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声をかける勇気こそ、何より美しい

 電車に乗っていたときのこと。

 疲労感から足腰も痛く、「早く坐りてぇなぁ。席空かないかなぁ」と、吊革に掴まりながら暗い窓枠ばかりを眺めていた。

 速度を落としながら車両が停車駅のホームに入ったとき、杖をついた盲者もうしゃの男性とその隣に立つ介助者の方が見えた。

 介助者の方は身内かヘルパーの方なのだろうと、そのときは思った。

 電車の扉が開き、杖をついた盲者の年配の男性を若い女性が支えながら、どの乗客よりも最後に乗車してきた。おそらくそれも他の乗客への気遣いだったのだろう。

 そこでわかったのが、どうやら盲者の方と介助者の方はまったく見ず知らずの他人同士だという事だった。

 つまり、駅で偶然盲者の男性を見かけた女性が手助けを申し出て、電車内に誘導したのだろう。親切な女性の介助によって、その盲者の男性は安堵した表情で電車の手すりに掴まっていた。

 その光景を見た瞬間、親切心にいたく感動を覚えた。介助の女性だけでなく、盲者の男性も人の良さが滲み出ており、きっとこの方のお人柄がその人を引き付けたのだろうとも思った。

 盲者の年配の男性は補聴器もつけており、盲聾までは行かずとも日常生活を送るのは大変だろうと察する。

 いくつかの駅を通過したときに、介助者の女性が「一緒に降りましょうか?」と盲者の男性に問いかけて、男性も「お願いします」という反応をされていた。そして、電車が停まると、満員の車内からホームに降りて行くのが見えた。

 介助者の「お気をつけて」という声と、盲者の男性の「ありがとうございました」という声が電車内まで聞こえてきた。

 介助者の女性は男性を見送ると、また電車のなかに戻られた。

 今思えば、介助者の女性は補聴器をつけていた盲者の男性に配慮して、周りに迷惑にならないくらいの大きさで少し声を張っていたのだと思う。素晴らしい人助けの光景だった。

 声をかけた介助者の女性の勇気も、不自由を抱えながら生きる男性の勇気も、当然尊重されるべきものだ。

 かくいう私はその男性が無事に目的地まで到着できますようにと祈る事しかできなかったが、その女性のように人助けを実行できるのはすごい事だ。

 昔、高校時代に課外授業があり、福祉施設で車椅子や盲者の方の介助を学んだ事があった。割合、真面目に取り組んだが、その課外授業の最後に学校の先生か福祉施設の職員の方が、

「みなさんも、街で体の不自由な人を見かけたら率先して手助けしましょう」

 と言っていたのが、ずっと頭に残っている。しかし、なかなか実践できるものではない。お年寄りや妊婦に席を譲る事はできても、目の不自由な方を誘導する事を申し出るのは結構な勇気がいる。一度、気になって声をかけようと引き返した事もあったが、すでにそこにはいらっしゃらなかったという事もあった。

 そもそもその方がそれを望んでいるとも限らない。逆にお節介となって迷惑をかけないだろうか。いきなり声をかけて驚かれないだろうか。特に私自身、HSPなのでいきなり声をかけられるとびっくりしてしまうタチだから考えてしまう。

 議員やコメンテーターのように表向き大言壮語を言うだけでなく、一人一人が目の前で困っている人に手を差し伸べる事こそ、より良い世のなかをつくっていく行動だろう。偽善者と言われても、私はそう思う。

 世のなか、悪い人や悪い事ばかりではない。少しばかり希望を見た気がした。救われた気さえした。いつの間にか、疲れも取れていた。

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