ピアノの誕生、前編:ドゥルチェ・メロス(鍵盤楽器音楽の歴史、第147回)
チェンバロは打鍵の強弱によっては殆ど音量を増減させられません(全く変化しないわけでもないですが)。弦を弾く強さは専らプレクトラムの弾力に依存するので、必要以上に力を込めたところで弦に加わる力は大して変わらないのです。
クラヴィコードはキーの後ろに付いた金属のくさび(タンジェント)で直接弦を突き上げて発音します。この場合は打鍵の力によって自在に音量を変化させられますが、如何せん非常に効率の悪い発音方法なので、出せる音量は限られています。
より大きな音量を得るには、弦に打撃を加えるとともに、すぐに弦を離れて振動を阻害しないようにする仕組み(エスケープメント)が必要で、これを実現したものが、すなわちピアノです。
一般にピアノの発明は1700年頃にバルトロメオ・クリストフォリによって成し遂げられたものとされていますが、打弦式の鍵盤楽器のアイデアは、最初期のチェンバロやクラヴィコードと共に、15世紀のアンリ・アルノー・ド・ズヴォレの手稿に既に見られます (F-Pn lat.7295, c.1438–46)。
アルノーはこの楽器をドゥルチェ・メロス dulce melos と呼んでいます。ここでは3種類のドゥルチェ・メロスが説明されていますが、第1のものは鍵盤を使わず直接バチで弦を叩くというもので、要するにダルシマーのことです。実際 dulce melos は dulcimer の語源に違いありません。
第2と第3のものは鍵盤楽器であり、図もあります。いずれもクラヴィコードのような長方形の楽器で、違いは4つのブリッジを弦に直角に配置するか、斜めに配置するかという点です。
肝心の発音機構は「クラヴィシンバルム」の頁に示されている4種類の発音装置の最後のものがそれらしいです。
全く不十分な説明ではありますが、どうやら鍵盤上の部品を弦に跳ばして発音する仕組みのようです。
ニューグローヴ音楽事典の "Dulce melos" の項で図示されている解釈は、一端をヒンジでキーレバーに繋がれた可動部が跳ね上がってフレイルのように弦を打撃するというものです。
Tomas Flegr による復元例も同一路線のようですが、革のヒンジのところを回転式の関節にしています。
一方、Pierre Verbeek による復元例は、これらとは異なり、固定されていない棒状のタンジェントを垂直に打ち上げる方式としています。
https://harpsichords.weebly.com/uploads/2/5/0/1/25019733/clavisimbalum_1440_verbeek_2019_rev06.pdf
どのような発音機構であったにせよ、残念ながらその後ドゥルチェ・メロスが普及した形跡は確認できません。実機はもちろん、このような楽器に言及する文献は他にないのです。
類似の名称の使用例はありますが、これらは鍵盤楽器ではない普通のダルシマーを指している可能性が高いでしょう。アルノーの記述からもドゥルチェ・メロスとは基本的にはダルシマーを意味する語であったはずで、鍵盤式ドゥルチェ・メロスは相当に特殊な例であったと思われます。アルノーは鍵盤式ドゥルチェ・メロスに対して、せめて固有の名称を用意してあげるべきでした。
名前だけが知られている謎の鍵盤楽器「チェッカー」の正体が、この鍵盤式ドゥルチェ・メロスであるとする説もありますが、根拠薄弱と言わざるを得ません。
アルノーよりずっと後のことになりますが、Verbeek のドゥルチェ・メロス復元例と類似の発音機構による鍵盤楽器として、1751年にレーゲンスブルクのシュペート Franz Jakob Späth (1714-1786) が発明したタンジェント・ピアノ Tangentenflügel があります。
というより逆でしょう、その復元にあたってはタンジェント・ピアノが念頭にあったはずです。
タンジェント・ピアノは18世紀後半には、ハンマー式のピアノと競合しながら、それなりのシェアを獲得していました。
ここでモーツァルトの言っている「シュペートのピアノ」はタンジェント・ピアノであったのかもしれません。
タンジェント・ピアノの原理や構造は単純であり、シュペートと直接関係があるのかはともかく、類例はいくつか存在します。
先行例の実物として、メトロポリタン美術館所蔵の16世紀のスピネットが1717年にタンジェント・ピアノに改造されたものがあります。
これは加速用の中間レバーを用いずに、鍵で直接タンジェントを打ち上げる極めて単純な仕組みとなっています。
さらに遡って、ヤン・ミエンセ・モレナー (1610-1668) の絵画に描かれたヴァージナルは、何故かジャックレールが無く、見えているジャックもなんだか妙です。
これもタンジェント・ピアノに改造されたヴァージナルなのではないかという説があります (Ripin, Edwin M. “En Route to the Piano: A Converted Virginal.” Metropolitan Museum Journal, vol. 13, 1978, pp. 79–86.)。
こういった例がアルノーのドゥルチェ・メロスの末裔である可能性は、無きにしもあらずというところですが、比較的単純な仕組みによってもピアノ的な楽器は実現可能であったということです。
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