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アート×短編小説 『Sincerely』(3,485字)

Sincerely

 その小さな地下室には若者たちが身を寄せ合う。一本の蝋燭に火を灯して静かな声で話し始めた。マッチの火は吹き消され、心地の良いかすかな煙の匂いが充満する。一本の蝋燭の明かりでは部外者には誰が発話者なのか判断することができない。しかし彼ら自身は声色と話し方の癖だけで誰が話しているか完全に理解する。しかしながらその空間では誰が発話しているかはあまり意味を持たなかった。それは対話でも議論でも討論でもない。若者達の話は分岐し、再び混ざり合い蛇行する川のようだった。その狭い空間にいる若者は皆、この先何らかの手段で罰せられるだろう。彼らは兵役から逃れ、暗くて狭い空間に隠れている。彼らは臆病者か反逆者か革命家か非国民か。


外の人達には見えないんだよ、ここで起きているほんとうのことがさ、みんなには見えないの。僕らみんなバカだと思われてる。ただこの地に生まれ落ちただけなのに、その瞬間にはもう先人たちの罪の痕跡がはっきり刻まれている。私たちが選び取れることってこの世界にあるのかな。私たちが本当に選んでいるとでも思っているのかな。きっとどこへ行ってもおんなじことだよ。多分私たちだけじゃない、この状況は酷いよ、核心を話さない限り同じことの繰り返しなんだよ。ほんとうのことが分かるまでは、何も選び取りたくないよ。一旦、止まろう。棲み分け?自然淘汰?そうしたらみんなはどこへ行くの?君はどうしたいの?もう続けたくない。残したい。やり直したい。よくしたい。


 部屋の隅から溜め息が吐かれた。頭を強く掻きむしる音が聞こえる、疲弊した匂いが充満する。


このまま今の状態に身を任せればいいだけだろ。人間も自然の一部でしかないんだよ。でもそういう考え方はさ、人間でいることの諦めじゃないの。人間のやること全て意味がないの?じゃあお前は意味があるとでも思うのかよ?今起きてる無惨なことに全部意味があんのかよ、意味があったらたまったもんじゃねえよ。拷問も、奴隷同然の労働も、女達がされていることだって意味があるのかよ。僕たちと上の世代が選びたくてこの状態を選んだのか。こうせざるを得なかったんだよ。向こうにとっては何かしらの意味があるんでしょきっと。この酷い状況をどうにかするために今話しているんでしょう。間違いだと思ってる人がいる一方で、未だにこれが正しいと思っている人もいるんだよ。目指す先が違う人間がどうやって同じ場所で生きていけばいいんだろう。彼らは同じ場所で生きたいとも思っていないんだよ。排他的な集団ほど厄介なものはないね。他の人間を危険に晒して、自分たちだけが幸福になればそれでいいと思っているんだ。責任は誰にあるのかな。いのちを消耗するくらいなら、もう何も始めない方がいいと思う。でもさ、それも考えることの放棄じゃないのかな。俺はこの形になった世界でも何かしら行動をし続けることに意味があると思う。その行動の善悪を私たちが判断できるのかな。善悪じゃなくたっていい、妥当性とかでも。それが分からない以上、行動することなんてできないよ。何もしないことが最善なこともあると思うの。諦めなのかな?一つの選択肢ではあると思うよ。


 蝋燭の火の前には長い髪の毛が垂らされていて、それを少女自身が上から下へ三つ編みにしている。下まで三つ編みができたらそれをすぐにほどき、再び上から下へ編み込む。その行為を先ほどから何度も繰り返している。


でもさ、まっさらな状態で生まれてくる人間なんているのかな。みんな各々の歴史性と異なる環境に囲まれて生きるんだ。だからみんな選べない状態で、でも自分の持ったものをよりよい状態で後世に引き継いでいこうと、人間はずっとしてきたんじゃないのかな。その、よりよいって言うのを本当の意味で考えない人間が多いんじゃないかな。ほとんどの人間はさ、受動的に産み落とされて、一定年齢超えたら自分で選択して生きていると思っている人が多いけどさ、本当の意味で人間の行く末を考える人なんてあんまりいないのかもしれない。同じような環境で育った奴でも今ここにいない人間がいるっていうのはそうゆうことなんじゃないかな。みんなやらなきゃいけないって思い込んでいる。でもさ、ほんとうにやらなきゃいけないのかな。そう思わされているんじゃないかな。それがさ、長い目で見れば大きな過ちだったらどうする?過ちってなんだろうね。取り返しのつかないことじゃないかな。


