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雨の日の水溜りで遊んだのはいつの頃だろう【2】

ひとりで生きていくことは出来なかった。

仕事をしなくては食べていけなかった。

人と関わらなくてもできる仕事はなかった。

だから、なるべく人と関わらない仕事を選んだ。

僕は鉄道の食堂車のコックの仕事に就いた。

食堂車両は、特別急行などの高速鉄道や寝台列車などに設置されていて、半日から丸一日の仕事だった。

シフト制で、毎回職場の面子が変わったのはありがたいと思った。

毎回違うなんて、そんなに多くの人が働いているのかと思ったが、食堂車の従業員は中央で全国一元管理されていて、シャッフルされているという話を聞いた。

そして、常時辞めていく人がいて、代わりの新人が入ってくるから、人の入れ替わりも激しく、トランプカードのように、手持ちの札が代わり映えしないということはないらしかった。

自分の記憶は蓄積されていくのに、周囲はリセットされているように思えた。

今までの経験から、リセットの周期は日毎のように思えた。稀に、2、3日という時もあったように思う。

毎回違う人だから、こちらも相手も、いつも、初めましてから始まる。

気持ちが楽で良かった。

そんな中にあって、ウエイトレスのひとりに、時々同じ班になる人がいた。

名前は葉子といった。名札には苗字が書いてあったが、難しい漢字で誰も読めなくて、名前で呼ばれていた。

彼女は外国の女優風に髪を短めに整えていた。華奢な身体を、列車の揺れに合わせて、テーブルからテーブルへ、食事の載ったお皿やトレイも持っていても、すうっと優雅に動いていた。

僕はオープンキッチンの中で、時々仕事の手を休めて、彼女の舞うような動きを眺める時があった。

そんなある日、展望車両で休憩中の僕に、葉子が話しかけて来た。

「お疲れ様です」

「お疲れ様です」僕は会釈をした。

「今日は穏やかですわね」

「そうですね」

「厨房のお仕事って大変そうですね」

「給仕のお仕事も大変ですよね」

「そうでもないですのよ。とても気に入っていて、楽させていただいてると思っていますわ」

「気に入ってるのですね」

「お食事にお見えになるお客様は、品の良い方々ばかりで、礼儀正しい方々で、いつもにこにこされていて、お食事は綺麗で美味しそうですし、そんなお食事をお持ちすると、皆さん、ありがとう、とお礼まで仰ってくださって、とても気持ちの良いお仕事ですわ」

「そんな風に思えるのは何よりですね」

「あの…時々、こちらをご覧になってますわね」

「あ、お気づきでしたか…。すみません。失礼なことを…お気に障りましたか…」

「何か気になりますの?」

「いや、その…いつも優雅に舞を舞っていらっしゃるように思っていましたから」

「いつも?」

僕は失敗したと思った。彼女とは初対面の筈だった。

ところが彼女はにっこりと笑って言った。

「そうですわね…。半年前から時々同じ班ですわね。その頃からご覧になってらしたの?」

僕は愕然とした。絞るような声で言った。

「そう、半年程前から、時々、食堂車の中で舞うあなたを、時々眺めていました」

「子供の頃…踊りを習っていましたの。そのせいですわ。でも…それならそうとおっしゃってくださったらよろしかったのに」

「いや、そんなご無礼なことを…」

「本当、無礼ですわ」彼女はくすくすと笑って言った。

「でも、嬉しい。そんな風に見てくださっている方なんて、今まで、どなたもいらっしゃらなかったから。正直、恥ずかしいですけど…でも、嬉しいですわ」

「あの、お尋ねしてもよろしいですか?」

「はい」

「あなたは、半年前から僕のことをご存知で、覚えていらっしゃるのですよね?」

彼女は頷いた。

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