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水底のα星

※2018年の作品の改訂版です。切り絵は当時のそのままに。

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ある静かな夜のこと、星たちは夢うつつの中、ぷかりぷかりと浮かんでいました。
「こんばんは。気持ちのいい夜だな」
「どうも。いい夜だな」
お互い軽く挨拶をして、星たちは闇の波間を漂ってきらきらと浮かんでいます。そうして揺られながら、星は時間ごと、季節ごとに夜空と地底を巡っていくのです。
地底から出てきたばかりのα星は、夜空を流されながら、ぼんやりしていました。すると一足先に夜空に姿を現していたγ星が、すいっとα星に近づいて話しかけてきました。
「面白いもの、見つけたぜ」
暇を持て余した星たちは、夜空を漂いながら他の恒星を覗き込んで、そこの住人を観察することがあるのです。
「どんな?」
「あそこの人間、毎日おれたちに手を合わせてるんだ」

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α星がひょいと覗き込むと、青い小惑星に住む一人の少女が、一生懸命頭を下げて手を合わせているのが見えました。
「アディが、早く元気になりますように…早く元気になって、また一緒に遊べますように」
γ星はふむ、と唸りました。
「兄弟かな、友達かな…ま、いずれにしろ殊勝なこった」
α星が、躊躇いがちにγ星に尋ねます。
「こういう時、どうしたらいいんだろうね」
と言うと、γ星は、面倒臭そうにフゥと小さくため息をつきました。
「手でも振ってやれよ」
α星はちょいと身を乗り出して、ひらひらと手を振ってやりました。すると少女は、空を指差して大きな声をあげました。
「あっ…お星様、お願い聞いてくれたのね!」
α星はぎょっとして体を起こすと、γ星の方に向き直りました。
「えっ、俺、見えたの」
「馬鹿、あんな小さな生き物に見えるわけないだろ。何万光年離れてると思ってんだ」
再び目を落とすと、少女はご機嫌で家の中に入っていくところでした。

α星はその日から、その少女を観察することにしました。
少女の名前はカナンと言いました。
観察しているうちに、彼女の祈りの中に出てくるアディというのは、少しばかり──星の感覚で言う所の少しばかり──離れたところに住む親友の少年で、病気がちで家からあまり出られないようだ、ということがわかりました。カナンは毎日のように身近な出来事を手紙に書き、近くで拾った綺麗な小石や葉っぱを同封してはアディに送っていました。

α星がちょいと体をひねってアディの住む家をのぞき込むと、氷を頭に乗せて乾いた咳をする少年が、ベッドにもぐりこんでいるのが見えました。
付き添って看病している母親が手紙を読み聞かせると、アディは熱でうるんだ眼をきらきらと輝かせて、にっこり笑うのでした。

彼らに何もしてやれない切なさの中で、α星はせめても、と祈る少女に向かって、精一杯手を振ってやるのでした。

季節が巡って、α星が再び地底に眠る時期が来ました。
「北極星さんや、俺のいない間もあの子を見守っておいてくれ」
寡黙な北極星はうむ、と小さく頷くと、腕組みしてじっと地上に目を落としました。
α星はそれを見て、安心して目を閉じ、夜空の流れに乗って地底へと運ばれていきました。

*  *  *

しばらくぶりにα星が目を覚ますと、γ星がのんびりと星の間を泳ぎ回っているのが見えました。
α星はふぁ、と小さくあくびをすると、険しい顔で地上を見下ろす北極星に目を留めました。そして、ふと眠る前にした約束を思い出しました。
「おはよう、北極星さんや。あの子はどうだい」
「悲しんでいる」
その一言に、寝ぼけたα星の頭は一気に冴え渡りました。慌てて身を乗り出して覗き込むと、カナンは手紙を握りしめたまま、うつむいて涙をぽたぽたとこぼしていたのです。
「なんで泣いている」
「友人の病状が悪化したらしい」
α星が慌てて体をねじって見下ろすと、アディは高熱にうなされていました。ベッドの隣に立つ医者はひどく厳しい顔をしていて、母親は顔をおおい、父親に支えられてへたりこんでいます。
ワドべの呟くうわごとが、風に乗ってα星の耳に届きました。
「カナン…カナン、」
アディはカナンを呼んでいるのでした。

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「あぁおはよう。深刻な顔してどうした?」
γ星が呑気に近づいてくると、α星は、思い切ったように顔を上げました。
「俺、あの子のところに行ってくる」
γ星が驚いてちかちかと瞬きました。
「なんだ?お前…あの惑星の生き物のために、わざわざ流れ落ちるってのか?」
「あぁ。大事な友達に会わせてやるんだ」
「でも、そんなことしたらお前…」
「いいさ。そろそろここでぷかぷか漂う生活にも飽きて来たところだ」
α星は北極星を仰ぎました。北極星は、じっとα星を見つめて、おもむろに口を開きました。
「片道切符は承知の上だな?」
「もちろん」
北極星はうむ、と頷いて、己の青い炎をα星に分け与え、肩にかけてやりました。
「旅の幸運を祈る」
「ありがとうございます」
γ星は少しだけ声を落として、
「…達者でな」
とだけ言い残し、ぱらりと手を降って背を向けました。
「あぁ。じゃ、行ってきます」
そう言って大きく深呼吸すると、α星は譲り受けた炎を身にまとって、夜空をぱしゃんと飛び出したのです。

