「死にたい」からの脱走記 《後編》
死にたい気持ちは本気で押してくる
車内で食事を済ますと新潟まで半分も行かないうちに寝てしまった。お腹一杯になってビールも飲んだということもあるが、何より睡眠が足りてなかった。爆睡して気がつくと終点の新潟に着いていたので慌てて降りた。
数日前に会ったばかりのお袋はこちらの心配とは裏腹に何も聞かずに静かに迎えてくれた。『死んでやろうと』という言葉を使ったことに私は罪悪感を感じていた。
自分の息子から唐突にただならぬメールが送られてきた上にうちの親父は何年も前になるが飛び降り自殺をしていたのだ。
自殺という行為が人生に色濃く刻みつけられた者にとって、それを想起させるものをまた身内から仄めかされること、それがどれだけの痛みを伴わせるか。自分としてもよくわかってるはずだったのに。
ただ自分としてもそれだけ今の己の状態が限界ギリギリだったかを知って欲しいというのがあったのだ。
「死にたいなんて言ったら相手に迷惑がかかるから言えない」なんてのはよく聞くフレーズだ。そりゃどんな人間だってそれを聞かされたら心穏やかではいられない。だがそれでもそれは口に出して伝えられるべきものなのだ。それほどの思いがあることを知らされずに遺されたものも苦しみ、悲しむ。
「死にたい気持ちを」を一人で抱えることほど危険なものはない。その絶望は一人でなんとかできるほど軽くはない、だからそこまでの苦しみなのだ。
私は、吐き出した。
私は、逃げ出した。
だからこうして生きている。
こうして書き続けている。
私自身のことを言えば、多少「自殺」という現象に関わって生活している。新潟に居座ることなくまた東京に帰ってきた理由の一つにその活動のことがある。死にたい気持ちを持つものの力になりたい、だからこうしてカッコ悪い自分のことも話している。
今回のことで私が思ったのは死にたいという気持ちが死に向かわせる動力になるのではなく、押し出す力となって死に向かわせているということだ。
絵に描くとこうなる。
「死にたいけど死ねない」という葛藤・矛盾が起こるのはその気持ちが本人の意思ではなく死にたいという「圧」からくるものではないか、というのが私の実感だった。
「死にたいって言っている人ほど死なない」という思い込みは、もちろん信じたくないという安心を手繰り寄せるための詭弁でもあるのだが、相手の本心から目を逸らすということ、相手に襲いかかる圧に注視しないという点におい非常に「寂しい」応答であることを周りは知っておいてほしい。
最後の最後で崖の端から落ちるかどうかは誰かからの救いの手があるかどうかにかかっている。
私の場合はそれが「実家の母」であったわけだが誰もがちょうどいい場所と人を保持しているわけではない。それは時として安全なフリをした危険な場や人の場合もあるし、そもそもそんなものが全くないと言上人もいる。そう思っているだけならば援助を希求する術を磨くことでなんとかなるかもしれないが、本当に助けが皆無の者にとってはさらなる危険を承知で飛び込まざるを得ないない場合もある。
それに死にたい気持ちというのは一過性の、その時だけの症状ではない。自分の人生にベッタリと張り付く「生きると同義」の厄介な代物なのだ。
クスリなのか療法なのか。人なのか場所なのか。お金なのか承認欲求なのか。とにかく何かで救わねばならないのだ、己自身を。
こうして安全な場で文字をつづっている私も、明日にはこの場を離れてまた東京に帰るつもりだ。ここにいることだってできるのだが、残してきたものがある。それに私は東京のあのゴミゴミした雑多で猥雑な場所が好きなのだ。
だがそれを共にするには自分自身の健やかさが必要で、基本的な睡眠・食事がままならないとその雑多さにも寄りそえないということ。そして多分、仕事でやってきた効率や利益、儲けとかそういったものが優先される場にはちょっと自分には合わないなあ、という気持ちがある(これまでの人生もずっとそうだったのできっとこれはもう“治らない”ものなのだろう)。
自分の感情や他人の気持ちに目をやって眺める時間のある生き方が自分には合ってるんだと思う。
願わくば、そういったものに目を向けられる生き方ができるような人生でありたい。
そういう「望み」があるから、こうしてまた生き直すという選択ができた。
今、こうして帰りの新幹線の車内で曇天の下に広がる山々の景色を流し見している(霧がかかってメッチャ天気悪い)。
帰ったところで仕事もないし、何か特別「良くなった」わけでもないんだよなぁ(そもそもこんな辞め方をしてただで済むか?)。
まあ希望も見えず絶望だらけの状況から絶望が消え希望が見えないに変わったわけなので「最悪」から「良くはない」に移行したと思えば別に死にたくなるほどでもない。
死にたくなったらとりあえず「話して」ほしいしその場から「離れて」ほしい。
自殺は確かに全てをマルっと解決する手段ではあるのだが、その覚悟でやる【脱走】はまた別の角度から、世界とのつながり方を教えてくれると思ったんだよね。
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