「死にたい」からの脱走記 《前編》

終わりを感じた朝


寝巻きから着替えようとして上着を半分脱ぎかけた状態で10分間、右乳首をさらしたまま動けなくなった。脳から身体に指令を出すことができなくなり、でも脳内では「仕事に行かなきゃ」という命令が鳴り響いている。
昨日、というか一昨日の3時から昨夜の22時まで20時間働いた。そして帰ってから7時間後、またこうして仕事に行くために着替えをしている状況にいる。ここ数ヶ月はずっとこの調子で働いており休日もなく、そしてこれからもずっとこうであるという絶望をまとったまま生きてきた。
あれをしなきゃいけない、これをしないといけないという思いだけで頭がいっぱいになり、そうなるともう自分自身を大事と思えなくなり彼女や同僚に心配されつつも駆り立てられるようにして自分はどうなってもいいと自暴自棄のまま今朝まで突っ走ってきた。
1年前に身体を壊して入院した。半年前にはメンタルクリニックにも通ったが変化も効果も感じられず色々な「癒し」や「気分転換」を挟みつつ劇的な変化もないまま坂道を下り続け、今に至っている。

(これはもう、終わった)

動けない。脳が、身体が。
どこにも行けない。
何もできない。
無、死。
終了。
It’s over.
過去は暗転した。


逃げる時は逃げ切ることだけ考えろ


「よし、全て捨てよう。実家に帰ろう」
そこに思い至ってからは早かった。一時間後には出勤時間が来る。それまでに全てを終えなければいけない。それまでにやるんだ、そのためにすぐさま必要なことをする。そう考えると先ほどまで全く動けなかった身体と頭が弾き出されるようにして稼働し始めた。
「金」と「持ち物」と「連絡」だ。
同居中の彼女(メンブレ中で仕事を辞めたばかりで隣の部屋でまだ寝ている)に当座の生活費を渡すため、近場に下ろしに行く。
実家に滞在するための最低限の持ち物。スマホとそれに付随する備品、それと下着。それだけあれば十分だ。
彼女への伝達、帰る実家への伝達。
お金を下ろしてきてまだ夢うつつの彼女に言い放つ。
「それで電話代と電気代と払っといて。しばらく身を隠すから。職場からそっちに電話かかってきたり誰か来ても無視して!」
「どこ行くの!?」
「実家に決まってるだろ、もう限界だ!」
私がこの仕事で心身ボロボロなのは彼女も知っている。というか私が自暴自棄な生活をし続けた結果彼女が病んだのだ。こんな目にあわせたくて死に物狂いで仕事をしていたんじゃない。ずっと彼女に対して申し訳なかった。仕事を辞めてと言われても無視して働き続けていたのだ。
もう限界だ。上司に「辞めます」なんて言いに行けばまた何だかんだと言われて元に戻るだけ。その繰り返しだった。何も変わらない。自分の心身だけが壊れていく。それはもう絶対にムリだ。そのためには物理的に距離をおかなくてはならない。
この部屋に居残っていても息が詰まる。モヤモヤ、悶々として日常に飲み込まれる。事実ここ数ヶ月、自室にいても心身は何も休まらなかった。むしろ休めないほどに壊れてしまっていたのだ。
東京から実家の新潟までぶっちぎってやる。
死なないために。

実を言うとこの朝を迎えるちょうど10日前、実家の新潟に法事で一泊で帰ってはいたのだ。その時は予定通りのただの帰省であり、まさかその10日後にこんな精神状態でまた新幹線に乗る羽目になるとは微塵も想像してなかった。
「あと1時間で、仕事が始まる」
まるでその時間が来たら大きな手に捕まって引きずり戻されるかのような恐怖を感じながら荷物をまとめ始めた。
下着と備品を放り込み(お陰でポケットWi-Fiを入れ忘れた)、最寄りの駅までひた歩き(あの時の私の顔はかなり必死の形相をしていたと思う)、東京駅までの電車内で他の通学・通勤者と混じり同じ「日常を遂げる者」に擬態していた。そんな自分の心の中は「仕事に行かなくていい!自由だ!」と叫んでいた。自分を苦しめていたあらゆる日常の些事を呑み込みながら押しよせる責任や期限の波を尻目に、私のテンションと周りの景色はどんどんと加速していく。
東京駅構内に着くとその興奮度はさらに高まった。先日の帰省でも買った惣菜屋で、おいしかったポテトサラダと鮭のフライ(付属のタルタルソースが絶品だ)、さらには筍ご飯のヒレカツ弁当、そして前回買いそびれて新幹線の車内でも買えなかった念願のビールを買って待機の列に並ぶ。
もう片手にはこれまた前回買いそびれた、構内の書店で見繕った小説やマンガの入った紙袋。この仕事についてからもう長いこと出来てなかった大好きな読書ができる!
好きなことができてこその自由だろ!
長いこと頭の中を満たしていたプレッシャーや時間の制限に追われることなく、自分が気持ちいいと感じるもので満たすことができるのは最高に気持ちが良かった。

もちろん不安もあった。
残してきた人たち、仕事。出勤時間ピッタリにかかってきた電話、ラインの通知。なのでしばらく前から電源は切っておいた。実家の母親にだけメールをした。

『死んでやろうと思ったけど新幹線に乗る。
もうすぐ東京駅に着くので3時間後くらいに新潟駅に着く。
可能であれば迎えにきてほしい』

このやりとりだけをして。


《後編につづく》

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