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リトルボムガール感想と電子コンテンツへの哀愁

さきほどリトルボムガールを遊んでエンディングを3つほど見た。

個人開発のゲームアプリで「爆弾のAIの女の子」にプレイヤーである「先生」が様々なことを教育し、立派な爆弾に育て上げる(?)ADVだ。

zxima.LLCの作品で、他の作品も癖のあるキャラクター達ながらもやたらと愛着を持たせてくる作風が特徴的で、インディーゲーム周りではたぶん結構有名なはずだ。

リリースしたころにインストールしてからずっとiPhoneの中で眠らせていたのだが、最近他のアプリがいつのまにかAppStore上で配信停止していたこともあり、アプリもいつまでも遊べるわけじゃないよな…と遊んだ。

この爆弾なのだが、ストアのレビューでもゲーム紹介サイトの作品紹介でもかわいいかわいい言われてたが、まじで可愛かった。あざといかわいさなのだが、それもまた純粋さや愛嬌を演出しているようで、爆弾のAIの女の子という出オチでもおかしくない突飛とも言える設定であるのに、なぜだか違和感なく物語に感情移入できる。その設定を活かしきった丁寧なキャラ造形と言語センスには脱帽せざるをえない。

キャラクターの背景にある物語も、しっかりとSFみがありつつ難しくはさせすぎず軽妙なテンポが心地よい。作品を遊んでいるとわかるが全体的に切なさは感じさせつつも基本的に幸せな未来がキャラクター達に訪れることを願っており、生み出したキャラクター達への愛が感じられる。

ウザくない程度の広告再生とお布施課金でマネタイズしている作品なのでインディーゲームが好きな人なら気軽に遊べる作品だろう。エンディングは全7種あり、達成がすこし難しいものもあるのだが、良い作品には良いフォロワーがつくもので、攻略情報を発信しているファンがいる。困ったら適宜ググってそちらを見ると良い。胸を張ってオススメできる作品だ。インディーの宿命的な部分だが、絵のタッチに癖はあるといえばあるので(プレイしてると好きになってくる)、遊ぶ人は遊びそのものが好きな人に寄ってしまうと思う。ラブ、デス&ロボットみたいにネトフリで連作短編の一つの映像作品として作られてもいいんじゃないかなとか要らぬ杞憂を思ってしまう。いやでもなんだかんだ新作は出続けているしデータを見ればちゃんと多くの人に遊ばれてるんだろう。たぶん。


で、最初に書いた「他のアプリがいつのまにかAppStore上で配信停止」のアプリとは「星の数だけ物語」という作品だ。これもいつかやろうと思ってiPhoneに残していたのだが、いつのまにか遊べなくなっていた。一応これ自体はWin版が配布されていたので遊ぶことができたのだが、かつてジオシティーズが閉鎖されたときのように、ネットの電子コンテンツはまじで生涯遊べなくなる、見られなくことがあるよな…と怖くなった。

そういったものを保存する動きというのもあるにはあるが、まだ絶版本のほうが見つかる可能性があるのではないのかというほどに、電子コンテンツは「削除」されてしまう。いくらでもコピーできるはずのそれらは実存しているものよりよっぽど消えた時に取り返しがつかない。

たぶんそれなりにスマホゲームを遊んできた人ならストアの自分がインストールしたアプリ達の履歴を見ると、もうダウンロードできなくなってるアプリが大量にあるだろう。もうそれらに触れ合える機会は二度と訪れない可能性が高い。

出版会社を通した本と比べるのはちょっと違ったかもしれない。個人開発のアプリはいってしまえば同人誌のようなものだ。Win版などがアーカイブ的に公開され続ける場所ならともかく定期的にアップデートが必要なストアのみでリリースされている場合、開発者がアップデートを辞めた時、それらは二度と表舞台に上がってこない。一期一会のような出会いがある。あとにはネット上で書かれた感想などの思い出だけが残る。

壁画や石板や巻物や本は物体があるゆえの「風化」と戦ってきており、電子コンテンツはそのような抗いがたい時間から逃れた存在であった。ただ逆に長くネットを見ているとそちらのほうが存在が不確かになってしまう一面があることに気づく。一部の人にのみ存在を知られた電子コンテンツ達。私の文章もありがたいことに、たまに読まれているようだがnoteが無くなれば消えてなくなってしまう。現状はこちらが無くなる気配はないので、せめてものと些細な感想文を書いた次第だ。

これもまた人の営みではあるのだろう。電子に限らずとも私が知らないだけで消えていった様々なコンテンツが世の中には大量にあるのだろう。だれかの魂を震わせても、だれかの心を救っても、大衆に存在を知られずにそっと電子の海に消えていった作品達、それらに哀愁を感じざるを得ない。

観たいものも読みたいものも尽きないのでサポートいただければとても助かります。