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義母のための盆略点前

 再び、心のセンサーの不調。書けません。

 一番の理由は、いつものカメラマンの送迎の仕事がめっきり減った事。彼ら彼女らが、私の心のセンサーを刺激してくれるのだが。コロナのせいで、機会が少なくなっている。

 話は変わるが、96歳の義理の母が施設に入った。と言うよりも、入れざるを得なくなった。そのための段取りは、全て私の子供たちが段取りを取ってくれた。義理の母にとっては孫たちになる。孫たちは当然のように、誰に強制されるでもなく、淡々となすべきことを消化していった。私は彼らの指示に従って動いただけだった。そう言う時代になったのだろう。

 父親であり、娘婿としてできる事は何かと考えた。辿り着いた結論は、施設の義理の母の部屋で、私がお点前を披露することに思いが至った。

 野点の簡素な道具を揃えた。緋毛氈の代わりに、子供たちが使っていたピクニックシートを使う。さらに、主菓子とする和菓子はどうしようかと、あれこれ。さらに、当日の私の服装は着物にしよう。着替えはどこでしようか。そんなことを考えているうちに、

『これが、茶道のおもてなしの心』

 と言う気付きに至った。なるほど、と。

 当日は、炉や風炉の代わりに鉄瓶を代用する盆略点前にする。他界した妻の話では、

「母は人に教えられるほど、茶道に親しんでいた」

 と言っていた。茶道をたしなむ義母の姿は、一度も見たことが無い。彼女にとっては何十年ぶりの事になるかも知れない。

 私と義母とは結婚する前から、決して良好な関係だったとは言えない。しかし、この時ばかりは全ての雑念を封じ込めて、お点前に集中しようと、心の準備をしている。段取りを取ってくれた子供たちのためにも。

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