見出し画像

十六代目、樂吉左衛門、篤人のお茶碗

 お点前もさることながら、お茶碗についても先生の言葉を借りれば、
「普段使いには、丁度いいお茶碗だと思います。使い込めば、もっといい趣が出てくると思います」
 と、最高の褒め言葉をいただき、私のハートはズタズタに引き裂かれてしまった。しかし、このことがあったからこそ、今まで耳にしてきた先生の言葉のいくつかが、より鮮明に、より確かに私の心に刻み込まれた。
 その一つは、「MAY お茶碗」の意味である。
「マイ•お茶碗でお稽古をすると、上達が早くなりますよ」
 と言われたこと。
 早速、マイ•お茶碗をお茶室に持ち込んだ。「My お茶碗、お披露目」の初回、「李方子の井戸茶碗」の効果は絶大だった。私は一気にお茶室のヒーローになった。
 しかし、今回は先生の一撃の元、奈落の底に突き落とされてしまった。マイ•お茶碗の評価はもとより、お点前が全く疎かになってしまっていたのである。
 濃茶のお点前の二回目である。全く手が動かなかった。心ここに在らず、のお点前だった。
「お道具に見合ったご自身でなくては、お道具の価値も半減ですよ」
 との、先生のお言葉。深く心に刻み込まれた。冗談半分に、
「次は、古田織部の考案した織部焼の沓茶碗を手に入れたいと思っています」
 と前回のお稽古の終わりに声高々に言ってしまった私が、なんとも薄っぺらな人間に思えてしまった。 
 さて次回は、完璧なお点前でお稽古に臨むか、それとも、楽長次郎の黒楽茶碗「草庵」の写しの出番としようか、悩んでいる。そんな自分に、
「懲りない奴」
 と、心の中でクスッと笑ってしまった。
 マジ。次回はどうしよう……。
 やはり次回は、起死回生の濃茶のお点前で決めたいと、「月夜の千回濃茶のお点前」を決意する私であった。

創作活動が円滑になるように、取材費をサポートしていただければ、幸いです。