α星がカナンの家に到着したとき、カナンは泣き疲れて眠り込んでいました。窓を叩くα星に気づくと、カナンは飛び上がりました。
「お、お星様がいるっ!?」
カナンはきょろきょろと辺りを見回し、それから自分の頬をぎゅうとつまみました。
「夢…じゃない?」
「夢じゃない。空から迎えに来たんだ」
「迎えに?私を?なんで?」
「アディに会わせてやるためだ。ずっと祈っていただろう」
「アディに…!」
一瞬パッと顔を輝かせたカナンは、すぐにしゅんとうつむきました。
「でも、とっても遠いのよ。ママが言ってた。5つの山を越えて、4つの川を越えて、3つの森を抜けて、2つの国の境を超えて、おまけにもひとつ、湖をぐるりと回りこんだその先にアディの家はあるんだから、って」
「大丈夫さ。5つの山を越えて、4つの川を越えて、3つの森を抜けて、2つの国の境を超えて、おまけにもひとつ、湖をぐるりと回りこんだその先のアディの家、俺なら夜の間にひとっとびさ。アディに会ったら、朝までにちゃんとこの家まで送り届けてやるよ」
「ほんとに?」
「ほんとだ」
「じゃあ、連れて行って!」
「よしきた。さぁ、背中に乗ってくれ!」
カナンを背に乗せると、α星は全速力で走り出しました。

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α星はお得意のドリフト走行で、5つの山を越えて、4つの川を越えて、3つの森を抜けて、2つの国の境を超えて、おまけにもひとつ、湖をぐるりと回りこんだその先のアディの家まで、あっという間にたどり着いたのです。

こつこつとノックする音に気づき、アディはふと目を開きました。
音のする方へぼんやりと首をめぐらせて、アディは思わずぎょっと起き上がりました。カナンがガラスにぺたりと鼻を押しつけて立っていたのです。
夢か、幻覚か、それとも幽霊なのか。
混乱したままふらふらと立ち上がり、アディは窓を開けました。
「カナン…?な、なんで、ここに…?本物...?」
「会いにきたの!元気になってほしくって、お星様に乗って、ここまで飛んで来たんだからね!」
カナンは窓をよじ登って部屋に転がり込むと、アディの両手をぎゅっと包み込みました。
「星が3回巡ったら、アディのパパとママと、3人で村に戻ってくるんでしょ。それまでにちゃんと元気にならないと、怒るわよ…!約束したでしょ!」
アディは、首を縦にも横にも振らずに、ただ静かに微笑みました。
「ね、約束…したでしょ、ねぇ」
カナンの瞳にじわりと涙が滲み、静かに流れ落ちるのを、アディは優しくぬぐってやりました。
「相変わらずの泣き虫カナンだ」
「うるさい…」
二人のやりとりを聞いていたα星は、不意にひたりとアディの額に触れました。

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「わ…お星様、冷たいです」
「この熱、俺がもらっていってやろう」
α星がそう言うやいなや、体の熱が引いていくのを感じ、アディは目を丸くしました。
「え、あ…体が、楽になってきた」
「ほ、本当に?」
カナンはアディの頬にぺったりと自分の頬を押し付けると、興奮で顔を真っ赤にして、小さく声を上げました。
「熱くない!」
「ふふ、カナンの方が熱いくらいだ」
アディは向き直って、深々と頭を下げました。
「ありがとうございます、お星様…」
「礼はこの子に言うんだ。毎日毎日お前のために、俺に向かって祈っていたんだから。もう、この子を悲しませちゃあダメだからな」
アディはうん、と頷いて、ベッドに体を横たえました。
「今度会う時は、元気で戻ってくるのよ。絶対によ」
「うん。約束するよ、絶対に。本当にありがとうね、カナン」
小指を絡めて約束し、アディは目を閉じました。少しずつ呼吸が深くなっていくのを聞き届けると、α星は再びカナンを背に乗せて走り出しました。

朝日が昇り始める少し前、α星は、カナンの家のすぐ近くの海辺に降り立ちました。
カナンを下ろすと、α星はみるみる少女の手のひらに収まるくらいに小さくなってしまいました。カナンは真っ青になり、慌ててα星を拾い上げました。
「あ、あぁ、どうしよう!あたしのせいで…?」
「なぁに問題ない。俺が選んだことなんだ。悲しむんじゃないよ、泣き虫カナン」
「でも、」
「俺は、お前が笑っているのがいっとう好きなんだからな。お前の願いを叶えてやれて、嬉しかった」
α星はカナンの額に手を伸ばし、優しくなでました。
「そのまま海に放してくれないか。そうしたら、俺は深い海の底で、またぷかりぷかりと泳いでいられる」
カナンは涙を拭って頷くと、膝が浸かるくらいの深さまで海に入っていき、手の中のα星をそっと放しました。
「ありがとう、お星様、ありがとう…」
α星は、カナンの声を聴きながら、胸に灯る熱を抱いてゆっくり海の底に沈んでいったのでした。

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