 数分前から咳の発作がおさまらない少年の横で、水を飲ませているのは地下室で最年長の男だ。咳の発作を押さえつけるため強引に飲むコップの水でたまに溺れながら少年が口を開いた。


人間は皆歴史の一部でしか生きられない。死にゆく人間は自分ができなかったことを成し遂げ、自分が築き上げてきたものを継承していって欲しいんだと思うよ。本当の意味で、ゼロから始まる人間なんていないんだよ。持っているものも皆違うよ。量も質も。その時代の価値でしか評価できないものがあるように、多さとか良さとかにすらあまり意味はないのかもしれない。じゃあどこに向かって生きればいいんだよ。俺たちがやってることはさ、やっぱり言い訳に過ぎないんじゃないの。外から見たら俺たちはただやりたくないことから目を背けて、やらない理由を見つけているようにしか見えないと思う。でも、間違ったことはできないよ。私は、間違えたくない。私の間違えのせいで誰かを傷つけたくない、殺したくない。取り返しのつかない間違えがこの世には沢山あるの。間違えるくらいなら、この部屋で皆で閉じこもっていた方がましなんだよ。僕ら世界を汚しているだけじゃないのかな。生まれてきた限り循環するしかないんだよ。汚らしい循環。何かを犠牲にして毎日生きている。それはどの生き物も同じだよ、僕らが、人間が特別ってことじゃないんだよ。失ってからじゃないと気づけないのよきっと。ここでは、人間のいのちが弾丸ほどの価値になってしまう。ランダムなんだよ、運の良さだけなんだ。


 閃光が見えた、大きなサイレンが街に響く。大人たちは武装したままの睡眠から即座に起床し、右手側にセットしてある武器を持ちガスマスクを装着する。安全なはずの地下室に籠る若者も身を硬直させる。今度こそ、全員のいのちが終わるんじゃないかと思う。前線で戦う父親が、生まれたばかりの妹が、この地下室にいる全員が。でも今回のサイレンでも地下室にいる若者達は無事だった。サイレンはその小さな孤島にもかすかに届く。髪の毛と髭に覆われた老人は家の中で育てられている食用植物に話しかける。


また始まった。あの街にいる人たちはみんな馬鹿だ、終わりが近いってわかっていながらあそこから逃げられないんだ。そりゃ、いざとなたらここもアブナイことは分かってる。でも、結局一人なんだよ、誰が最後の一人になるかなんだ。一人というよりかは、ひとつまみだが。そのひとつまみに何が何でも俺はなりたくないね。俺にとって、この孤島での、この小さな家での生活こそ全てなんだ。俺には伴侶も子供も動物もない、手紙も来ない。でもここに生えている植物と手の込んだ料理、俺の排泄物の栄養からまた植物は豊かになり、持続する。こんなに美しいことはない。ここに汚いものは何一つないんだ。俺はこの島と共に自足しているんだ。それに比べてあの街はどうだ、全てが凸凹していて調和が取れていない。ここから見える街並みだって最悪だし、あの空の汚れ。人がどんな風に暮らせばああなるんだ。こっちの方の海はまだ澄んでいて海の生き物達だって活発だ。でもこれが街の方に近づくほど、海の生き物は寄り付けなくなってどす黒い海面になるんだ。循環しないんだよ、人間が調合して作り出したものを海に流したって、海の生き物は適応できないんだ。だから、人間が作ったものは人間が責任を持って手入れし続けるしかない。それができないなら、初めから作っちゃだめなんだよ。作るのは楽しいし、コツを掴めば簡単だし、教育さえすれば誰でもできるんだ。でもな、その背景と過程と先を考えないと後で大変なことになるんだよ。この世界の誰かが酷い思いをする。そのツケは大体何世代か後になって判明して、子どもたちがツケを払うことになる。銃口の向け合い。いつまでこんなことをし続けるつもりなんだ。俺たちの頭は何のためについてるんだ。結局俺たちは大自然の従属物でしかないことをまず知った方がいい。大自然の方から復讐が来るんだ、そうなったら人間は一丸となって大自然に立ち向かう他ない。そもそも敵ですらないんだよ。


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by Uta


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物語の展示

個展「ECHOING SHADOW」(2024.4.24) にて展示
utanoki:「コトバ」と「アート」
アート:Uta 文章:楠あきほ


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