメンクリ通院者、自分の彼女やその他大勢の人たちのことが「実感」として感じられました。そういういろいろなことがあってなんだか泣きそうになってズット涙目になってしまいました。
ようやく薬をもらっても、あー、このままじゃしんどい、心が重くて歩けない、とフラフラになりながら街を歩いているとミスタードーナツの看板が目に入りました。
「そうだ!自分に楽しいことを与えよう!生きる希望を与えるんだ!」と救いを求めてミスドに入り、ドーナツやパイを五個買いました。このなんでもない「普通さ」がとてもうれしかったんです。

家に帰り彼女に報告して、その日は眠りにつきました。明日職場に行ったら経緯を全部上司に話そうと決めて。

ちなみに処方してもらった薬を毎日飲んでいますが言われていたような副作用、眠気や吐き気はありませんでした。そのかわり気分もそんなに変わらないというか。なんか、飲んでるからなんか気分が沈みすぎすにすんでるのかな?みたいな。
とりあえずこの人には話せる、と思った人にはクリニックに行ったことは話しています。自分がつらいということを知ってもらうというのが一番の「楽になる方法」なんじゃないかと。まあメンクリに行きましたって言ったら大抵の人は「気のせいだよ」とか「気分転換しな」とかクソテキトーなことでなんとかなるレベルではないことを悟ってくれるはずです。
もちろん、言えない人の方が多いんですけどね。


『明日、私は誰かのカノジョ』の雪とリナのように、友達といった近しい間柄だからこそ言えないことってあるんですよね。心配かけたくない、この人には嫌われたくない、そういう意味で思いが強いからこそ大事なことが言えないんです。大切にしている人だからこそ言えない。そんな時は別の人に頼ってもいいし、薬や…人によっては自傷をしたり依存したりして、なんとか「自分を保とう」とします。それらは「どうにかして自分の気持ちに気づいて欲しい」というSOSでもあります。そしてそれを受け取った人は「どうせ好きでやってるんでしょ」なんて軽んじずに、真剣に向き合ってあげて欲しいと思うのです。

長くなりましたがこれで私の初めてのメンクリの話は終わります。
これを読んだみなさんに少しでも今が楽になるようなきっかけとなったらと思います。

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